春を待ち、恋は君を追う

鳥居 脩輔

第1話

 次の列車までは、まだ時間がある。


 短いプラットフォームの端にあるいつものベンチに浅く腰掛けて冷たい灰色の空を見上げれば、白い雪がチラチラと舞っていた。

 珍しい。比較的温暖なこの地域で雪が降るなんて年に一回あるかどうかだ。


 「ああ、どうりで寒いはずだ」


 ひとりごちて確かめるように大きく吐き出した息は、白い湯気となりやがて消えていった。

 ただでさえ利用者が少ないのに、こんな寒い日じゃ外で列車を待つ人などいない。田舎の駅の数少ない乗客たちは風の防げる待合室で列車が到着するのをギリギリまで待っているのだ。


 古びたマフラーをぐいとおしあげて口元を隠す。

 イヤフォンでは全曲ソラで歌えるお気に入りのアルバムが流れていて、マフラーで隠れた口許は小さく歌を口ずさむ。

 晩冬のプラットフォームには相変わらず人はいない。昔、彼といた時と同じように他には誰もいない。少しくらい歌っていても誰にも聞こえない。



 恋をしたのはいつだろう。



 わたしが生まれたときから彼とはずっと一緒だった。

 出会った時のことなんか、お互い当然覚えていない。気づけばそばにいたしそれが日常だった。当たり前だった。

 人数が少なくてクラス分けもできないような小さな田舎の学校とはいえ、私と彼は性別も違うし学年も1つ違うので本来はだんだん疎遠になっていくのだろうが、いつもいつでも彼の後ろをついて回っていたのだから本当は昔から好きだったのだろう。



 恋だと気づいたのはいつだろう。



 彼は高校にあがって電車で通学するようになった。一緒にいる時間は減ってしまったが、そのぶん私も勉強に打ち込むことができた。成績もぐんぐん伸びた。

 志望校は当然彼の通っているところ。というか他に選択肢があるとすら考えていなかった。当時は『違う高校ところに行ったら負けたみたいになるから』なんて言い訳をしていたけれど、当時のわたしは本当に素直ではなかった。まあ、まわりの人間に言わせれば『今でもぜんぜん素直じゃない』とのことだけど。

 それでも素直じゃない分だけ頑固で意地っ張りなおかげで、中学二年の時には絶望的だった志望校うちに無事に合格できた。


 そうして、喜び勇んで彼にドヤ顔で合格の報告をしたとき、彼は『おめでとう』や『よかった』なんてことは言わないで、


「それじゃあ、また一緒だな」


と、言って笑った。何気ないひとことだったけれど、それが何よりも嬉しくて、胸がドキドキしたのを覚えている。そのひとことですべての努力が報われた気がした。



 恋だと認めたのは一年前だ。



 いつまで経っても仲のいい友達のような関係のままで、それでもいつまでもずっと一緒にいられるような気がしていた。彼が高校を卒業したら東京の大学へ進学希望していることをずっと前から知っていたのに、そんなことは何でもないようなフリをしていた。


 それなのに彼の受験の日の朝、〈がんばれ〉とメッセージを送るのにすごく時間がかかった。一人で乗るようになった通学電車の中で、なんどもその4文字を書いては消したけど、結局それに代わる気の利いた言葉は思い浮かばなかった。


 そうして迎えた合格発表の日は朝から何も手につかなかった。自由登校となっていた彼は家で結果を待っていたので、その日も私は一人だった。

 少し早い春の日差しに教室の空気は緩んでいて、教師の声は意味のある音としては聞き取れず、私はただ教室にかかっている時計だけを眺めて一日の時間を過ごしていた。

 授業の途中でスカートのポケットに入れていたスマホが何度かブブっと振動したが、結局学校でその画面を見ることはなかった。


 放課後を迎えてからも、わたしは何をするでもなく夕暮れまで一人教室で黄昏れていた。クラスメイトたちが三々五々に去って行ったあとのホームルームで、流れていく雲の形と変わっていく空の色をただ一人眺めていた。


 そうして日も暮れかけてから、ようやくのろのろと家路に就いたとき、駅のいつものベンチで見慣れた男がボケっと夕日に照らされて黄昏れているのをみつけた。

 近づいていくと、彼もこちらに気づきそっとスマホの時計を確認してから、横に置いてあった荷物を除けてそこに座るように促した。


「なんでこんなところにいるの?」


座りながら、そう問うと、


「先生に合格の報告をしに学校に行った帰りだ」


彼はそれだけ答えて、また空を眺めた。


「そっか」


わたしもそう答えて空を見上げると、太陽はやまに沈みかかっていて、雲は紫色に光っていた。

 『おめでとう』や『よかったね』なんて祝福の言葉だったり、『寂しくなるね』や『行かないで』なんて惜別の言葉は続けることができなかった。いろんな気持ちがあふれたけど、何一つ言葉にはならなかった。

 それから、そうした思いが過ぎ去った後にわたしの胸を満たしていたのは、

『わたしはこのひとが好きなんだ』

という言葉だけで、でも、それも結局は声にならないでいつの間にか涙となって頬を伝うだけだった。


 それから1年が過ぎた。


 眠るような春をやり過ごし、だる暑さの夏を乗り越え、寂しい秋を耐えて、凍える寒さの冬を迎えた。

 季節が巡る間、わたしはただひたすらに勉強をしていた。

 そうして、長い冬はもうじき終わる。

 わたしの吐く白い息は、雪のかけらを細かい雨へと変えていく。

 わたしの歌うくちびるは、終わりく季節に別れの言葉をつむぐ。

 まもなく暖かい春が来る。

 春が来れば、この線路の伸びる果てまでわたしは行ける。



 春を待ち、わたしはあなたに会いに行く。

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春を待ち、恋は君を追う 鳥居 脩輔 @torisuke57

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