君のとなりにいるために

室園ともえ

約束の場所


 高校最後のお盆



「葵、今日は多分星見れねぇぞ」

「いいや優斗、私はまだ諦めないよ。今年こそはペルセウス座をこの目で見たいの!」

「星なんてどれも同じだろ? どうせ星を見るならこの地球という神秘に満ちた星をだな……」

「はいはい。……もうその話5回は聞いた」


 山風に煽られボサボサになってしまった前髪を整える俺に幼馴染の葵は呆れ顔で刺すような視線を向けてくる。


「むしろ5回も聞けたんだ。感謝してほしいぐらいだね」

「あーすごいすごい優斗はかしこいねー」

「葵……感情がこもってねぇぞ」

「集中してるんだからしょうがないじゃん」


 そう言った葵は再び望遠鏡を覗き込んだ。

 山風とそれに揺られる木々の葉擦れの音だけが山頂をゆっくりと包み込んでいく中、葵の一つ結びの整った蒼色がかったポニーテールも波打つようになびいていた。


 その何とも趣深い景色に言葉を失っていると、葵の乳白色の肌が少しずつ赤くなっていることに気づいた。

 もうそろそろ観測を始めて4時間ほど経つだろうか。

 少し肌寒くなってきたし、そろそろやめるべきだろう。


「そろそろ寒くなってきたな。一旦キャンプ場に戻らないか?」

「まだ6時半だし。もう少しだけやろうよ」

「いやさすがにこれ以上は風邪引くって。いい加減やめようぜ?」

「……じゃあ優斗だけ戻ってれば」


 急に葵の声色が変わった。

 少し強く言いすぎてしまったと思ったが、一向に曇が退いてくれる気がしない中成果が出ないまま無理して体調を崩してしまっては元も子もない。


「そんじゃ、お言葉に甘えて戻らせてもらうよ」

「え? ほんとに戻るの」

「なんだよ。 戻ってればって言ったのは葵じゃねぇか」

「それは……その……」

「別に飽きたとかそういうのじゃない。さすがにこれ以上冷えたら風引いちまうぞって心配してるんだぞ」

「っ……あと少しで終わるから! もうちょっとだけ!」

「……もう知らん。ほんとに風邪引いても知らねぇからな?」

「……もういい。私1人でやるから」


 葵はそういうと力任せに望遠鏡を抱え、何かを細々と呟きながら山頂の奥へと歩いていってしまった。


「……前はもっと優しかったのに」


 葵が風で消え入りそうなほど小さな声でそんなことを言った気がした。


「……気のせいか」


 キャンプ場に戻りながら少し後ろを振り返ってみたが、もうそこに葵の姿はなかった。

 持参していた厚手のジャケットを着込み、寒さでブルブルと震える体を両手で支えながら山頂付近のキャンプ場へと向かった。


 ─────


「……あいつ遅いな」


 キャンプ場に戻ってから2時間ほど経過し、そろそろ時刻は8時半を過ぎようとしていた。

 しかし、一向に葵が戻ってくる気配はなかった。


 ふと葵の言葉が脳裏を過ぎる。


『 っ……あと少しで終わるから! もうちょっとだけ!』


「……なんであんなに必死だったんだ?」


 一体何が葵をあそこまで駆り立てるのだろうか。

 信念か、根性か……いや、そんなものではない気がする。



 ……誰かと約束でもしてるのか?



