第95話 食材か調理技術か

「ユキコ女将! アンソンほど料理が得意じゃない俺様にでも作れて、奴をギャフンと言わすことができる料理を教えてくれ!」


「いっ、いきなり無理難題を……。ミルコさん、なにがあったの?」


「料理に関しては素人のミルコさんが、プロの料理人であるアンソンさんを唸らせる料理って難しいですよ。ねえ、ユキコさん」


「ええと……。ミルコさんでも作れる、それでいてアンソンさんをあっと言わせる料理? ボクも難しいと思うな」


「そんな料理があったら、僕だって知りたいですよ。いい加減、女将さんから離れてくださぁーーーい!」


「うぐぐ……外野、うるさいぞ! これは俺様のプライドの問題なんだぜ! ユキコ女将、こういう時、男は慰めてほしいものなんだぜ 俺とユキコ女将のラブストーリーを邪魔するな……ボンタ、お前の力は強すぎなんだよ!」




 仕込みの前に昼食をとっていたら、突然店内にミルコさんが飛び込んできた。

 そして私の顔を見るなり、簡単に作れて、アンソンさんが驚くような料理を教えてほしいと縋りついてきたので、今、ボンタ君が全力で引き剥がしている。

 ミルコさんって、隙があれば私に抱きつこうとするから困ってしまうわね。

 もしこれが親分さんなら……。

 親分さんは、困っても私に縋りついてこないけどね。

 そういう部分が、親分さんとミルコさんの決定的な差なわけで……。

 あっ、でも。

 もし親分さんが私を頼ってきたら……それはそれでいいかも!


「プライド云々言ってる人が慰めてほしいとか、矛盾してますよね……」


「ボンタ、お前はひと言多いんだぜ!」


「それで、なにがどうして簡単に作れてアンソンさんを感心させる料理に繋がるんです?」


「ユキコ女将、よくぞ聞いてくれたぜ! それはだなぁ……」


 詳しい事情を聞きたい私が誘導したら、ようやくミルコさんは私に縋りつくのをやめ、事情を説明し始めた。





『アンソン、注文の肉を持ってきたぜ。このところ、熟成肉の注文が増えて在庫が厳しいんだが、俺様とアンソンの仲だ。注文どおりの量を納めるぜ』


『すまんな、ミルコ。最近は早めに品切れしてしまうから、本当はもっと欲しいんだけどなぁ』


『生産量を増やすまで我慢してほしいんだぜ。焦って生産量を増やすと、品質が落ちてしまうんだぜ』


『それはいただけないから、今は辛抱して待つしかないか。お前が納品してくれる熟成肉を使った料理は人気だからな』




 今日も、アンソンのレストランに注文のあった肉を納めたんだ。

 昔からの仲だし、アンソンの店も最近客が増えていて、当然納める肉の量もかなりの量だった。

 特に足りないのは熟成肉なんだけど、そう簡単に生産量は増やせないからな。


『新メニューの、ウォーターカウの熟成肉ステーキセットがよく出ていてな。俺が作る野菜の前菜も好評だぞ』


『らしいな。評判はこっちにも流れてきているんだぜ』


 ステーキって基本焼くだけだから、アンソンも最初は不満だったんだぜ。

 それをユキコ女将が、ただ焼くだけだからこそ逆に難しいとか、トンチみたいなことを言い出したら、アンソンも随分とステーキの焼き方を研究してな。

 ステーキにかけるソースも、ユキコ女将に言われて種類を増やし、客が自由に選べるようにした。

 あとは、前菜、サラダ、スープなど、サイドメニューが美味しくないと、ステーキも不味く思われるって言われて、そちらも改良を重ねていたっけ。

 おかげで、アンソンのレストランのステーキはえらく評判になっていた。

 メインのステーキがあるから、前菜は野菜だけで作った方がいいってユキコ女将から言われた時、俺様もアンソンもかなり驚いた。

 野菜なんてサラダ以外は添え物扱いだから、それだけで一皿作るのは難しく、アンソンはえらく苦労していたのを思い出す。

 でもニホンだと、野菜だけの串とか。

 茄子をラードで揚げてから、氷水で薄めて冷やしたダシショウユに浸し、その上に刻みネギをのせたものとか。

 皮を剥いたタマネギを丸々一個、魔獣の骨で取ったスープでじっくり煮込んだものとか。

 毎日出るわけじゃないけど、ユキコ女将が作る評判の野菜料理を参考にして、アンソンは前菜を上手く仕上げた。

 野菜だけの料理を、アンソンや他の王宮の料理人たちは思いつかなかったのか?

