ロックンローラーは27才で死ぬから

やらずの

ロックンローラーは27才で死ぬから

 煌々とテレビがついている。

 独りになるのが――独りだと突き付けられるのが寂しくて、俺はテレビを消せずにいる。

 流れるのは深夜の音楽番組。

 音楽評論家気取りのベテラン芸人と舞台に華を添えるためだけに呼ばれたんであろう浮ついたモデル上がりのタレントが、何やら昨今の音楽シーンについて語っている。


「……ゴミどもが」


 俺は吐き捨て、安い発泡酒を味わいもせずに呷る。缶は間もなく空になって、俺はそれも無造作に地面へと転がす。

 一体何本目だろうか。

 床に転がる無数の空き缶はいつからそこにあるのか分からないので、これが今日の何本目なのかはついぞ分からない。

 まあ、どうでもいい。

 俺は机の上にはもう酒がないことに気づき、ゆっくりと立ち上がる。何時間かぶりに持ち上げた腰はもう床と同化してしまったかと思うほどに重かった。

 冷蔵庫は空だった。言い知れない虚しさと情けなさに舌打ちをして、俺は仕方なくジーンズのポケットから最後の一本になった煙草アメスピを取り出して火を点ける。

 四畳半の狭苦しい部屋を見渡す。床には空き缶やら弁当の空き箱やら脱ぎっぱなしの洋服やらが散乱している。ここ何日か使ってはいないベッドは物盗りが踏み荒らしたようにぐしゃぐしゃ。枕元の棚にはびっちりと、中学のころから集め続けてきた国内外のアーティストのCDがジャンル別に並べられて埃を被っている。スタンドに立て掛けられたテレキャスターは、一昨日に弦が切れてから指一本触れずに放置されている。窓際のカーテンレールには THEE MICHELLE GUN ELEPHANT のツアーTシャツが引っ掛けられ、掃き溜めみたいな部屋を見下ろしていた。

 紫煙を吐きながら、また重い脚を引き摺るようにして、汚れた暗い部屋で見える唯一の床に腰を下ろす。

 ベテラン芸人に名前を呼ばれ、アーティストの紹介映像が流れる。新進気鋭。人気沸騰。そんなありきたりな文句とともに登場するロックバンド――そのメンバーたちの、毒を抜かれたような軟な笑顔。


「……クソだな」


 俺はやはり吐き捨てる。そう吐き捨てるしかなかった。

 軽薄で、無意味で、これっぽっちだって中身のないトークをしてステージへ。黄色い歓声を上げるファンに媚びるような、鬱陶しい笑顔。自分に酔うだけのナルシシズム甚だしいドラム。薄っぺらいベースに格好ばかりが一丁前のギター。旋律に乗って重なる、流行りと人気に魂を売ったような言葉たちリリック

 お前がやりたかった音楽はこれなのかよ。

 その音楽のどこに、の夢が乗ってるんだよ。

 俺は耐えられなくって。届くはずもないのに威嚇するように舌打ちして、とうとうテレビを消した。

 真っ暗になった部屋に、沈黙が圧し掛かる。俺は何か音を立てずにはいられなくて、短くなった煙草を空き缶に突っ込む。もう一本と思って手に取ったソフトケースは空っぽで、俺はそれを握り潰して床に捨てる。

 秒針の噛みつくような音が、やけに響いていた。

 ふと、立て掛けたテレキャスターが目に入る。洋楽かぶれだった高校時代、ジェームズ・バートンに憧れて、必死にバイト代を溜めて無理して買ったギター。あのころはまだ、純粋に音楽が楽しくて、俺はこいつで食ってくんだなんて、大きさも分からない夢を口にした。

 音楽で生きていく。

 いつから本気で思うようになったのかは分からない。でもそれは俺にとっては必然だった。親の反対を押し切って田舎を飛び出し、一心不乱に、ただひたすらに、この身を音楽に浸してきた。

 音楽以外、何もいらなかった。

 音楽だけが、俺の全てだった。

 そうして辿り着いた俺の現在地は、暗くて狭くて、煙草と酒と汗の臭いに満ちた、風呂なし四畳半のボロアパート。

 熱気の籠るステージも、そこから見渡せる俺たちの音に合わせて揺れ動く客席も、もう何1つとして俺の前にはない。

 不意に明かりが灯る。脱ぎ捨てたジーンズに埋もれたスマホに1件のメッセージ。どうせ迷惑メールだろうと、俺はスマホに手を伸ばす。

 迷惑メールではなかった。送り元は田舎の母親。少し早いけど、と打ち込まれたメッセージはもう間もなく訪れる、二八の誕生日を祝うものだった。


「そうか、誕生日……」


 時刻は23時50分。

 あと10分。たったあと10分で、俺の27才は終わる。

 薄暗い部屋のなかで、秒針の噛む音がやけに響いている。


   †


 一年と少し前、深夜のスタジオ錬終わり。夏の朝の、少し湿った柔らかい空気が鼻孔をくすぐる。新しい1日の始まりにしては気怠くて、街に差し込む薄い朝陽はどこか寂しげで。


