9日目

 まだ、日が昇る前、アイラは眠れずにいた。


女王として、一人の人間として最後の時間。


夜になればこの身を引き渡さなければならない。


渡されてすぐに、簡易裁判が行われる事になっている。


明日の朝は見れないだろう。


 「以上をもって陛下の護送を行います。引き渡しは、国境のゲア湖沿岸のピートホテルにて行います。それまでは我らと共にあることをお忘れなく」

「承知しているわ。ありがとう」

白い衣服に身を包んだアイラは厳重に警備された馬車の中でキルマーノック内務卿とリベット国防卿と共に護送されていた。

 昨日の夜、妹、王宮の者と別れを告げてきた。

「スキレン達は?」

「すでに南側の国外に脱出するため極秘に出発致しました。万が一という事もありますからな。首相を降りたグレンが護衛しております。ご安心を」

「そう、わかったわ」

アイラは窓の外を見た。昨日の夜に首都を離れて随分立つ。見渡す限りの白い大地は元は畑で今はこの国の為に死んでいった多くの兵たちが雪の中に埋まり、春に掘り起こされるのを待っている。

「間もなくゲア湖の近くです」

「ふむ、まだ時間があるな。このあたりのホテルで休憩を取ろう。よろしいですかな陛下」

「わかったわ」


 湖の近くの小さなホテルに馬車が止まり夜まで待機する事になった。

アイラは小さいが一番良い部屋に入った。年季が入った床の軋んだ音がするが悪くは無かった。

「食事はなさいますか?」

「いらないわ。それよりニルスにお茶を用意してもらえないかしら」

「かしこまりました」

リベット卿はそのまま退室して、暫くするとニルスがポットを持ってきた。

「申し訳けございません、残念ながら紅茶ではなく黒茶しかご用意できませんでした」

「黒茶?」

「東世界のお茶でございます。茶葉を発酵させることで独特の風味になります」

部屋の棚にあったカップを布巾で丁寧に拭くとお茶を注いでいく。

「コーヒーみたいに真っ黒…でも、香りは…絵具?」

「慣れれば美味しく感じますよ、どうぞお召し上がりください」

アイラは恐る恐るカップに手を伸ばす。嗅ぐと今までに体験した事の無い香りがした。油絵具のような、鉄臭いような、けれども何処か香ばしいような…

「いただきます」

飲むと鉄の味がした。次にまろやかな茶葉の味がして、それらが旨味へと移り変わって行く。

「おいしい…?」

「お気に召して頂いて光栄にございます」

ニルスが頭を下げたと同時にドアにノックが入った。

「失礼致します、スコシアにございます」

「スコシア衛兵長?どうぞ」

入ってきたのは衛兵を束ねる大男であった。

「失礼致します陛下、ニルス殿」

「準備はできましたかな?」

「えぇ、すぐにでも可能です」

「わかりました。では陛下、参りましょうか」

「えっ…?」

その瞬間、アイラの意識は遠のいた。

(お茶に薬を……何故?)







 次に気が付いた時、アイラは自分が船に乗っている事に気が付いた。

「ここは…!」

「お目覚めになられましたか?」

起き上がると小さな小舟が夜の冬の水辺を灯りも付けずに進んでいた。雲や風は無く澄んだ星空を水面が写していた。

「その声、ニルス?」

「えぇ」

「私は、いや、何が起こっているの?!」

「落ち着いてください、陛下」

「落ち着けないわ!」

アイラは動こうとした。だが小舟が揺れてうまく立てなかった。

「わ、私は死ななければならないのに…!ニルス!貴方も私を誘拐したあの男と同じ事をするの?」

暗闇の中、ニルスのオールを漕ぐ音が消えた。


「貴方はもう死んだのですよ」


「えっ?」

「正確には貴方の身代わりがですけどね」

「なんですって!誰が…?!」

再びニルスはボートを漕ぎだした。

「名もなき臣下の一人です。彼女は髪や背格好が貴方に似ている事を利用して自ら身代わりを買って出ました」

幸いに戦勝国はアイラの顔を知らなかった。

「彼女からの伝言です。貴方にやっと恩返しが出来た。我らの女王陛下、貴方に皆感謝しております。だそうです」

「あっ」

「皆、国民は貴方一人に責任を押し付けたくないのですよ。この私も他ならぬ貴方の臣民の一人として」

「ああぁ!」

涙が溢れた。冷気が零れた水滴を凍らせることは無かった。

「他の者も同様です。あとは任せて。と申しておりました」

「あぁぁ、私は、私は」

アイラは船の来た先の暗闇を見つめた。束ねていた長い髪がほどけた。


「あり、がとう…本当に、ありがとう」

返事は無かった。


「さて、陛下。我らはこの国を出なければなりませんが、いかがなさいますか?」


 ニルスが問うとアイラは答えた。











 とある朝、季節は夏に差し掛かる頃だった。

 霧のかかる丘で翡翠色の髪を短く切った少女はペンギンと共に朝日を見た。





                                    終








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ナインデイズサーヴァント 花嵐 龍子 @karanryu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