武蔵野・昔の・巨人と行けば

 武蔵野を書いた文学者として、前話では、国木田独歩、田山花袋、正岡子規、徳富蘆花に触れました。

 ここでは、もう一人、独歩や花袋と共に文学活動を共にした人物による武蔵野をみてみましょう。

 その人は、柳田國男やなぎたくにおです。

 民俗学者柳田國男は、若い頃、詩を書いていました。


 その柳田國男が書いた武蔵野の話「武蔵野の昔」(大正8・9年)には、「ダイダラボウシの山作り、足跡の清水の口碑」といったくだりがあります。

 ダイダラボウシは、ダイダラボッチをはじめ多くの名称を持つ巨人です。

 その歩いた跡が土地に変化を及ぼすことから、国づくりの伝承との関わりもあるとされています。

 巨大な異形の存在の伝承が武蔵野にあるというのは、あやかし好きとしては気になるところです。


 日本各地に伝わる巨人伝説「ダイダラボウシ」については、柳田國男の「ダイダラ坊の足跡」(昭和2年)に詳しく記されています。

 彼は作中で、まず、「巨人来住の衝」と題して、「東京市は我日本の巨人伝説の一箇の中心地といふことが出来る」と宣言しています。

 それに続けて、武蔵野の巨人の痕跡について述べていきます。

 武蔵野の巨人の痕跡は、足形窪に見ることができます。

 足形窪は、巨人が踏んで歩いていったとされる足跡の窪地のことで、それは、田になったり池になったりします。


 「ダイダラ坊の足跡」によると、巨人の足跡は、代田と駒沢にあるとのことです。

 代田の方は、「大多ぼつち」が架けた橋との由来のある代田橋の東南に「(前略)長さ百間もあるかと思ふ右足片足の跡が一つ、爪先あがりに土深く踏みつけてある、と言つてもよいやうな窪地(後略)」といった様子のものが一つ。

 駒沢の方は、二つあって、一つ目は道路のすぐ脇で、「(前略)草生の斜面を畠などに拓いて、もう足形を見ることは困難であつた。しかし踵のあたりに清水が出て居り、その末は小流をなして一町ばかりの水田に漑漑がれてゐる」といった様子で、二つ目は雑木林の間で、「これは周囲の林地よりわづか低い沼地であつて、自分が見た時にもはや足跡に似た点はちつとも無く(後略)」といった様子をしています。

 

 異形の存在の伝承が、おどろおどろしく描かれているわけではなく、淡々と、それについてはこういう話があるといった描かれ方をしているのが、かえって真実味を帯びて興味深さを増すのが、柳田あやかし談なのかもしれません。


 さて、「ダイダラ坊の足跡」で紹介されている巨人の痕跡の様子は、昭和初期のものです。

 現在はどうなっているのか、巨人の痕跡を辿る武蔵野散策が、待たれるところです。




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武蔵野ところどころ 美木間 @mikoma

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