遠い日の誰かに捧げられた花

衞藤萬里

遠い日の誰かに捧げられた花

「先崎先生ー、出たよ、何か出たよー!」

 作業員の中川のおばちゃんが大声で叫ぶ。

「何かじゃわからーん!」

 こちらも叫びながら、先崎さんは小走りに駆け寄った。

 かがんだ中川さんの手にした移植ゴテの先には、鮮やかなオレンジ色のローム層中の石くれの先端がかすかに顔をのぞかせている。

「お、出たなぁ」

「先生、隣にもある、あ、また隣にもある、つながってる!」

「検出して、慎重に、慎重に」

 先崎さんもひざまずいて、自分の移植ゴテを取り出し、中川さんと頭をくっつけるように清掃をはじめた。

 虎杖遺跡は約一万七千年前の旧石器時代の遺跡だ。公立中学校の建て替えの事前調査で遺跡が確認されたため、二月前から十人ほどの作業員とともに先崎さんが発掘調査に入っている。

「何これ、何これ……」

 と中川さんは呪文を唱えるように、礫の検出をつづける。やがてだんだん様子がわかってきた。こぶし大ほどの礫が、ややいびつな楕円形に並んでいる。測ると長軸で八十㎝、短軸は五十㎝といったところだ。見たところ、礫で囲まれた箇所と地山に土壌の差はみとめられない。

「……何だろ、これ一体?」

「先崎先生、炉跡じゃない?」

 ベテランの中川さんは、そこらの調査員より経験がある。

「ちょっと大きすぎるし、焼土もない、礫も焼成を受けていない……違うなぁ」

「……じゃあ?」

「う~ん……」

 頭をひねりながら、先崎さんは一眼レフのデジカメとタブレットを持ってきて検出状況を記録する。

 

「後藤君、いたいた」

 その日の夕方、汗と土で汚れた作業服もそのままに本社に帰った先崎さんが、後輩の後藤君を見つけ、さっそく声をかける。

 先崎さんは大学で専攻した後、発掘調査を請け負う今の会社に入って以来、芳紀正に三十ちょっと。現場一筋であることの証左であるよく陽にやけたかんばせは、自己評価ではなかなか、他人の評価はまあまあといったところ。

 後藤君は彼女より三年後輩のぎりぎり二十代。こちらも真っ黒に日焼けをしたひげの剃り跡の濃い顔立ち。身長は百八十㎝を越え、重さは先崎さんの倍近く、柔道部かラグビー部かと間違えられそうな体格だ。

「君、君、これ見てよ」 

 デジカメのデータをパソコンに落としこみ、大きな画面に映し出す。後藤君は自分の椅子を転がしてきて、後ろから覗きこむ。先崎さんは引き出しから大袋に入った一口サイズのチョコをつかみ出すと、後藤君の掌とデスクの上とに分け、自分はさっそくひとつ口に放りこむ。

 例の礫の配列だ。

「縄文の炉跡?先崎さんの現場、プレだったですよね?」

 先崎さんとは違って、後藤君の大学の研究室は旧石器をプレと云う学派だ。

「立川ロームのⅢ層からⅣ層だよ、層序的には旧石器で間違いない」

「これプレの遺構ですか?こんなにはっきりと配列して、珍しいじゃないですか?」

「だけど遺構の性格がわからん」先崎さんが椅子の背に体重を預ける。「サブトレンチは入れたけど、立ち上がりがはっきりしない」

「でしょうね、プレなら期待できないでしょう」

「君、これ何だと思う?」

「礫でしょう?環状ブロックじゃないよなぁ」

「そう、石器製作にともなって石材が散ったわけじゃない。これただの礫だよ。きれいに楕円形に配置されてる。きれいすぎる。人為的だよ」

「集石遺構って云うしかないんじゃないですか?そして、報告書では祭祀遺構か?って書く」

 意味不明な遺構を、とりあえず祭祀遺構の可能性でごまかすのは、この業界で語られるまことしやかな、そして半ば事実のジョークである。

「んなこと書いたら君、あたしゃ即先生から呼び出しくらうよ」

「ご愁傷さまです」後藤君は神妙に掌を合わせる。「で、先崎さんは、何だと思います?」

「……土坑……埋葬?」

 先崎さんは云いにくそうに、だが慎重に答えた。音を立ててチョコをかみくだく。

「先崎さんもそう思った?サイズ的に屈葬しかないでしょうが……日本でプレの埋葬の遺構ってありましたっけ?」

「う~ん……」先崎さん、渋い顔になる。「海外だとネアンデルタール人の埋葬事例があったように記憶してるけど、日本ではどうだったかなぁ?」

 日本でも旧石器時代の人骨は複数出土しているが、多くが洞穴遺跡であり、実態がいまひとつの印象がある。それでも北海道の方で、土坑から石器や装身具が出土した墓の存在はうかがえる。

