第8話 努々忘れるべからずは……


 人を襲い、人を喰らい、人に仇為す悪鬼や化生けしょう

 いわゆる〝あやかし〟と呼ばれるモノの存在は、古くより多くの土地に伝え継がれている。


 例えば、あの掃討作戦の折に遭遇した巨大な闇の塊。


 あれは大昔に、どこぞの僧侶だか陰陽師だかが、あの場所に封じていたモノで、あの御堂は封呪の祭壇として建立されたものだったという。

 そういう伝承が残っているそうだ。

 それがあの日、御堂に運び込まれた遺骸から流れ出た鮮血を吸って、呪が解かれてしまったのだろう……と、マキナは推測した。


 事実はわからない。

 記録と状況からの憶測でしか無い。


 だが、そのような事例は多いらしく、いずれ、ああして怪物が現れたことは間違い無いのだ。

 ならば、同じく各地に残る神話伝承に語られる内容も、絵空事ばかりではないのだろう。

 それは私にとって信じ難きことではあれど、思いもよらぬことだったとは言わぬ。想像したことくらいはあるし、幼い頃には怪異譚に震え上がって悪夢にうなされたこともある。

 武士が邪悪な悪鬼羅刹に立ち向かう、そんな昔話の英傑譚に心揺さぶられたこともあるし、そのような強く偉大なる勇士に憧れたことも、確かにあるのだ。


 しかし、凶悪な鬼をほふる、強く偉大なる勇士…………か。


 私は眼前に座した白い女を見やって、思わず溜め息を吐いた。


 ここは辺境の山中に流れる渓流沿いの川原。

 時刻はもう宵の口を過ぎた頃合いだ。山深いこの地にあっては、周囲の闇はすでに濃く深い。

 その闇の中、パチパチと爆ぜる焚き火の炎。その朱色に照らし出された彼女の表情は、相変わらずの無表情ではあるが、あるいはだからこそなのだろうか? 人形の如き虚ろな美貌が、揺れる朱色に彩られ、どこか物憂げで儚く、幻想的な雰囲気を纏っているような気がした。


 もちろん、気のせいだろう。


 なぜなら、彼女の深紅の瞳がジッと見つめているのは、焚き火の朱色ではなく、その周りであぶられている串刺しの川魚たちなのだから。


「……そろそろ、良いのではないか?」


 私が呼びかければ、彼女は微動だにしないまま。


「だめ」


 短くも鋭い断言。

 その双眸はなおもジッと串刺しの魚を睨み付けている。香ばしく串焼きに変わりゆく魚たちを、その焼き加減の極みを決して見逃すまいと、まんじりともせずに窺っている。


 真剣だ。

 この上も無く真剣だった。

 ともすれば、戦いに望む時よりも真剣に見えるほどだ。


 やがて、彼女の深紅の瞳がカッと見開かれた。

 白い右手が瞬に閃いたと思った直後、その手にはパリパリに焼き上がった魚の串焼きが握られていた。


「うむ、良い」


 彼女は静かに頷き、手にした串焼きにかぶりつく。

 やはり無表情のまま、作業的に魚肉を食んでいる姿は、しかし、少しだけ幸せそうに見えるような……否、それも気のせいとしておこう。


 マキナ・ラクシュマナ。


 闇にまぎれ、闇に忍び、人の世に仇為す異形のあやかし〝アンダカ〟を狩ることを使命とする神威の魔剣士……で、あるらしい。

 否、らしいではなく、それは確かな事実なのだ。

 現に私は〝アンダカ〟に遭遇し、無様に喰い潰されそうになったところを彼女に救われた。そして、それ以降にも幾度となく彼女が〝アンダカ〟を討滅する場に立ち会っている。


 光を纏い、輝きを操る、超常異能の剣士。それこそ、幼き日の私が物語の中で出会い憧れた英雄英傑の如き存在であるはずの者。


 で、あるはずなのだがな……。


 どうにも釈然としない思いを持て余しながら、黙々と串焼きを食べている彼女をジッと眺めやる。

 たちまち一尾を平らげたマキナは、視線に気づいたのだろう。ふと、こちらを見返して来た。


「トウジロウ」


 呼びかけながら、マキナは新たな串焼きを抜き取って、こちらに差し出して来る。


「わたしを見ていても、腹はふくれない」


 身も蓋もない、そして、的確な指摘だ。

 私は溜め息と共に串焼きを受け取り、かぶりついた。

 パリッと音を立てた皮の焦げ具合と、噛み締めた白身のふわりとやわい歯応え。舌に広がる塩味と、鼻に抜ける香ばしさに、なるほど、神威の魔剣士は肉焼きの火加減すらも絶妙に見抜くのだなと思い知る。


