坂井真白③
月曜の足はいつになく重たかった。
優月の体調はどうだろう。お見舞いの品を持って土日にでも出直せばよかったのに、スマホの画面と再び向き合っているだけだった。
ずっと言葉を考えている。ただシンプルに伝えればいいのに、あれこれ巡らせていると気持ちがぐずってしまう。
『優月のこと、本当に大好きだよ。大好きだから分かってほしくて。本当にごめん。ごめんなさい。私が遠くに行けば優月は絶対に追いかけてくるだろうから、会えなくて寂しい思いをさせてしまうから、そんなことに耐えられない私を許してください。あなたのことが、とてもとても大切だから』
こんな文章で伝わるのかな。
長すぎ? でも、きちんと伝えなきゃダメだし、あぁ、でも言いたいことがまとまってない。ぐちゃぐちゃしてて、言い訳がましいような。
そして、打ち込んで送信してしまった言葉に、返事はない――
気が重たいというレベルじゃなく、学校へ行くのすら億劫で仕方ない。そんな朝が過ぎて、教室にいる私は普段を装いつつ、ぼうっとしている。
そして、ふいに通知を気にしては、スマホを眺めている。落ち着かない。
今日という日を、みんなはゆっくりと穏やかに名残惜しそうに過ごしているのに、私はどうにも気を逸らせていた。
だからだろう。時の流れを早く感じていて、終業のチャイムが鳴っても教室に残ったままで、鳴らないスマホに願っていた。返事を。
本当は部室に行って後輩たちとお別れをしなくちゃいけないのに、段々といなくなるクラスメイトを尻目にたそがれている。
その時、放課後ラジオのBGMがスピーカーを震わせた。
『みなさん、お疲れ様です。放課後ラジオのお時間です。本日、担当は放送部副部長の新里優月が務めます』
夕暮れに静かな声が響いた。その音にはっとする。
『金曜担当なのにMCが風邪引いちゃうなんて、腑抜けてますよねぇ。すみません! というわけで、月曜担当と入れ替わってみました』
――優月だ……
今日は月曜なのに、優月の声が流れている。
『さてさて、今日で三年生は卒業式を除いて最後の登校日ということですが、まだ残ってる人はいるのかな。いたら最後まで聴いててくださいね。そんな三年生のために、後輩たちから素敵な贈る言葉が届いています』
いつもよりも慎重で穏やかな声音。優月はそれから、後輩たちからのメッセージを丁寧に読み上げていった。
部活の先輩へ、委員会の先輩へ、生徒会の先輩へ、あらゆる後輩たちのメッセージを、私は直接関係ないのに受け止めている。優月の声だからかな。全部が温かくて心地よくて、胸にくる。
もう最後なんだ、と寂しさが押し寄せてくる。
『みなさん、お別れの挨拶は済んでますか? まだなら今がチャンスですよー……はい、では、ここで一曲かけましょう。姉に勧められて、昨日、僕も初めて聴いたんですけどね、この季節にぴったりなナンバーだと思います。それではお聴き下さい。BreeZeで《横顔にさよなら》』
途端、切なげなベースの音色がかかった。ゆっくりとした音調。バラードかな。ボーカルの静かに語るような詞が流れ込んでくる。別れを惜しんで、煮え切らない気持ちを切々と綴っていた。
『あぁ、もう時が止まればいいのにって
思う僕を許してくれないか
何も言えなくて ただ 切なくて』
それを聴いていると、もう居てもたってもいられない。いつの間にか、椅子を倒して教室を飛び出した。
『あぁ、この道が終わらなければいいのに
空は淡々としていて
いつかの日々も またいつかの夢も
通り過ぎ去って
あぁ、君の手を掴んでしまえばいいのに
出来ないのはずるいですか』
あぁ、もう曲は終わりに向かっている。その前に放送室の扉に辿り着いて、肩で息をしながら窓を見つめた。
音響室のさらに奥、収録室にいる優月はヘッドホンをしていて私には気づかない。