「でも先崎さん、プレでも人が死んだらそのまま放置ってことないと思います。埋葬しないわけないですよね?」

「あたしもしてると思う。家族や仲間の死を悼むって、人の営みとして絶対やってるはずだ、でも……」

「云えませんよねぇ、遺構だけじゃ」

 ふたりそろって頭をひねる。

「どうしよう、土壌、念のため全部持って帰ろうか?」

「う~ん……」後藤君は首をかしげる。「持って帰って、フルイかけてみます?」

「それもやるつもりだけど、分析できないかな?」

「脂肪酸分析ですか」

 土壌に残存する脂肪酸を分析することにより、ヒトの埋設が判明することがある。

「でも予算は?委託項目に入ってましたっけ?でなけりゃ、社長は絶対OK出さないですよ」

 先崎さんたちの会社は、市からの委託を受けて調査をしている。必要にかられて、ドローンでの空撮の回数を増やすぐらいなら社内部でのサービスの範囲内だが、外部委託になる分析などは、別に費用がかかってくる。取り決めた内容にない分析は、当然契約変更が必要となる。

「あれ、外部委託しないといけないからなぁ」

「ならせめて、花粉分析だけでもしませんか?K大の大畑教授に頼んでみたらどうです?」

 土壌中の花粉化石から、当時の植生を割り出す分析法だ。

「あの先生、縄文じゃなかった?」

「プレのデータもほしいって、前云ってましたよ。持ちこんだら、すぐには無理でも、余裕がある時にサービスでやってくれるって云ってましたから、お願いすれば何とか」

 よっしゃ、と先崎さんはこぶしを握った。


 遺構内の土壌をフルイにかけてみたが、結局何も出なかった。大畑先生はいつになるか約束はできないけどと云いつつも、花粉分析を引き受けてくれた。

 虎杖遺跡の現地調査も終了し、先崎さんはそのまま報告書作成に入る。後藤君の方は担当している現場と得意のドローンの空撮とで、あちこち飛び回り、お互い忙しい日々がつづく。

 先崎さんのパソコンに、大畑先生からの返信が来たのは、現場も終了して半年もたったころだ。分析の結果であった。

 データを開いた先崎さん。後藤君も帰ってきたので、いっしょに読みすすめる。

「コナラ亜属、ブナなどの落葉広葉樹、モミやカラマツといった亜寒帯針葉樹、あとクマザサか……」

「広葉樹と針葉樹が混在している、まぁ予想通りですね。今よりも気温が低くて、武蔵野は草原だったはずです」

 当時の武蔵野台地一帯は、最終氷期後の温暖化がすすみ、広葉樹と針葉樹が混在していたと推測されている。

 最後のコメントで、ふたりの視線が止まった。

『破損しているため具体的な種別は不明でしたが、樹木以外の、おそらくキンポウゲ属ではないかと思われる花粉が、一部の土壌からかなり集中して検出されました。うかがった遺跡の立地条件から、花粉が吹き溜まるような場所ではないことから、この検出の状況にはやや違和感があります』

「先崎さん、これって……」

「うん、キンポウゲ属……君、これ花だよね?」

「一部で集中ってことは……?まとまって置かれてた?それってつまり……」

「花を手向けたってこと?」

 先崎さんは怒ったように眼を細める。

「……やはりお墓ですか?」

 後藤君がぽつりと云うと、複雑な表情でふたりは顔を見合わせた。

 旧石器時代の墓だったら、新聞発表ものだ。だが、今わかっているのは、人為的に並べられた礫が検出され、花とおぼしき花粉が検出されたことだけだ。人骨が見つかったわけではない。断定するには弱すぎる。

「現場、のこってるならともかくなぁ……」

 先崎さん、大きなため息をつく。

 先崎さんの会社が請け負っている調査は、開発事業に先がけた記録保存だ。調査が終了したら即工事に入り、遺跡は消滅する。彼女が掘った虎杖遺跡は、もう記録の中にしか存在しない。再検証することはできない。

「云いたいね、断言したいね」

「無理です」

「報告書に書けるかなぁ、花粉分析の結果だけでも」

「教育委員会の担当、山田さん、あの人ならわかってくれますよ、相談してみたらどうです?」

「あぁ、くっそう……」

 先崎さんは情けない声をあげて、頬杖をついた。

 長い間、ふたりは黙ったままパソコンの画面を凝視していた。今日は誰も残っていないフロアで、空調の音だけが静かに響いている。

「これだけで、お墓って断定することはできません」

 再度、後藤君が未練を絶つように云った。

「わかってる」先崎さんは諦めたように、苦笑した。「報告書には花粉分析のデータを載せて、考察で可能性に言及する。最低限、データは公開する。データを積み上げていけば、いつかどこかで答えは出るはずだよ」

 それが考古学だ。今の自分たちも、先人たちの積み上げていたデータの山の頂にいる。そしてその山は、一瞬も停滞することなく高く延びていくはずだ。

「でも俺、きっとお墓だと思います。事例が増えて、いつか陽の目をみる時がきますよ、先崎さん」

「ありがとう。あたしもそう思う。でもね、答えを出すのがあたしたちじゃなくてもいい」

 たとえ簡単に証明することができなくても、それでも先崎さんは、今から一万七千年前の誰かに手向けられた花であると確信していた。そこに、人の死を悼む心があったと信じていた。その心に、先崎さんたちは一瞬触れたのだ。

「一万年以上昔の誰かが、あそこで死んだ人のためにお墓に花を手向けたかもしれないって……素敵だね。それを想像することができただけで……うん、それでいい、あたしはそれで満足だよ、君」

 そう云って先崎さんはデスクにひじをついたまま、これ以上ないくらい清々しく、そして幸せそうに笑った。


(了)

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遠い日の誰かに捧げられた花 衞藤萬里 @ethoubannri

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