 それを凄いとおそれ敬うかどうかは、また別の話だがな。


「おいしいか? トウジロウ」

「ああ、うまい」

「うむ、ならば、良い。とても良い」


 気がつけば、二尾目の串焼きを手にしているマキナの姿。

 食い意地の張った挙動すら、我が眼には捉え切れぬか……本当に、己の未熟を思い知るばかりだな。


 自嘲と共に串焼きにかぶりついた私は、ふと、不穏な気配を感じて顔を上げた。

 川原の向こう、生い茂る木々の奥から近づいてくる気配がある。

 この感じは、獣か? 魚の焼ける匂いに釣られて、野犬でも寄って来たのだろうか? だが、それにしては気配はひとつで大きく、しかも、草木を掻き分けて迫る速度はやけに悠々としていた。


「熊か?」

「ふむ、くみゃだにゃ」


 マキナが串焼きを頬張りながら応じる。


「ふかふぃ、ははほふひゃへはなひほ……」

「飲み込んでから喋れ、何を言うとるのかわからぬ。そもそも見苦し過ぎるぞ、わらべかオマエは」


 あきれて睨み返した叱責に、マキナはやや慌てて口の中の魚肉を飲み下すと、ペロリと唇を舐めた。


「しかし、ただのクマではないぞ……と言った」


 寸前の発言を律儀に繰り返す。

 ただの熊ではない? なるほど、その意味は木々の彼方、闇の奥でなお黒く浮かび上がった姿に了解する。

 厚い毛皮に鎧われた小山の如き巨躯と、太い四つ足、凶眼を見開いて唸りを上げている様は血肉に飢えた人喰い熊そのもので、そして、その身を包んで揺らめいているのは、周囲を照らすことの無い漆黒の火炎だった。


「黒い炎……アンダカか」


 どうやら、魚肉ではなく人肉の匂いに釣られたか。

 私は立ち上がり、ゆるりと迫り来る異形の黒熊に対峙する。


 睨み合ってはみたものの……さて、どうしたものかな。今の私は丸腰だった。新たな刀は調達できていないのだ。


「トウジロウ」


 マキナの声。

 差し出されたのは白鞘に収まった刀剣。ヒジュラの太刀に比べて反りが浅く、長い刃渡りを持った苗刀みょうとう造りとかいう渡来の拵えだ。


 言わずと知れたマキナの佩刀だが、使えという意味だろう。


 良いのか? と、そう問い返す前に、マキナはすでに頷いていた。


「あなたなら、良い」


 ならば、私は白刀を受け取り、向き直り様に抜刀する。


 瞬間、思わず息を呑んだ。


 月明かりを弾く刀身の淡い輝きと、握り締めた手に伝わる感触……何がどうとは言えない。だが、それでも、この剣は特別であるのだと、これまで私が手にした刀剣とは次元を異にするものなのだと、そう感じた。


 人ならざるモノを斬り伏せるための刃────。


 私はもう一度固唾を呑み込み、両の手で柄を握る。

 その柄頭を左腰に佩いた鞘の鯉口に押しつけるようにして、白刃を斜めに構え持った。

 両足を前後にゆるく開き、両脇を締め、正中線を真っ直ぐに伸ばした右半身で、歩み迫る黒熊に向かい合う。


 封韻流応変の型〝渦波吐うずはばき〟────。


 寄せ返し流れる波浪の如く、攻めと守りと臨機に応じるための構え。

 己の鼻先に煌めく切っ先を、向き合う黒熊の眉間に定めて意を凝らす。


 黒熊は川原の砂利を踏み締め、後ろ足で立ち上がって怒号を上げた。

 鼓膜に響くその大音声よりも、背筋と下腹に響く怖気にこそ私は総身を震わせる。

 月夜を背にした、見上げるほどの巨躯。紅く輝く眼光が、確かな殺意と敵意とをもって、こちらを睥睨している。


 その圧力は、以前の餓鬼など比では無い。

 

 私は意識して息吹を深く、萎縮しかけた四肢を奮い立たせて睨み返す。

 彼我の距離はやや遠い。斬りかかるには、大きく二度の踏み込みを要する間合いだ。

 が、そう思った次の瞬間には、すでに黒い豪腕が頭上に迫っていた。

 あわや頭蓋を裂き砕かれて叩き伏せられるという刹那、私は大きく前に踏み込んでいた。

 背後を暴威が掠めた衝撃と、穿たれた地面が弾ける轟音。

 黒い巨躯の懐に肉薄した私は、身をひるがえし様に手にした白刀を振るう。叩き下ろされた右豪腕、その付け根を目がけ、ひと息に斬り上げた。


 さふっ────。


 そんなやわい手応えが返った。

 米粉に手を突き入れたような、あるいは、乾いた砂を掬い上げようとしたような、心地良いまでに細やかな手応えと共に、白刃は弧を描いて振り抜かれた。


 斬った……のか?