ここでもまた意気地なしで、堂々と扉を開けることが出来ない私は窓の前で立ちすくんで彼の横顔を眺めていた。
どうしよう。曲が終わってしまう――
最後の音がフェードアウトしていくと同時に、優月の口が動いた。
『……それじゃあ、最後に。僕からもいいですか。ほら、僕にだって敬愛する先輩方がたくさんいるんですよ。こうしてラジオを任されたり副部長になるまで先輩方から厳しく優しく指導していただいて……本当にありがとうございました』
おどけた口調。それだけで、張り詰めていたものがほっと安心する。でも、頭にはあの曲が染み込んでいて離れないから寂しいままだ。
『……それと、もうひとり。僕の一番の支えとなった人も三月に卒業してしまうので、この場をお借りします』
突然落ちたトーンにドキリとした。スピーカーと窓へ交互に目を向ける。彼の横顔しか見えないのに、何故か目の前にいるような感覚だった。
微量なノイズに、優月が息を吸う音が交じる。
『坂井真白さん。僕はあなたのことがずっと好きです。これからもずっと。僕の思いをあなたなら分かってくれるはずです。そして、僕もあなたの思いをよく分かっています。わがままでごめんなさい。あなたが優しいから、僕はいつも甘えてばかりでした。本当は離れたくないです。いつまでも、ずっと一緒だって思ってた』
声が途切れる。そのせいで、私の嗚咽が廊下に響く。まだ談笑していた子たちの視線も気にせず、鼻をすする。
そんな私を優しく包むように、優月の声が続いていく。
『僕はあなたの夢を応援します。応援、できると思います。多分。自信はないけど、でも、真白のことが何より大事だから……あなたの夢が叶うまで僕も頑張ろうと決めました』
顔を上げると、彼は私を見ていた。真っ直ぐに。あの優しい笑顔を向けて。でも、ちょっと照れくさそうで。
『さよならの理由、しっかりと伝わっています。だから、もう泣かないで。二度と会えないわけじゃないんだから、いつかまた会える時にいっぱい話しましょう。笑いましょう。それまで、しばらくのお別れです』
優月が手を振ったから、私も自然と振り返す。
もう、大丈夫だね。
そう言い合うような、温かい空気をガラス越しに感じた。
***
いつまでも、ずっと一緒だって思ってた。この手を離す日がくるなんて思わなかった。でも、私たちならつながっていられる。解けるまでは。
見送りの道、彼はやっぱり拗ねたように口数が少なかったけど、しっかりと手を握っていてそれがとても温かかった。
「電話、するよ。手紙も書くし」
ボソボソと言う優月は、ラジオの時とは別人のよう。
「トークアプリでもいいんだよ?」
「いやだ。手紙がいい。だって、トークじゃ味気ないし。些細な連絡ならそれでもいいけどさ」
ムキになって言うから、思わず笑ってしまった。だからか、優月はまたもや不機嫌に顔をむっとさせた。
「いつでも帰っておいでよ。その時はもう絶対に離してやらないけど」
握った手が熱くなる。ぎゅっと強く。でも、もう離さないといけない。
「……私、頑張るよ。寂しくないって言ったら嘘になるけど、でも、やっぱり夢を叶えたい」
「うん。頑張って。僕も夢を追いかけるから、真白に負けないように頑張るから」
横に並んで歩く道は、終わりが近い。でも、分かりあえた私たちなのだから、きっと前を向いて歩けるはず。その先に何があろうとも。二人を裂くものがあろうとも。私たちは頑張れる、はずだ。
そう思いつつも名残惜しく、私は最後に彼の横顔を見つめた。
〈track5:横顔にさよなら/坂井真白 完〉
ミズイロと炭酸水と薄荷味【短編集】 小谷杏子 @kyoko
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