「は? お前、何言って……」


 俺は言葉を失って、手に持っていたミネラルウォーターを地面に落とす。

 他のメンバーも概ね同じ反応だった。驚きと戸惑い。焦りと少しの怒り。ただ一人、話を切り出したボーカルだけが気まずそうに、短く刈り上げた襟足を掻いていた。


「……悪いとは思ってる。でも、チャンスなんだよ。レコード会社が俺の歌がいいって声掛けてくれて。でも俺の声はもっと軽いポップス向きだって言うんだ。そんでちょうどボーカルが辞めたバンドを紹介してくれるって。……なんつーかさ、そっちはもうメジャーも目前なんだ。事務所も押してくれてるし」


 吐き気と眩暈。急に地面が歪み、現実が遠退いていくような感覚に襲われる。ふざけんな。


「だからって俺らを捨てんのかよ」


 鋭い言葉を吐き捨てる。俺は拳を固く握り、今にも掴みかかりそうになるのを必死で抑え込む。


「今年が勝負の年だって、お前も言ってたじゃねえかよ。それなのに……」

「だからだよ! 俺ももう来年には28。たぶんこれが最後のチャンスだろ。俺は何としても、魂売ってだって、この業界でやっていきてえんだ」

「そんなの俺らだって同じだろ……」


 俺はそいつの胸座を掴み上げた。

 胸に抱いている思いは、音楽に懸ける情熱は同じだ。だからここまでやってこられたし、互いに認め合っていた。

 だからこそ痛いほどに、その気持ちが分かるから。

 世間が言う成功なんてクソ食らえ。ロックを気取ってそんな甘いことを言える奴は何も知らない。

 30手前にもなって定職もない人間の、朝靄よりも不確かな未来への不安も。

 突き付けられる現実と近づけない理想の狭間で喘ぐ、胸の苦しさも。

 自分たちを追い抜いてデビューしていく、若いバンドの後ろ姿を見送る焦りも。

 成功が欲しい。音楽で食っていきたい。生きたい。

 そう願い、叶えられる人間がどれだけいるか。

 それがどれだけ難しいか、俺たち四人にはよく分かるから。


「……止めてやれ」


 そう言って、胸座を掴んだ俺の手を取るメンバーの手。

 俺は手を離す。ここで離せば、もうそいつには二度と手が届かなくなると、漠然とそう思いながら。


「お前の気持ちも、こいつの覚悟も、よく分かるよ。だけど、どうしようもねえよ」

「まあさ、生半可な覚悟じゃ言ってないよ、こいつだって。悩んで考えて出した、本気の結論なんだろ?」


 なんとかそう口にして、もう納得するしかないんだと、自分に言い聞かせるような仲間の言葉。意図せず吐いただろう溜息には、俺が最も恐れていた諦めが滲んでいて。

 やめろ。

 それ以上、何も言うんじゃねえ。


「――もうここらが引き際なのかもな。俺たち」


 分かってる。俺らの音楽が時代に合っていないことも。最近はライブのチケットも捌けづらくなったことも。昔からのファンが、少しずつ離れていっていることも。

 だけど。そうだけど。それでも、俺は――。


「……ごめん、みんな」

「お前が謝ることはねえって。その代わり、ちゃんと夢叶えろよ。武道館、満員にして俺らのこと呼んでくれ」

「なんか賞取ったら、ちゃんとあのときのメンバーが~って紹介しろよ? テレビいつでも出てやっから」

「……ありがとう。マジで、ありがとう」


 唇を噛み、涙を流して頭を下げるそいつを、俺は口汚く罵ることも、他のメンバーみたいに背中を押してやることもできなくて。

 俺はただ、薄汚れたアスファルトと履き古して削れたスニーカーの爪先を、睨みつけていた。



 それから一カ月。

 俺たちはどこかぎくしゃくしたまま、最後の対バンに臨み、そして解散した。

 小さな箱ライブハウスに集まった客は100人とちょっと。

 それが俺の、俺たちの音楽が積み上げてきたものの、全てだった。



 ここが引き際だと唇を噛んだベースのあいつは実家の弁当屋を継ぐことにしたらしい。

 弁当屋はダサいとあれだけ嫌がっていたのに、そろそろ親孝行でもしとかねえとな、なんて言い出して、弱々しく笑っていた。

 一度だけ買いに行ったら、唐揚げを一つサービスしてくれた。エプロンと三角巾をした姿は確かにカッコよくはなかったが、自然な笑顔で客に頭を下げるそいつの姿は決してダサくなんかなかったと俺は思った。