 俺様は不思議だったんだけど、アンソンが言うには、高価な料理には必ず肉か魚が主役として使われるものなんだと。

 昔からの習慣というか、決まりなんだろうけど、ユキコはそんなこと気にしないから、色々と面白い料理を作り出す。


『ユキコが俺に言うんだ。独立してお店を持ったのなら、王宮料理人の古くからの決まりに囚われず、自由な発想を持った方がいいって。実際、夜の部のコースで出している野菜メインのメニューも、女性や健康を気にする年寄りに人気だからな』


『確かに、高いお店ほど野菜単体のお皿はあり得ないというか、確かにほとんど見たことがないな』


 たまに仕事の付き合いで高価なレストランに行くけど、高いコースほどどの皿にも肉と魚が必ず使われている。

 魚は主に川魚か、海の魚でも塩漬けか干し魚だから、そんなに美味しくないしな。

 ユキコ女将なら、美味しく調理できるんだろうけど。

 野菜だけの料理は材料費が安くなるから、高級レストランほど低く見られてしまう。

 でもそこは、品質のいい野菜を栽培する農家と直接契約して野菜を仕入れたり、魔獣の骨や筋で取った出汁を用いて味をよくしたり、盛り付けを工夫して、見た目も楽しめる野菜のフルコースを作っていた。

 アンソンは腕がいいから、ヒントがあればなんとかしてしまうんだよな。


『そんなわけで、ユキコも俺も日々料理を進化させているわけだ。ミルコも食材の質を高めて評判を得ているが、料理は最終的には料理人の腕ですべてが決まる。質の悪い食材でも、料理人の腕でなんとかなるから、料理で一番大切なのは調理技術ってわけだ』


 突然アンソンは、料理は食材の質よりも料理人の腕前だと言い始めた。

 俺様はそれはおかしいと思ったから、思わず反論したんだぜ。


『俺様が卸す肉があるからこそ、アンソンのステーキも、他の肉料理も評判なんだせ。同じ料理でも食材の質に差があれば、味に大きな差が出てしまう。俺様の肉は料理の素人が調理しても美味しいから、食材の質は重要だし、だから俺様の商売は順調に拡大してるんだぜ』


 いくら料理人に腕があっても、食材が腐っていたらどうにもならない。

 逆に食材がよかったら、素人が焦がさないように焼くだけでも美味しい。

 ならば食材の質を日々高めてる、俺様たちの方が優れているってものだぜ。


『いくら食材がよくても、出来上がる料理の美味しさは調理人の腕前に大きく左右されるもの。だから料理人の腕前の方が重要に決まってるじゃないか』


『そんなことはないんだぜ! 世の中には食材の質こそが重要で、素人でも作れる美味しい料理は存在するんだぜ!』


『ステーキだって、一見ただ焼いているだけのように見えて、色々と細々としたことに気を使っているんだ。誰が作っても簡単で美味しい料理なんて存在するわけがない』


『いいや! 存在するはずなんだぜ!』


『絶対に存在しないね!』


『存在するぜ!』


『しない! なら、その料理を俺に食べさせてみろ! そうしたら認めてやる』


『その言葉を引っ込めるなだぜ! 絶対に簡単に作れて美味しい肉料理をアンソンに食べさせてやるんだぜ!』


 アンソンの奴!