「……っ!」


 そう考えた時には反射的に体は動いていた。

 部屋に戻り、つい先程も着ていた厚手のジャケットを取り出す。

 風は先程よりかなり強くなってしまっているが、そんなことを気にしている暇はなかった。


 素早く着替えを済ませ、すぐさまキャンプ場から駆け出した。


 外に出て走っていると、自然と体が軽くなっていることに気づいた。

 運が味方してくれているのか、進行方向に追い風が吹いているらしい。


 全速力で山道を走りながら、俺は2年前出来事を思い出していた。


「なんで……馬鹿野郎っ!」


 心の中でそう叫びながら、ただひたすらに薄暗い道を無我夢中で走った。


 ─────


 2年前



『今日はついてきてくれてありがとね。せっかくのお盆潰しちゃったけど……大丈夫だった?』

『別にいいよ。どうせ親は研究が忙しくて帰って来れないだろうし』


 葵とは幼稚園の頃からの腐れ縁で、昔から遊ぶ機会が多かった。

 俺の両親が仕事で忙しくて帰りが遅い時や夏休みといった長い連休の間はよく葵の家に引き取ってもらっていたからだ。


『そっか。あ、今日の星どうだった?』

『すごく綺麗だったよ。ペルセウス座だっけ。星と星を繋げて見ることなんてなかったから少し感動したな』

『なんか大袈裟だなぁ』

『というか、急に呼び出して星座一緒に見ようって……葵は星に興味が出たのか?』

『まぁね……あ、あのねゆーくん』


 あの日も、いつもと同じように遊んでいた。

 お互いの好きな宇宙や星について語り合って、笑い合う、俺にとってそれはかけがえのないものだった。


『どうした?』

『私……優斗のことが好き』

『……!?』

『だ、だ……だからね!───』


 ─────


「なんでこんな大事なこと忘れてんだよっ……」


 急いで葵がいるはずの場所へ向かう。


『なぁ、今日は多分星見れねぇぞ』


 ……違う。今日じゃなきゃダメなんだ。


『星なんてどれも同じだろ?』


 ……違う。

 あの星は、今日の星だけは特別なんだ。


 散々前から約束させておいて、自分で勝手に忘れて、葵の想い踏みにじって……クソみてぇだ。


 そんなことを考えていると、いつの間にか山頂に着いていた。

 それに遅れてくるようにして全身に疲れが波のように押し寄せてきた。

 一気に体が重くなり、膝から崩れ落ちてしまった。


「……馬鹿野郎。こんなとこで倒れてどうする」


 自分にそう言い聞かせ、不安定な足取りで「約束の場所」へと向かった。


 ─────


 やっとの思いで山頂へたどり着くと、そこには大の字になって地面に寝そべっている葵の姿があった。

 倒れてしまったのかと思い慌てて駆け寄ると、葵はすぅすぅと寝息を立てていた。

 恐らく力尽きてそのまま寝てしまったのだろう。


「おい、大丈夫か?」


 揺すっても起きる気配はない。

 しかしこのまま寝かせておく訳にもいかないので1回頭と腰を起こし、太ももあたりを強引に持ち上げ、背負ってキャンプ場に戻ることにした。


「……ごめんな」


 聞こえてないことは承知の上だが、それでも先に謝っておきたい。

 きっと葵は深く心を傷つけられてしまったのだから。


「俺は……葵が幼馴染でよかったと思ってる」


 つい、本音がこぼれてしまった。

 でも、今更黙っているのも億劫なのでこの際全部言ってしまおう。


「俺、こんな性格だからさ、周りから浮いてることが多くてさ……その寂しさや苦しさを全部地球とか宇宙のこと調べて誤魔化してたんだ。『俺にはあんな奴らより誇れるものがあるんだ』って」


 気のせいか葵の全身に力が入った気がした。

 まるでこれから何か辛いことを我慢するかのように。


「でも、そんな俺を葵だけはすごいって言ってくれて、すげぇ嬉しかったんだ。褒めてくれて、尊敬してくれて。……今はどう思ってるかわかんねぇけど」


 ─────


『だ、だ……だからね!────わ、私も自分に誇れるものを見つけたんだ! ゆーくんみたいに! だ、だから……これからも頑張るから……私を好きになってもらえませんか!!』


 ─────


「あの時葵は俺に告白してくれたんだ。すげぇ嬉しかったよ。なんかめちゃくちゃな告白だったけど」


 当時の俺はその告白をどうしていいか分からず、一旦保留にしてしまった。


 その時葵は、こう言ってくれた。


『じゃあ、3年生になったらとき、もう1回 お盆に誘うからさ、その時に教えてよ』

 


 今更かもしれないけど……伝えたい。



「俺は……好きだよ葵のこと。あの時からずっと」

「すぅ……ぅ!?」



 背後で明らかに動揺した声が聞こえた。

 ……今、ここにいるのは2人だけだ。


「あ、葵!? 起きてたのか!?」

「いや……こ、これは……そのぉ……」


 葵は目線をこれでもかと言うほどに泳がせていた。

 ……こっちは告白してしまった立場だ。

 保留にしていた俺が言えることではないが、答えを聞かせてほしい。


「……答えてくれ」


 精一杯の声で絞り出すように言った。

 ただでさえ全速力で走ってきたせいで体に負担がかかっているのに告白を聞かれて肉体的にも精神的にも疲弊しきっている。

 ……今フラれたらしばらく立ち直れそうになさそうだ。



「……私も好きだよ。ゆーくん」



 そういうと葵は俺の背中に顔を埋め黙り込んでしまった。

 照れているのか葵の体が熱い。

 ジャケット越しでもだんだん熱が伝わってくるのがわかった。


 き、気まずい……。


「と、とりあえず戻るか」

「……そうしよっか」

「体冷えてて寒いだろ? キャンプ場に戻ったら風呂入れよ」

「え、それって……一緒に入るの!?」


 葵は告白した反動か頭のネジが弾け飛んでしまっているようだ。

 ……もちろん否定するつもりだったが、咄嗟のことで反応に遅れてしまった。


「優斗、顔真っ赤だよ……!?」

「葵だって茹でたこみたいだぞ」

「う、うるさい……下ろして」

「おう……わりぃ」

「……優斗が2年も待たせるからだぞ」

「……すまん」


 しばらく歩くと、キャンプ場の入口に着いた。

 

「あ、あれ流れ星じゃない?」


 いつの間にか晴れていた空には、いくつかの流れ星が見えた。流星群だろうか。


「滅多に見れないしな。なんか祈っとくか」

「そういえば流れ星って目をつむると願いが叶いやすいんだって」

「そうなのか? 初耳だな」


 俺は言われるがままに目を瞑り、願い事を考えた。今の俺の願い……そうだな。


 ───葵を、幸せにできる人になりたい。


 夜空に降りしきる青い星に、俺は何度も心の中で願い続けた。


 その時、右頬に柔らかく暖かいものが触れた。しかし、目を瞑っていたため分からなかった。


「葵、俺の頬に何かついてたか?」

「私も願い事してたからわかんないな」

「そうか。……なんか葵顔赤くね?」

「……わ、私寒いからお風呂入ってくるね」

「お、おう」


 葵はそういうと俯いたままキャンプ場へと走り去ってしまった。


「……まさかな」


 冷たい夜風に煽られ、無意識に身震いしてしまった。


 うっすらと見えた葵の頬が真っ赤だったのはこの寒さのせいだろうか。それとも───

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