 最後の最後まで、テレビ出たら友人枠でと乾き切った冗談を飛ばしていたドラムのあいつは人材派遣会社で働き出したと、たまたま会って飲みに行ったときに聞いた。

 レッド・ツェッペリンのジョンへのリスペクトだと言って、似合わないのに伸ばしていた髪を切り、代わりに似合わないスーツを着込んだそいつは、一丁前に上司の愚痴をこぼしながら、仕事終わりのビールは最高だと笑っていた。

 俺はと言えば、引き続きコンビニのバイトをしながら、ギターを募集しているバンドを探す日々を過ごしていた。

 俺はこんなところで終わらない。終わってたまるか。音楽で食っていく。そう決めて生きてきた。費やしてきた時間を、捧げてきた人生を、無駄にしてたまるもんか。

 だがピンとくるバンドはなかった。

 こいつらは音楽性が低い。

 歌詞が流行りに迎合しすぎている。

 俺は何かに文句をつけ、ここじゃない、これは俺のやりたい音楽じゃない、ここじゃ俺の音は活かされない、とあるかも分からない新たなバンドを探し続けた。

 探しているうちに、自分の音楽がもう分からなくなった。


   †


 秒針の音を聞きながら、俺は弦の切れたテレキャスターを眺めている。

 長年連れ添った相棒は、今の俺の姿を映しているようだった。

 バイトは辞めた。

 もう新しいバンドを探すのも辞めた。

 将来のこととか音楽のこととか、何かを考えるのも辞めた。

 何もかもを辞めて、俺は立ち止まった。

 生きることには疲れたけれど潔く死んでみせることもできなくて、酒と煙草に溺れていった。

 狭苦しい四畳半のこの部屋で、砕け散ってしまった何かを拾い集めるようにギターを弾き、酒を飲んで、煙草を吸った。集まったのは身体のなかのアルコールとニコチンだけ。本当に欲しかったものはもう手に入らなかった。

 ロックンローラーは二七才で死ぬなんて、そんな根拠もない都市伝説に縋りながら、落ちぶれた自分を慰めて。

 だけど俺がいくら立ち止まろうと、時間はどうやら俺を待ってはくれなくて。

 どれだけどん底に落ちようと、差し伸べられる手も押し上げてくれる手もどこにもなくて。

 仲間からも、時間からも取り残された俺にあるのは10代のころから抱き続けた夢が拗れた、残りクズみたいな妄想と、そんな妄想を捨てきれないちんけなプライドばかり。

 そしてそれすらも、規則正しく刻まれる秒針に、脆く儚く噛み砕かれていく。

 気が付けば、時計の針はもう0時を回っていた。

 0時4分。

 やっぱりあれは所詮、都市伝説だったのか。

 それとも俺はもはやロックンローラーですらないのか。

 劇的なことは何一つ起きず、俺は27才を終え、ただ一人虚しく28才を迎える。


「……まぁ、こんなもんか」


 俺は吐き捨て、意図せずに滲んだ深い諦めの色に自嘲的な笑みを溢す。

 もう、終わりだ。

 全部、終わりだ。

 金も、成功も、生活も、愛も、夢も、称賛も、過去も、未来も、音楽も――何もいらない。

 立ち上がった俺は少しよろめく。さっきまでは全然平気だったのに、ここにきて酔いが回ってきたらしい。

 俺は脱ぎ捨てた服や、置きっぱなしの空き缶や、広げたままの譜面を蹴散らして壁際のテレキャスターの元へ。

 俺の音楽の全て。落ちぶれてからもずっと、変わらない音を鳴らし続けていた相棒だった。

 ネックを乱暴に引っ手繰り、テレキャスターを肩に担ぎあげる。

 そして、机に向けて全力でテレキャスターを振り下ろす。

 破砕音――。ボディが割れ、ネックが折れ、引き裂かれた弦が俺の腕に深い傷を刻む。

 砕け散っていくのはテレキャスターと俺の過去。

 圧し折れたのはテレキャスターと俺の未来。

 ロックンローラーは27才で死ぬから。

 今日、この瞬間、俺は俺の音楽を殺した。

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