 俺様が絶対に誰でも簡単に作れて美味しい料理を見つけ、お前をギャフンと言わせてやるんだぜ。





「とまぁ、つい売り言葉に買い言葉で、アンソンに大見栄を切ってしまったんだぜ」


「……誰が作っても同じくらい美味しい肉料理って……。難しいわねぇ」


「そこをなんとか! ユキコ女将、将来の夫のピンチなんだぜ!」


「……私は、ミルコさんの将来の妻ではないけどね」


「そこはすぐに否定しないでくれだぜ! 寂しくなるんだぜ!」


 ミルコさんって、顔も家柄もいいし、最近はお仕事を頑張って稼いでいるから、無理して他所者の私と結婚なんてする必要ないでしょう。

 家族が反対するだろうし。

 それにミルコさんには、妹分のファリスさんがお似合いだと思うわ。

 ファリスさんて……。


「ユキコさん、どうかしましたか?」


「えっ、あっ、ううん。なんでもないの」


 一緒にミルコさんの話を聞いていたファリスさんの、育ちに育った豊かな胸につい注目してしまったわ。

 男性って、彼女みたいな母性溢れる豊かな胸が好きなはずだから。


「女将さん、ミルコ兄様が言う誰が作っても美味しい料理なんて存在するのでしょうか? 料理は腕前によって味が大分変わると私は思うんです」


 ファリスさんは、誰が作っても美味しい料理なんて存在しないと思っているようね。

 確かにそんな料理があったら、今頃その料理を出すお店が王都に多数出店して、激しい競争を繰り広げているでしょう。

 だって、誰にでも美味しく作れるのだから。


「厳密に誰でも作れて美味しい料理というものは存在しないかもしれないけど、それに近い料理を作ってみましょう、材料はこれよ」


 私は、カウンター席の上に料理の材料を置いた。


「ウォーターカウの肉か。大きめにカットしてあって、肉の状態は最高だぜ」


 さすがはミルコさん。

 私が用意した肉の塊が、すぐにウォーターカウのお肉だと気がついたようね。


「まずは、地下の氷室から取り出して常温に戻したウォーターカウの塊肉の表面を、フライパンで満遍なく焼き固めます」


 でも、あくまでも表面だけを焼き固めるだけ。

 その目的は、お肉の中の旨味を逃がさないようにするためよ。


「ユキコ女将、これだと肉の中は生のままなんだぜ」


「これから、じっくりとお肉に火を通すのよ」


 一旦表面を焼き固めた肉をフライパンから取り出し、フライパンの底に一センチほどの厚さにカットしたタマネギを敷き詰める。


「そしてエールを注いでから、表面を焼き固めた肉をタマネギの上にのせる」


「女将さん、お肉がフライパンの底に直接触れないようにタマネギを敷いたんですね」


「そうよ。直接フライパンで焼くと、肉の内部に火が通る前に表面が焦げてしまうし、この料理ではただ塊肉の中に火を通す方法では駄目なの。そしてフライパンに蓋をして、お肉を蒸し焼きにするわ」


「随分とまどろっこしいことをするんだぜ。火力を極力低くして、じっくりと焼いては駄目なのか?」


「それだと、ただの塊肉のステーキになってしまうから。蒸し焼きにすることで、ゆっくりと肉の中心部に火を通すためでもあるけど。ステーキならもっと肉を薄くカットするし、フライパンで直接焼いた方が早いじゃない。肉を蒸し焼きにする時間は、片面五分ずつってところね」


 片面を五分蒸したら、蓋を開けて塊肉をひっくり返し、再び五分ほど蒸す。


「蒸し焼きが終わったら、すぐにこの肉を包む!」


「ユキコさん、それってスライムシートですよね?」


「そうよ。前にララちゃんに買いに行ってもらったものね」


 この世界には、日本だと空想の生物であったスライムが生息していて、その体液で作ったシートが世間に普及している。

 でも日本で有名なRPGに出てくるスライムとは違って、洞窟の天井に潜んでおり、その下を通った人間や魔獣を包み込んで溶かしてしまう厄介な魔獣だから、スライムシートは高価だった。

