第10話 いよいよ、説得 3

 さらに、結婚の話も進展した。

 大槻青年は、今西指導員と結婚後は、彼女に家庭に入ってもらっても構わないと述べたのである。

 その翌日、今度は休暇を終えて職場の居室に戻ってきた今西幸香指導員が、森川園長に呼ばれた。彼女はすでに昨晩、大槻指導員から森川園長との話の顛末を聞かされていた。

 森川園長や大宮氏らの予想と異なり、よつ葉園の児童指導員という仕事にしがみつこうという気持ちは、彼女には一切なかった。今西指導員は開口一番、園長室の肘掛椅子に座る森川園長に対して、立ったまま、はっきりと述べた。


 大宮さんや西沢さんはもちろん、園長先生にしても、大槻君にとって所詮は他人ですから、何とでも言えますよね。一部の保母さんたちが園長先生にかれこれ御注進よろしく私たちの話をしているようですが、私には興味ありません。

 しかしながら私にとって、大槻和男君は、今でこそ他人とはいえ、夫になる人物です。子どもが生まれたら、私はその子たちの母親となりますが、間違いなく、大槻君はその子たちの父親となりますよね。私にはまだしも、いずれ生れてくる子どもたちにまで、甲斐性とやらの範囲を超えた迷惑をかけるような真似を、彼にはして欲しくないです。私としては、このよつ葉園という職場に、家庭や子どもを犠牲にしてまでしがみつく気は、まったくありません。

 子どもが生まれれば、自分の子どもたちが当然優先です。ただし、子どもたちが皆、大学を卒業してしまえば、もちろん話は別ですが・・・。


 彼女は、夫となる大槻青年が事業を興すことに正面切った反対はしていなかったが、森川園長をはじめ大宮氏や西沢氏の心配していたのと同じような不安感を抱えていた。

 「今西さん、あんた、結婚後も働ける人じゃと思うが、本当に、それでいいのか?」

 思わず、森川園長は問い直した。

 「ええ。女は結婚したら家庭に入れとか、夫に生涯寄り添うべきであるとか、そういう風潮や社会通念に思うところは少なからずありますが、これは大槻君と私の現段階の関係を考慮した上での結論でして、社会通念に盲目的に従って出した結論ではありません」


 「そうかな、わかった・・・」

 ソファに座って話すことなく、立ち話のまま、数分にして結論は出た。

 その日大槻青年は、公休を利用して見学と実践を兼ねて通っている津島町の川上モータースに行って車の修理の仕事を手伝った後、大宮氏に会った。大槻青年は、森川園長に説得されて、よつ葉園に残って児童福祉の世界で生きていくことにしたと報告した。


 翌1970年2月吉日。時機を見計らって、森川園長は妻とともに大槻和男・今西幸香夫妻の媒酌人として、岡山市内の式場で、簡単に結婚式を挙げさせた。今西指導員は、その年度末を境によつ葉園を退職することになった。大槻夫妻は、引続きよつ葉園の職員住宅に居住し、そこで家庭を営んでいくことになった。大宮哲郎氏は嘱託医をしている彼の兄と元嘱託医の父とともに、その席に招かれた。西沢茂氏は、大宮氏を通して祝電といくばくかの祝いをことづけた。かくして、大槻和男青年は、よつ葉園の児童指導員としてだけでなく、大槻家の父親としての役割も担うこととなった。

 

 結婚式後の披露宴で、森川園長は大宮氏と酒席をともにしながら、あの日園長室で新婦が述べた「子どもが成人後」のことに触れたときのことを話した。両者とも、何かざわめくような違和感を、受けずにはいられなかった。

 そのときの彼らの予感は、後に当たってしまった。

 この年生れた子らが30代になり、息子たちもそろって成人して後。今西元児童指導員は「大槻ゆきか」として創明党から立候補して県議会議員になり、3期務めた。彼女が選挙に出馬し当選後間もなく、大槻夫妻は離婚した。大槻園長は程なくして、経営者の集まりであるジャガーズクラブで出会っていた女性と再婚した。

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ノーリスク起業と男のロマン 与方藤士朗 @tohshiroy

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