 抱いた疑念は、黒熊が上げた再度の怒号に塗り潰された。

 今度は左の熊手を振り上げて襲い来る。ならば、私も返す刃でそれを迎え討った。


 切り下ろした太刀筋が、黒熊の左の二の腕を。やはり、手応えは微かなまでにやわい。斬り込んだ実感など皆無。

 だが、太刀筋は確かに黒い豪腕を斬り抜けた。ならば、確かに斬ったのだろう。

 確信と共に、両脇にて黒い影が揺れた。

 ボトリと音を立てて地に転げた二本の豪腕。それは黒い火花を撒き散らしながら、たちまち燃え尽きていく。


 咆吼を上げて大きく身を仰け反らせた黒熊。否、赤黒い血飛沫を噴きながら張り上げたそれは、咆吼ではなく悲痛な絶叫か?


 私は低く身を伏せながら、踏み締めた両足に力を込める。

 見上げれば、両腕を失って身悶えながらも、なお眼前の獲物に喰らいつこうと牙を剥く魔獣の凶相。

 そのアギトが頭上から降る刹那、私は地を蹴り飛び退いた。

 異形のアギトが空を噛む硬い音。

 着地した私の眼前には、噛みつきを空振った黒熊の姿。その無様にさらけ出された頸部に狙いを定めて、私は構えた一刀に剣気を込めた。


 響いた鍔音つばおとは高く一度だけ。

 それでも、握り締めた白刀の刃は、確かに二回、鯉口を走った。


 抜き打ちに振りきった刀身をひるがえし、構え直して残心。

 睨み据えた眼前で、黒熊が起き上がる。

 再び喰らいつこうと牙を剥いた形相が、ぐらりと傾いた。黒熊の頭部は牙を剥いたそのままに、ぼとりと転げて落ちる。


 封韻流抜刀術〝鳴疾風なりはやて〟────。


 瞬の納刀から刹那の抜刀へ、重ね繋げた二連の鞘走り。それがもたらす極限の加速は、まさに輝閃の如く。

 首を落とされた黒熊は、黒炎と血飛沫を噴き上げながら、ドオッと音を立てて崩れ落ちた。


 私は、静かに息を呑む。

 それは攻防の緊張にでも、敵をたおした安堵にでもない。

 握り締めた白刀の、その刃の凄まじき切れ味にこそ、私は戦慄していたのだ。

 神威の魔剣士が携えし一刀。

 ならば、その刃もまた神剣魔剣と呼ばわるに値する神器霊宝であるということなのか。


 私は、しばし魅入られたように白銀の刃紋を見つめたまま────。


「トウジロウ」


 マキナの声に、ハッとして振り返る。

 こちらを真っ直ぐに見つめてくる紅い瞳。私は手にした白刀をゆるりとひるがえして、ことさら厳かに鞘に収めて一礼した。


「大切な佩刀の拝借、礼を言う」


 剣は剣士の魂。

 それを彼女は、信をもって託してくれたのだ。

 ならば、こちらも謝と礼を尽くして、鞘込めの白刀を差し出した。


 マキナは相変わらずの無表情のまま。


「違う、トウジロウ。まだ終わっていない」


 相変わらずの無感動な声音で、そう返す。


 ゾワリと、背後で黒い気配が膨れ上がった。


 瞬時に剣柄を握り締め、振り向き様に抜刀する。振り放った横薙ぎの一閃は、今まさに背後から迫っていた漆黒の何かを斬り裂いた。

 薙ぎ払われ弾けた黒い何か……黒熊の体躯からあふれ出したものか?

