染み入る

流々(るる)


 眠る彼女の頬に、この雨は届くのだろうか。



 あの日、化粧をしているきみの背中を黙って眺めていた。

 昼過ぎから降り出した雨も鏡に映りこんでいる。

 硝子を叩く音が次第に大きくなっていった。

 それを気にする素振りも見せず、きみの手は止まらない。

 少しずつ、少しずつ、色が重なっていく。


 やがて現れるはずの美しい女性を私は知らない。

 いつも訪れる夕闇と引き換えにあの笑顔は消えてしまう。

 着飾ったきみはもうすぐ部屋を後にするだろう。

 静かにきみの肩へ両手を置くと、鏡の中で目が合った。



 背中を見せて横になっている彼女が目を覚ます気配はない。

 汚れてもいない、しびれた両手を流し台で何度も何度も洗う。

 彼女は目を覚まさない。



 もう一度、私だけに微笑みかけて欲しかった。

 その不安なんてちっぽけなものだったのに。

 でも安心して。

 もうきみが嫌な思いをすることはない。

 その優しい笑顔も私が永遠とわに切り取ったから。


 最後に鏡の中できみが見せた、あの美しい眼差しと一緒に。



 夜のとばりが下りても雨は降り続いている。

 不規則なBGMを傘が奏で続けるなか、重いスコップを引きずる。


 レインコートから流れ込むのは雨なのか、汗なのか。


 私が見下ろす靴の下にも雨は染み入る。




 眠る彼女の頬に、この雨はもう届かない。




 ― 了 ―

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