 最近お店の経営状態がいいから、購入するかどうか悩むほど高額だとは思わなかったけど。


「女将さん、スライムシートを料理に使うんですか? これって……」


 スライムシートは水を通さず、熱にも強いから、船や馬車で荷物を運ぶ時に使われる。

 防水シートの代わりに使われることが多いから、ファリスさんもまさか料理に使うとは思わなかったようね。

 本当は焼いたお肉を包むのにはアルミホイルがよかったんだけど、この世界にアルミホイルは存在しないので、スライムシートを代わりに使うってわけ。


「蒸し焼きにした肉を、このスライムシートで包みます」


「あのぅ……食べ物を直接スライムシートで包んで大丈夫ですか?」


「このスライムシートは新品だし、ちゃんと消毒したから大丈夫よ」


 エールから作ったアルコールでバッチリ消毒したし、他の用途には使わないからね。


「蒸し焼きにした肉をスライムシートで包んで、さらに毛布で覆います」


「ユキコ女将、なんの意味があるんだぜ?」


「まだ塊肉の内部に熱が籠っているのを利用して、さらに加熱していくの。中心部にまでじっくりとね」


 この方法なら、お湯を使わずに低温調理が再現できる。

 いくら魔法が使えても、お湯の温度管理をしながら長時間低温調理をするのは面倒だから、この方法の方が手間がかからないわ。


「三十分ほど、このままにしておきます。今のところ、調理手順さえ覚えれば子供でも作れるはずよ」


「確かにだぜ」


 あと三十分ほど塊肉に熱を通せば、これでほぼ完成ね。


「三十分経ったわね」


 じっくりと加熱した塊肉の塊を覆う毛布とスライムシートを外して、スライムシートの内側に肉汁が溜まっていたから成功ね。

 塊肉の内部にまで、じっくりと火が通った証拠よ。


「ユキコ女将、塊肉から出た血は捨ててやるんだぜ」


「駄目よ! これは血じゃないもの!」


 お肉の美味しさを構成する、大切な肉汁を捨てるなんて勿体ないわ!

 このスライムシートの内側に溜まった肉汁には大切な使い道があるから、ちゃんと容器に入れて取っておかないと。


「そして、スライムシートで包み込んで仕上げた塊肉は……」


「カットするなら、俺様に任せてくれだぜ!」


「駄目よ! これは消毒した綺麗な布に包んで、地下の氷室で一晩保管します!」


「女将さん、どうしてですか?」


「スライムシートの内側に溜まっていた肉汁だけど、塊肉の中にもタップリと入ってる状態だから、すぐにカットしたら溢れ出てきちゃうの。冷蔵して一晩寝かせると、美味しさの元である肉汁が固定されるのよ」


「なるほど。さすがは女将さん!」


 ボンタ君は、料理への理解が早いわね。


「それでは、地下室の氷を切らさないようにしないといけませんね」


「じゃあ、これを食べられるのは明日なんだね。残念」


「そうなんだけど、その前にこの料理に合うソースを作るわ。練習がてら、アイリスちゃんにやってもらいましょう」


 すでに私が作った料理の正体はわかっていると思うけど、ローストビーフに合うソースを作らないと。

 それほど難しくないので、料理の練習がてらアイリスちゃんに作ってもらいましょう。


「スライムシートの内側に溜まっていた肉汁、擦り下ろしたタマネギ、やはり擦り下ろしたニンニクをよく炒めてから、エール、ハチミツ、醤油を入れて、トロミが出るまで焦がさないように混ぜながら炒めていく」


「こうですか?」


「上手よ。もう完成ね。このソースも明日まで冷蔵しておきましょう。ミルコさん、明日アンソンさんを呼んで試食しましょう」


「わかったぜ。でも、冷たい肉料理なんて珍しいんだぜ」


 この日はこれで解散となって、翌日の夜。

 お店にアンソンさんも姿を見せた。


「難しい調理技術を用いず、誰にでも美味しく作れる新しい肉料理をユキコが作ったとミルコから聞いたが、ただ肉の塊を焼いただけに見えるな」


「まあ、見ていてください」


 一晩冷やしたローストビーフ……ウォーターカウの肉だから、ローストビーフでいいわよね……を地下室から持ってくると、アンソンさんがあきらかに落胆した表情を見せた。

 ローストビーフって、見た目はただの表面が焼けた肉だから……。

 しかも冷えているし……。


「まあ確かに、ただ肉を焼くだけなら誰でもできるよな」


「アンソン、ユキコ女将は昨日色々と作業してこれを仕上げたんだぜ。ただ焼いた肉とは違うはずだぜ」


「ミルコさんの言うとおり! では、早速切ってみましょう」


 一晩冷やしたので、中の肉汁が固まったローストビーフを薄くスライスしていく。

 すると内部は見事なピンク色で、これは大成功ね。


「ユキコ、さすがに肉の生食は駄目だろう」


 この世界では、肉の生食はタブーに近い。

 アンソンさんはローストビーフの内部が赤いままなので、生焼けだと思っているのね。

 私に強く注意してきた。


「アンソンさん、この肉の塊に施した調理方法を用いると、内部の肉が赤いまま火を通せるんですよ」


「どういう理屈だ?」


「それはだぜ」


 私の代わりに、ミルコさんがローストビーフの作り方を説明し始めた。


「火やお湯でなく、余熱でも肉を調理? そんな調理方法があるんだな」


「この方法を用いた場合、肉はあまり変色せず、肉につくお腹を壊す小さな生物を熱で殺すことができるの」


 新鮮な肉を使い、細菌がつきやすい表面はちゃんと焼いてあるし、内部も低温調理でちゃんと加熱してあるから、まずお腹を壊すことはない。

 肉は赤いままなのに、ちゃんと火は通っている。

 作り方は一度覚えてしまえば、それほど調理技術に長けていなくてもできるはず。


「ただ……」


「ただなんだ? ユキコ」


「この料理は、あくまでも試作品、賄いだから、お客さんには出せないかも」


 元々ミルコさんに言われて、素材のよさを生かした、難しい調理技術を必要としない美味しい料理というリクエストを受けて作ってみただけで、これをお店で出せるのかと言えば……。


「私はちゃんとした手順でローストビーフを作りましたけど、誰かが手を抜いて、ただ古い肉の塊の表面を焼き固めただけなものを出してしまったら、食べた人がお腹を壊してしまうので」


 お店で食中毒なんて出したら、評判がガタ落ちしてしまうもの。

 だから、ローストビーフをメニューに入れるのはナシね。

 これからは、賄いで出すことにしましょう。


「それはないんだぜ、ユキコ女将」


「だってミルコさんは、高度な調理技術が必要ない料理を探していただけで、新商品が欲しいだなんて一言も言っていなかったから」


 正直なところ、アンソンさんをアッと言わせれば、それで終わりだと思っていたわ。


「この料理がお店で使えるのかどうか、あとで考えるとして、まずは試食してみようじゃないか」


「そうですね」


 私はローストビーフをよく研いだ包丁で薄く切り、それを小皿にのせてから、昨日作っておいたソースをかけ、この場にいる全員の前に置いていく。

 ソースがかかったローストビーフは美味しそうだけど、次からは付け合せもちゃんと作りましょう。


「どうぞ」


「本当に中は赤いんだな 」


「お腹を壊すから嫌ですか?」


「……確かに赤いままだが、まったく変色していないわけではない。手で触ると火傷するが、湯が沸騰する前くらいの熱さで長時間温める。実は調理人になったばかりの頃、勉強のためだと言われて古い肉を食べさせられたことがあって、その時は見事にお腹を壊した。その肉に比べると……新鮮で、確かに火は通っていて美味しいじゃないか」


 私が作ったローストビーフを試食したアンソンさんが、その味を褒めてくれた。


「このソースもいいな。隠し味……いや、肉を焼いた際に出る肉汁を入れてあるのか」


「さすがですね」


 アンソンさんの味覚の鋭さは本物だった。

 それは、優れた料理人として成功するはずよ。


「ユキコが用意した肉だからそれ自体が新鮮で美味しく、新鮮だからレアでも臭みなど一切なく、肉自体の美味しさが味わえる。さらに一晩冷蔵したおかげだろう。肉汁の旨味が内部にしっかりと残っているのがわかる。盛り合わせを工夫したら高級感も出るし、この料理を俺のお店で出せたら人気が出そうだな」


 アンソンさんは、私が作ったローストビーフを絶賛した。

 元々、ちゃんと作ればご馳走感がある料理だものね。


「ほら見ろだぜ。この料理は素材のよさが全面に出ているが、調理手順は、ユキコ女将から教われば誰でも作れるようになる。やはり料理は、腕前よりも素材が大切なんだぜ!」


 私が作ったローストビーフを絶賛したアンソンさんに対し、ミルコさんはこの勝負は自分の勝ちだと宣言した。

 ロ-ストビーフの美味しさは、調理技術ではなく、食材である肉の品質のよさが原因だと。


「ミルコがなにを言うのかと思えば……。確かにこの料理はそれほどの調理技術がなくても、作り方を教われば誰でも作れるようになるはず。だが、この料理を開発する過程では、多くの優れた料理人たちが、これまでの修行で得た様々な調理技術を駆使して、試行錯誤を繰り返したはずだ。この料理こそ、優れた調理技術がもたらした成果ではないか」


