第22話 END そしてこれから
院長室の窓から院長と二人の医師が、坂の上のそよ風を見ていた。
二人の医師は尚美の両親だ。
母親の祐子が、
「もう行かせましたよ。一馬を連れて」
非難めいた声で院長に言った。
「まったく。父さんは人の気持ちをもて遊びすぎだよ」
父親の修一も抗議の声を上げる。
院長は、佐藤医師との婚約を破棄したあと、尚美が妊娠している事を知ると、秘かに冬馬の務める動物病院、フレンズの経営者に会いに行った。そして冬馬は孫の婚約者だと言い、冬馬の周りに結婚の対象となる女性がまとわりつかないようにと依頼したのだ。
そよ風のスタッフ採用の時にも万一を考え、冬馬の結婚の対象になりそうな女性は、採用を見送った。
幸いにも冬馬と尚美の心は、院長が思っていたよりも強い絆で結ばれていたので、サードパーティーを発足させて、藤本総合病院グループを側面から支える。という新戦略の一翼に冬馬を据える事ができた。
院長が、
「まあ、それにしても、一馬を産んだ尚美はお手柄じゃったな。一馬さえおれば跡継ぎの婿など、どうでも良いとあの時は思っておったがな」
そう言うと祐子が、
「まーたまた。お父様はそんな事言って。尚美に聞かれたら、また一馬を抱かせて貰えなくなりますよ」と、薄笑いを浮かべる。
「何を言う。人の話は最後まで聴かんか」
院長は幾分慌てたように、
「あのときは、と言ったんだ。さすが儂の孫だと言っておるんだ。尚美は我慢や耐えるということを覚えた。だから人生を豊かにすることができる。その伴侶として、医師でなくとも人間的に良い男を掴まえたから、でかしたと言っておるんだ。だからこれまで冬馬君の周辺にしてきた事。特に彼に女性を近づけなかったことなどは今から封印するぞ。尚美にも言ってはならん。この秘密は墓の中まで持って行く」
「勿論ですよ。尚美がこんな仕返しする子だなんて知りませんでしたよ。こんなこと知られたらと考えただけで ……ああ恐い」
「尚美が冬馬君に逢うのは、病院で、動物病院の担当者として紹介した後だ」そう命令した院長に怒った尚美が「今後二日間、おじいちゃんには一馬を抱かせない」と宣言したのだ。
三人は丘の上のそよ風を見て、今頃親子三人、戸惑いながらも嬉しい時をすごしているのだろうな……と三者三様に想いを巡らせた。
院長は、そよ風に併設して建てている尚美達の新居が、あと一月もすれば、完成すると工務店から聞いていた。
そうなれば可愛いひ孫の一馬を連れて三人は実家から出て行くことになる。
屋敷が広いだけに、七人から三人が抜けた後の空虚さは感じるだろうが、かまうものか。と院長は髭を撫でてほくそ笑んだ。
儂らが新宅に行って、ばあばに一馬の子守をさせれば良いだけのことだ。
そのための二世帯区域は、誰にも知らさずこっそり製図に付け足たせておいた。
院長は、満足げにニンマリと笑い、
「ところで、屋敷の管理だが、そろそろお前達に任せることにするからな」と、息子夫婦の肩を叩いた。
* *
尚美は昨夜、祖父母の客が誰かを知らされないまま「絶対に声を出さないで」という両親に連れられて、ダイニングの隣の部屋で冬馬の声を聞いた。
冬馬が明日来ることは聞いていて、今晩は眠れないかも知れないと震える胸を押さえていたから、扉の向こうにいるのが冬馬だと知り、悲鳴になりそうな声を手で押さえた。
まだ独身である事、恋人が居ないことは祖父から聞いていたから、それで充分だと思っていた。
私への想いが減っていてもいい。無くなっていてもいい。私が冬馬を愛しているのだから……尽くそう。そう想っていた。
だが、元気そうな声を聞き、変わらない自分への想いを祖父母に話す冬馬の言葉を聞くと涙が溢れた。
特に祖父が孫を紹介したいと自分の事を言い、冬馬が尚美のことを想い尚美を断るという可笑しさと嬉しさに耐えられず、洗面所に駆け込み号泣した。
私は絶対にこの人を幸せにする。そしてこの人の幸せな顔を見ることが私の幸せなんだ。
あの日冬馬が餞別に言ってくれた言葉を、あらためて胸に包んで決意した。
完
私が幸せになるために 赤雪 妖 @0220
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます