いつもよりほんの少しだけ遅い時間

南川みなよし

いつもよりほんの少しだけ遅い時間

武蔵野線、東所沢駅。

いつもと同じ時間。

階段を上がり改札をでる。


少しだけ息が上がっている。

肌を刺していた風が穏やかさを取り戻し、薄緑が目の端に映り始めたころから。

鼓動もほんの少し高まる。


駅の出入り口から右に折れ、オレンジのレンガ道で足を止める。

木陰で感じる緑の匂い。

一年前は気づきもしなかった匂い。

景色は変わってないはずなのに。


なんとなく、そう、なんとなくゆっくりと交番前の横断歩道まで歩いてみる。

気にも留めていなかったこの匂い、この景色。

昔と比べなにか変わったのだろうか。

変わっていくのだろうか。


バスが横切るのを待ってみる。

鼓動は少し高まったまま。

頬が緩むのがわかる。


横断歩道を渡り、オレンジの道が終わったアスファルトの上を歩く。

お弁当屋さんにコンビニ。

増えた人通り。

長い、長い直線の道を歩く。

短くなったと感じる、でもやっぱり長いそんな道。


アスファルトのへこみが気になっていた道。

今は道行く車で目を遊ばせる。


道の先に見える信号。

そして、その先に見える銀行。

モザイクガラスなのかタイルガラスなのか、それとも別の名前なのか、二階のガラスが気になり始めたそんな建物。

そのようなガラスにも気づいていなかったそんな建物。


信号を待つ間、いつも通り時計を確認してみる。

いつもよりほんの少しだけ遅い時間

ほんの少しだけ大きくなる歩幅


アスファルトからの熱気が立ち込める中歩いていく。

緩んだ頬のままで。

上がった息のままで。


押しボタンを押し、青に変わった横断歩道を渡ると、少しだけ涼しい風が流れてくる

そして、また少しだけ大きくなる歩幅。

東所沢公園という名の森。

あの人と会えるはずの場所。


森の入口にある階段を駆け上がる。

右手からは子ども達の声が聴こえてくる。

枝だけだった木に、今はすっかり葉が満ちて、その間から声が聴こえてくる。

以前は聞こえなかった声。

聴こうとしなかった声


大きくなった歩幅のまま噴水に近づく。

期待と不安が渦巻く気持ち。

そんな気持ちはテレビや小説の中だけの話だと思っていた過去の自分。

ありきたりで、ベタで、そしてありえないと笑っていたそんな自分。


噴水の向こうから影が見えてくる。

渦巻きが静まり、渦巻きが始まる。


葉の間から差し込む光。

地面には、黒い葉の影。

影の合間の淡い光。


また、顔を上げる。

上気した頬と一緒に顔を上げる。

ほんの少しだけ引き締まった頬と一緒に顔を上げる。


歩幅が小さくなる。

歩調がゆっくりとなる。


さらに高まる鼓動。

胸が音を鳴らす。

心が音を鳴らす。


影が薄れ見えてくるあの人の顔。

ほんの数瞬だけ見ることができるあの人の顔。


視界に入る黒い葉の影。

影の合間の淡い光。


あの人の顎先を見ながら、少しだけ頭を下げる。

あの人の顎先もまた少しだけ下がる。


冬には下げることのできなかった頭。

冬には下がることのなかった顎先。


変えたくないヒトトキ。

でも変えたいヒトトキ。


風が交わる。

熱い風。騒がしい風。

涼しい風。穏やかな風。


そして、小さくなる足音。

そして、変わらない足音。

寂しい足音。


噴水を過ぎ、すこし広がった園路を歩く。

戻った息と共に、にぎやかになった園路を歩く。


少しだけ落ち着いた風を纏いながら。

少しだけ冷めた風を纏いながら。


やがて見えてくる角川武蔵野ミュージアム。


心が動き出したこの場所。

あの人と出会えたこの場所。


いくつもの影と光が湧き出るオブジェクトを見上げながら、今日もドアをくぐる。

心を動かす何かと出会いたくて。

あと一歩、踏み出せる何かと出会いたくて。


本を眺めながら、森につながる道を歩く。

一年前よりも広くなった視野と共に。

小さくなった歩幅で。

ゆっくりとなった歩調で。

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いつもよりほんの少しだけ遅い時間 南川みなよし @kitayoshi

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