「しかしだぜ」


「肉の表面を焼き固めて肉汁が逃げ出しにくくし、肉の中に火が通り過ぎないよう、フライパンの下にタマネギを敷いて直接熱したフライパンと肉が触れないようにしている。蒸し焼きが終わってから、スライムシートで包んで余熱で調理するなんて、俺から言わせれば技巧の極致だぞ。つまり、やはり料理には優れた調理技術こそがなによりも重要なんだ。ユキコもそう思うだろう?」


「ええと……」


 食材の質か、調理技術の高さか。

 私に言わせればどちらも必要だと思うのだけど、ミルコさんとアンソンさん。

 共に、自分の仕事に自信があるからこそ、傍から見たら子供の喧嘩のような状態になってしまったのだし。


「(『両方共必要だと思います』、みたいな玉虫色の返答をすると駄目な気がするけど、どう言えばいいのか悩むわねぇ……)」


 私の返答を待つ二人……二人とも、私が自分に有利な返答をするのを期待しているのが丸わかりね……の圧に押され、どう答えようか迷っていた時。

 ちょうどオープンの時間になって、親分さんが入ってきた。

 今日はテリー君や自警団の子たちと一緒じゃなくて一人なのね。


「よう、女将。うん? ミルコとアンソンは、今日は随分と早いじゃないか。しかも、なにやら新しい料理が……」


「親分さんも試食しますか?」


「女将の作る料理はどれも美味しいからな。一つ貰えるかな」


「わかりました、ローストビーフですね」


 本当は正式なメニューじゃないんだけど、親分さんが私の作る料理はどれも美味しいなんて言ってくれたら、是非ローストビーフを試食してほしいところ。

 数枚を薄くカットし、付け合わせとして、昨日肉を蒸し焼きにした時にフライパンの底に敷いたタマネギをフライパンで加熱してから添える。

 最後にアイリスちゃんが作ってくれたソースをかけると、レストランのメインディッシュとしても成立しそうな、ローストビーフ皿が完成した。


「ユキコ、親分さんの分は随分と綺麗に盛り付けるんだな。しかも、うちで働いている弟子たちよりも綺麗に盛り付けるじゃないか」


「ユキコ女将、ズルイんだぜ」


「今この瞬間から、ニホンの女将は、お客様への料理の提供を始めましたから。二人の分は、あくまでも試食でぇーーーす」


「「くぅーーー」」


 だって、親分さんにはいつも美味しいものを食べてもらいたいから。

 美味しいものって、見た目も重要だから盛り付けもしっかりとね。


「ほほう、肉料理か。おおっ、これは美味い。外だけ焼けていて、中がレアで柔らかくてジューシーなのがいいんだな」


「気に入ってもらえてよかったです」


「でも、作るのが大変そうだな」


「作るの自体はそれほど難しくないんですけど……」


 親分さんにローストビーフの作り方を教えると、彼は突然笑い出した。


「いや、この料理はそう簡単に作れるものじゃないよ。似たようなものは誰でも作れるが、これほど美味しく、安全に作るには、細心の注意を払わないといけないはずだ。女将だから作れるんだ」


「そうでしょうか?」


 私からしたらローストビーフの作り方なんて、移転前にネットで探したレシピを元に作っているから、時間はかかるけどそこまで大層な料理とは思えないのよねぇ……。

 この世界のお店で出すのは大変だけど、たまに作るぐらいならそれほどの手間でもないから。


「肉の中がまだ赤いじゃないか。たまに地方では、肉は生の方が美味しいなどと言って生食しているところもあるが、女将ほどしっかりと下処理したり、保管しているわけでもないから、お腹を壊したり、最悪死んでしまう人の話も聞くんだ。俺の自警団にいる団員で、故郷で伝統の生肉料理を食べたら、食あたりで両親が亡くなってしまい、自分もお腹を下して生死の境を彷徨った。なんて奴もいる」


「でも親分さんは、生の部分が残っている肉を食べた。どうしてだぜ?」


 ミルコさんは、私になにも聞かずに赤い部分が残った肉を食べた親分さんにその理由を尋ねた。

 普通なら、生肉なんて危なくて食べられないという人が多いのだから当然よね。


「それは決まっている。女将が、食べるとお腹を壊すような料理を出すわけがないからだ。女将が俺に出したってことは、この料理は安全で美味いに決まっている。しかし、肉をスライムシートと毛布に包んで余熱で調理するとはなぁ。肉は赤いのに、熱は通っている。不思議な調理方法だ。アンソンでも思いつかないんじゃないか?」