 その黒炎纏う肉塊はさらに大きく膨れ上がりながら、こちらを押し潰そうと迫り来る。

 視界を埋め尽くす暗黒の津波、それはあの日、あの御堂から飛び出してきた黒い塊にそっくりな、圧倒的な暴威の闇。


 瞬間、白光が弾けた。


 直後に私の総身を包み込んだ浮遊感。

 気が付けば、私は高みから眼下に広がる暗黒を見下ろしていた。

 月明かりに照らされた川原に、漆黒の肉塊が蠢いている。仄暗い黒炎を噴き上げているそれは、さながら不細工な泥人形の如く、かろうじて人型を象りながらも不定形に脈打つ様は、率直におぞましい。


「大丈夫か? トウジロウ」


 耳元に囁いたマキナの声。

 我が背に身を寄せ抱き締めて来る彼女。互いの姿は、さながら二人羽織に興じる縁者のよう。周囲に舞う白光の花弁に、どうやら彼女が私を抱えて助け出してくれたのだと理解する。


 やわい感触が、右手に触れた。

 見れば、マキナの白い手が、剣を握る私の手に重ねられている。


「剣を、放さないで、トウジロウ」


 静かな警告と共に、重ねられたマキナの手に力がこもる。私の手を通して白刀の柄を握り締めるように、強く力が宿る。

 体温とは異質な熱、握力だけではない何かが満ちた気がした。


『……白光しかり咆吼ルドラ……月詠つくよみ蓮華輝れんげき……』


 マキナの唱えた異国の言葉。知らぬ言語であるはずなのに、それはいつかに同じく、耳に届くと同時に意味を響かせた。

 白い刀身が銀光を纏い、周囲に光の大輪が咲き誇る。

 花開いた六輪の光華、それを後光のように背負ったマキナは、静かに空中を蹴った。

 私に寄り添い手を繋いだまま、マキナは速く鋭く舞い降りる。

 蠢く黒い闇が、迎え撃とうと歪な腕を振り上げた。

 黒塊の中央、大きく割れた楕円の裂け目は、口なのだろうか?

 私が疑念と戦慄に怖気る間にも、白刀を握る手が振り上げられる。私の意ではない。重ねられたマキナの手が為したものだ。


 眼下に迫る黒い闇が、濁った咆吼を放つ。

 寄り添うマキナが、斬撃の意を研ぎ澄ます。私は脱力し、彼女の挙動に総身を委ねた。


『……白煌はくおう穿風六華せんぷうりっか……』


 祈りにも似た囁きと共に刃が走り、澄み渡る音色を奏でて一閃する。

 振り下ろされた斬光は瞬にまばゆく、白く眩んだ視界の中で、漆黒の巨体が真っぷたつに斬り裂さかれているのが垣間見えた。

 次いで、マキナの太刀筋を追うようにして降り注いだ六条の光線。背負った六華が変じたそれは、あたかも光の槍の如く、鋭く渦巻きながら黒い巨体を穿ち、貫き、焼き尽くす。


 火花を撒き散らしながら霧散して行く黒影。

 その断末魔を背にして、川原に降り立った私とマキナ。

 あれだけの高みから落ちた着地の衝撃は、しかし、静と一歩を踏み出したかに軽かった。周囲に弾け舞う光の花弁……ならば、それもまたマキナの異能によるものなのだろう。


 ふぅ……と、マキナが浅い吐息をこぼす。


 背にピタリとくっつかれたままなれば、その吐息の熱は直に私の頬を撫でて来た。しかも、彼女は離れるどころかさらに強く抱擁して来る。

 押しつけられる柔肌の温もりと、鼻孔をくすぐる白檀の香りは、まあ、心地良くはあるのだが────。


「そう不用意に抱きつくな」

「……? なぜだトウジロウ、ここにはふたりだけだ」


 不満気というよりは、不思議そうな返し。

 以前に彼女が往来でくっついて来た折に、私が〝人前でニベと触れ合うのはハシタナイ〟と諫めたゆえだろう。


「人の眼が無くともだ。そもそも女子おなごが、そのように易々と男に肌を赦すものではない」


 人の眼があろうが無かろうが、無闇矢鱈に女子とイチャつくなど、男子として不埒千万。同じく、所構わず相手に媚びるなど、女子として貞淑に欠ける。

 男は強く気高く、女は賢く慎ましくあれ。

 武門の子として生まれ、武士として育てられた私には、それが常識であるし、このヒジュラ国では多くの者が同じ感覚を持っているはずだ。


 だが────。


「トウジロウ、わたしがこうするのは、あなただけだ」


 静かな、だが、毅然とした返答。


「あなただけ。共に在るのはあなただけ。触れ合うのも、ルドラをわたすのも、あなたにだけだ。他の男など、わたしはいらない」


 無感動で、抑揚の無い声音。けれど、背後から抱き締める力は強く、剣柄を握る手に重なる感触もまた熱い。


「……トウジロウ、あなたは、わたしのものだ……」


 耳元に囁いたそれは、やはり無機質で、しかし、それでもそれは甘やかな睦言むつごとの類いであるのだろう。

 情動に乏しいマキナは、その行動にて思いを示そうとしている。であれば、そんな彼女を貞淑ならぬと断じるのは、それこそ無礼千万か……。


 ……いずれにせよ、そうだな。元より今の私は、このマキナに敗れて隷属する身である。


「好きにしろ」


 浅い溜め息と共に、吐き捨てる。


「うん、好きにする」


 応じたマキナの声は、少しだけ弾んでいるような気がした。

 だから、私は重ねられたままの白い手を振りほどくことはせぬままに、剣を握る己の手をゆるりと動かして納刀する。


 静かに響いた鍔鳴り。

 重ねられたマキナの手に力がこもる。まるで、私の手を剣から離すまいとするように、改めて強く握らせるかのように、あるいは、何かを確認するかのように、しなやかな五指に熱意がこもる。


「トウジロウ……やはり、あなたには強い剣が必要だ。その強さに見合う、強い剣が……」


 マキナはゆっくりと、言い聞かせるように呟いた。

 強い剣。

 例えば、この白銀の苗刀〝白光のルドラ〟のような、人ならざるモノをも容易に斬り裂く強い刀剣があれば────。

 肩越しに、マキナの紅い瞳を睨みやる。



『手にした剣が同等ならば、私は、オマエを超えることができるのか?』



 喉元まで迫り上がったその問いを、私は声に出せなかった。

 人にあっては無双と讃えられし我が技前。

 なれど、人ならざるを相手には、果たしてどれほどであるものか……。

 今し方のアンダカとの攻防を回想する。

 脳裏に浮かぶのは、蠢く暗黒を焼き尽くした、まばゆき剣閃と六条の光線。それに比ぶれば、黒熊の腕と首を断った我が太刀筋の、何と生ぬるいことか。


 封韻流の剣は輝閃の如く……だが、真に輝き閃いているのがいずれの剣であるのかは、誰の眼にも歴然である。


 喉元でせき止めていた問いを、込み上げた焦燥と共に無理矢理に呑み下す。それはすぐに苦い劣等感となって、肺腑の底でドス黒くよどむ。


 そんな無様な苦悩は、間近に見返す紅い瞳にはお見通しであったのか。


「大丈夫だトウジロウ。あなたは強い。わたしは、あなたのように……」


 マキナの言葉はそこで止まった。


 あなたのように強いを見たことが無い────。


 そう続けるつもりだったのか?


 だが、それが慰めにもならぬと察して呑み込んだか?


 色素の薄い唇が微かに震えている。

 紅い双眸はどこか困惑したように細められている。

 寸前までギュッと力強かった抱擁から力が抜ける。戸惑うようにゆるみながらも、だが、彼女は抱擁そのものを解こうとはしない。


 まったく、人智を超えた魔剣士様が、人の身に過ぎぬ私に何をそこまで御執心なのかは、皆目見当がつかない。それとも、足掻く私の姿が、気が離せぬほどに哀れなものか?


 ……いや、さすがに自嘲が過ぎるな。


「マキナ・ラクシュマナ、憶えておるがいい。次は、こうは行かぬ」


 せめて声音は力強く、うそぶいた。

 しかし、これではまるで、ヤラレ役の捨て台詞のようだな。

 違う意味で自嘲が込み上げる。

 その滑稽な内心もまた、マキナにはお見通しであったのか、それとも、言葉の通り受け取ったものか、ゆるんでいた抱擁が再び強くなる。


「トウジロウ、あなたは良い。とても良い」


 頬を寄せ囁かれる声は、やはり、どこか楽しげなもの。

 寄り添う温かな抱擁もまた同じく、この白い女剣士は言葉の通り、私を愛しく大切に思ってくれているのだろう。それは……今さら改めるまでもなく、了解していたことではあるが────。


 ……まったく、忌々しいことだ。


 声には出さずに、吐き捨てる。

 優しく甘やかな抱擁の中、だからこそ激しく渦巻くドス黒い淀み。今にも込み上げ嘔吐えづきそうなそれを、私は、歯を食い縛り懸命に呑み込み続けていた。





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鬼哭神喰【Ravana Asura】 アズサヨシタカ @AzusaYoshitaka

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