7.3 守り続けるよ

「あ、あの……もしかして、キャロライン・ユノディエール導師……ですか?」


 さっきまでの自信満々な態度をどこかへやってしまったように、赤毛の少女は恐る恐る尋ねる。

 彼女を安心させるように、若女将は穏やかな笑顔で頷いた。もっとも、答えは肯定とも否定ともつかない、曖昧なものだったが。


「キャロライン・ボンネビル。親方代理の妻です。導師だったのは、もうずいぶん昔の話ですわ」

「あなたが、伝説の……!」


 憧れの存在を目の前にして抑えが効かなくなったか、新人導師は立ち上がり、頬を紅潮させまくしたてる。キャロルも思わずのけぞってしまうほどの勢いだ。


「あたし、あなたに憧れて、導師になったんです! 魔王を倒したあなたと同じ杖が欲しくて、司祭長に相談したらボンネビル工房を紹介されて、それでお願いしに来たんです!」

「……そうなの」


 年若い後輩の言葉を受け止めたキャロルは反射的に目を伏せた。

 彼女は、相棒の犠牲と引き換えに奇跡の杖を手にし、魔王を討った。導師としての使命を果たすために払った代償はあまりにも大きく、時を経てなお、当時の話をするときは表情が曇りがちになるのだ。


「……キャロル」

「大丈夫だよ、バーニィ」


 おもんぱかる夫を静かに制した元・導師キャロルは、後輩に気づかれないよう、悲しみを微笑みでそっと包み隠す。


「あなたと私は、別の導師です。使う魔法も、導師としての性質も全く違う。杖もまた然り、です」

「でも」

「憧れと、導師としての適正は、別の話です。あなたはあなたのやり方で高みを目指し、私を越えなければならない」

「あたしが……あなたを、越える……? そんなこと」

「追いつくまでは考えていても、その先は考えてなかったかしら? 私はもう、二度と杖を手にすることはない。だから、導師として進歩することもありません。

 でも、あなたはこれからの人です。夫の作る杖はあなたを導き、高みへ押し上げる力となってくれるはずですわ。バーニィ・ボンネビルは、伝説の導師わたしが信頼する、世界最高の杖職人ですから」


 そして、戸惑いを隠せない後輩の肩に手を添え、愛と厳しさのたっぷり詰まった箴言しんげんと激励を贈るのだ。

 尊敬する人の言葉で何かが吹っ切れたのか、赤毛の少女はその瞳に先ほど以上の情熱の炎を灯し、改めてバーニィに頭を下げる。


「あたしに合う杖を一本、よろしくおねがいします」

「おう、引き受けた。……ルゥ」

「待ってました。まずはにご案内、っすね」

「帳簿と記録用紙はいつものところにある。推薦状こいつも一緒に綴じといてくれ」

「はぁい。それじゃ一名様ご案内っす。お嬢さんもついてきてください」

「はい、ごいっしょします!」


 立ち上がって指示を出すバーニィに頷いてみせたルゥは、新人の導師と将来の杖職人候補を引き連れて応接室を後にする。

 残されたのは、バーニィとキャロル、夫婦二人だけだ。


「……悪いな、キャロル。俺だけじゃ、あの赤毛の娘を説得するのに、何時間かかったことか」

「職人の妻として、元・導師として、当然のことをしたまでよ」


 杖を置いた彼女は、今は工房の若女将として、彼とともにある。

 元・導師キャロルが積み上げた経験は、杖職人バーニィが築き上げてきた理屈を裏打ちし、今のボンネビル工房の杖作りの根幹を成しているのだ。


「これからも、私はあなたを支えていくわ。妻ですもの」

「それなら、俺はあんたを守り続けるよ。夫だからな」


 そして、夫婦二人で顔を見合わせて、笑いあう。


「それじゃ、私はルゥちゃんを手伝ってくるね」

「あまり無理はしないでくれよ。その……大事な時期なんだから、な」

「心配しないで。自分のことはちゃんとわかってるつもりよ。本当に無理だと思ったら休むから大丈夫」


 自分のお腹に手をあてたキャロルが浮かべた、慈母の笑み。それに魅入ったバーニィは、しばし言葉を失う。


「では、キャロライン・ボンネビル、行ってまいります!」


 昔に比べて伸びた髪と、紺のロングスカートの裾をひるがえして応接室を後にする妻を見送って、バーニィはふと、自分のことを省みる。

 これから先、どれだけ腕を磨いて職人としての高みへ登ろうとも、彼女のために杖を作ることは二度とない。それは、やっぱり少しだけ寂しい。    でも、今の彼には、守り育てるという新たな目標がある。


 父から引き継いだ、杖作りの技術。

 先祖代々の名を冠した工房と、そこに集った職人なかまたち。

 妻となったキャロルに、彼女との間に生まれた娘・シェリー、そしてこれから生まれてくる子供。


 ――見ててくれよ、オスカー。


 バーニィは表情を引き締め、作業場へ足を運ぶ。


 ――お前が守ってくれたものは、俺がこれからも、ちゃんと守り続ける。


 彼の心の根底に流れるのは、今際いまわの際のオスカーと交わした約束。


 ――いつかもう一度会えたときに、堂々と「約束は守ったぜ」って言ってやるから。


 男同士の秘密の約束を胸に、彼は今日も、職人として腕を振るう。

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杖を作って、と彼女は言った 白猫亭なぽり @Napoli_SNT

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