「それを言われると辛いなぁ」


 親分さんの言うように、アンソンさんはただ頭をかくばかりであった。

 彼は頭を剃っていてツルツルだから、 あまり頭をかかない方がいいと思うけど。


「とにかくだ。この料理は、新鮮で品質のいい肉。女将、この肉は、この料理を作るために随分と選び抜いたんじゃないのか?」


「はい。そこは気を遣いましたね」


 ローストビーフって、日本だとお肉の塊ならなんでもいいように書かれているけど、この世界のお肉は狩猟で得るしかない。

 個体によって肉質に差があるし、筋が多い場所をローストビーフにしても美味しくないので、私なりに厳選したつもりよ。


「調理方法だって、そりゃあ確立させることができれば誰にでも作れるだろうが、それは先人が何回も失敗してようやく辿り着いた調理方法だ。違うか? 女将」


「そうなりますね」


 私はネットで作り方を調べただけだけど、このレシピを作るために、何度も料理を失敗しているはず。

 加熱しすぎて肉の内部まで完全に火が通ってしまったら、ただの焼け過ぎて固くなった肉でしかないもの。

 逆に内部まで熱がちゃんと通らず、ただの生肉のままだったり。

 それを食べたらお腹を壊してしまったりと。

 そんな失敗を繰り返して、ローストビーフは完成したのだと思う。


「食材の品質も、調理の技術も。美味しい料理には両方が必要で、どっちが上かなんて話はそもそも見当違いだな。そんなことは気にもせず、常に新しい料理に挑戦し続ける女将が一番じゃないのか? このソースは実にいいな。エールよりワインって雰囲気の料理だが、美味しいものを食べられて得したぜ。女将、レバーをタレで」


「はーーーい」


 親分さんは、ミルコさんとアンソンさんがくだらない言い争いをしていることを知っていたのね。

 だから私に助け舟を出してくれた。


「(やっぱり親分さんよね)親分さん、どうぞ」


「すまないな。やっぱり、レバーはタレに限るな」


 親分さんは、本当にうちの串焼きが気に入っているのね。


「なんか俺様たち、無意味な争いのせいでただ疲れて、親分さんの株を上げただけのような気がするんだぜ。今度、ユキコ女将が用意したような、素晴らしいウォーターカウの塊肉を用意するんだぜ」


「そうだな……。調理方法はしっかりと覚えた。スライムシートを購入して、ローストビーフを俺のお店で出せるようにしよう」


「なんじゃ? 少し遅れて来てみれば、ミルコとアンソンがなにやらよからぬ相談をしておるではないか」


「お祖父様、それは誤解なんだぜ!」


「ちゃんと商売の話をしてますよ」


 料理で大切なのは食材の品質か、それとも料理人の技術か。

 それが原因で喧嘩をしてしまった二人だけど、私が作ったウォーターカウのローストビーフと、独自にワイルドボアのローストポーク風、キルチキンのローストチキン風の試作にも成功してお店で提供して、すぐに人気メニューとなった。

 そして、他のお店が見た目だけ真似して食中毒を出してしまい、アンソンさんのお店にお客さんが集中するようになったのはお約束というか……。

 ローストビーフは簡単なように見えて、奥が深い料理ってことね。




「デミアン! その肉料理とても美味しそうなんだけど、どうして僕は食べちゃ駄目なんだ?」


「若、この肉料理は生の部分があるので、万が一若がお腹を壊してしまったら大変だからです」


「デミアンは普通に食べているじゃないか!」


「私は若のために毒見をしています。明日、私がお腹を壊さなかったら大丈夫です。まあ、大丈夫でしょうけど、念のためってやつです」


「このローストビーフ、今日だけの限定メニューじゃないか!」


「そのうち、また限定メニューで出たら注文しましょう」


「それはいつの話なのかな?」


 残ったローストビーフを今日だけ数量限定で出してみたんだけど、すぐに売り切れてしまったわね。

 そして、もし殿下に生肉を食べさせた結果、お腹を壊されると大変だという理由で、デミアンさんが殿下にローストビーフを食べさせなかったんだけど、自分はちゃっかり注文していたのが面白かった。

 ちょっとわかりにくいツンデレぶりがいいのよ。

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