(6)
「やめておけ? 今まさしく事件を解決しようとしているんだ」
「本当にそれで事件は解決なのか?」
「そうだ。葉月は殺人の現行犯だ。間違いなくこいつが連続殺人犯だ」
警官は銃口を二人の方に向けたまま、安山と言葉を交わす。
「連続殺人の犯人が葉月?」
「何か不満があるのか?」
「連続殺人犯はナイフで首を切って殺していたのか?」
「それは……」
警官は言葉をつまらせた。少しだけ銃口が下がる。
「どれも首を絞められていたはずだ。それに起こっている時間が違う」
安山はゆっくりと警官に近づくと、拳銃を持つ手を握った。そっと、銃口を下げさせる。
「葉月は衝動的なものだ。連続殺人とは別事件だよ」
「どうしてあんたにそんことが分かるんだ」
安山は答えなかったが、私と久瀬の中ではっきりした。それは連続殺人の犯人が安山だからだ。
「葉月、馬鹿なことはやめろ。お前がそんなやつのために手を汚す必要はない」
「安山……君には分からないさ。愛する人が奪われた苦しみが、悲しみが、胸が張り裂けそうな痛みが」
安山は小さくかぶりを振った。まるで幼い子にいけないことを教える親のように。
「俺が悪かったんだ。俺が今朝、ちゃんと須崎を殺しておけば、今こんな状況にはならなかったはずだ」
「どういうことだよ」
葉月は困惑した様子で声を震わせた。
「まさか、久瀬が仕事をサボってるなんて思わなかったんだ」
やはり私たちがサイクリングをしながら導いた答えは概ね正しかったらしい。だとすれば、安山は何のために現れたのだろう。「一体なんの話をしてるんだ!」と須崎が声を荒げる。
「これまでの人生の後悔の話だ」
「頭がおかしくなったのかじいさん?」
「かもしれないな」
演説中に見せるようないつも通りの余裕は須崎から完全に失くなっていた。「葉月も安山もどうかしている」と須崎は力なく息を漏らす。
「葉月、俺からのお願いだ。ナイフを下ろしてくれないか」
「嫌だ。僕はもう……この町では生きていけない。須崎を殺して、僕も死ぬんだ」
「お前が手を汚す必要はないんだ」
葉月は泣きながら首を横に振った。もう遅いんだ、とナイフを持つ手に力が込められる。
「全く、馬鹿なやつだ」
警官が小馬鹿にしたように声を漏らした。その言葉に安山が憤慨する。
「葉月を笑うな」
安山の怒鳴り声に、葉月の手が止まる。それから囁くような声で安山は言葉を繰り返す。
「葉月を笑うんじゃない……」
両手にはグッと力が込められていた。一体、安山は何を握り込んでいるのだろう。どこにもぶつけられない感情が握りつぶされている気がした。
「なぁ葉月、俺もなんだ。この町に嫌気がさしたのは」
「どういうこと?」
「今日まで起こった殺人事件。犯人は俺だ」
「どうして安山が?」
出ていくべきか悩んだが、警官が安山の言葉を聞いて動き出すことを考えると、咄嗟に身体が動き出していた。久瀬の手を引いて群衆の中を割って行く。
目の前に現れた私たちを見て、安山は少しだけ表情を緩ませた。
「安山、お前もこの町のシステムに不満があるんだろ?」
脈略もなく私はそう告げた。けれど、安山は黙って頷いた。私は自分たちの考えが正しいのか追求を続ける。
「少女の死が君にそういう考えを芽生えさせた。違うかな?」
「そうだ」
「久瀬が準備した逢瀬の隙きを狙って人を殺していた。君は夜勤で出歩けるから。……つまり、夜に向こうに行っているというのはアリバイ作りだ。殺人が起きている日、タクシー業なんてしてなかった。新聞も全部嘘だった。……だから、逢瀬が行われなかった昨日、須崎を殺せなかったんだ」
「お前たちが推理したのか?」
答えたのは久瀬だった。
「佐々木が疑われて、五郎が警官に捕まって、犯人が捕まればいいと思ったんだ。だけど、それだけじゃなくて、僕もおかしいと思いはじめていたんだ。この町のシステムのことを。それに佐々木が気づかせてくれた」
「それでお前は仕事をサボったんだな」
安山は納得したように頷いた。それから未だに立てこもる葉月の方を見上げる。
「なぁ葉月。もういいんだ。……お前は落ちこぼれなんかじゃない。俺も久瀬もお前もみんな同じなんだ」
とても優しい声だった。「その内、お前を馬鹿にするやつはいなくなるさ。風太だって変わらないままだ」
だって、と安山は声を小さくした。きっと、言いたいことはこうじゃないだろうか。
――もう、俺は役割を果たす気はない。外から誰かを連れて来たりはしないから。
葉月の手から力が抜けていくのが分かった。ナイフが手元から滑り落ちる。同時に、須崎の身体が床に倒れた。
警官が慌てて家の中へ入って行った。私は彼の手元を確認する。拳銃は腰元にしまわれていた。けど、葉月は捕まえなくてはいけない。須崎を人質に葉月は立てこもりをしたのだ。その罪は消えやしないはずだ。
「なぁ、安山」
そう問いかけたのは久瀬だった。
「僕らはこれからでも友達が出来るんだろうか」
安山は少しだけ悩んで答えた。
「そのうち分かるさ」それに、と続けて。
「この町が変わっていくかどうかは、お前たち次第だ」
安山は商店街の大きな時計を確認すると、私の方を向いた。
「もうすぐ夕暮れだ。準備を始めよう。最後の仕事をしなくちゃいけない。あんたを向こうに連れて帰らないと」
雨はすっかり上がっていた。オレンジ色の夕陽が雲の切れ間から差込み、山の麓に綺麗な虹がかかっていた。
*
「いくつか聞きたいことがあるんだ」
「なんだ?」
「分からないことなんだけど」
車のヘッドライトが舗装されていない田舎道を照らしている。安山の運転は丁寧だが、道のせいか流石に揺れが激しい。遠くの山の麓にはぼんやりと明かりが灯っていた。須崎の屋敷だろう。何度か同じ道をぐるぐると周っている気がするが、徐々にその明かりは遠ざかっているようにも思えた。
きっと、何周もすることで抜け出せるようになっているのかも知れない。安山に聞けば分かるんだろうけど、私が気になっていることは他にもあった。
「少女が何で首を吊っていたのかだ」
私と久瀬の推理では最後まで結論は出せなかった。推測では安山が医者から回収し忘れた何か、それが安山に後悔を与えた動機ではないか、というものだった。
「この町には紐や縄は存在してないはずだろ?」
あぁ、と安山は頷いた。
「少女は洋服で首を吊っていたんだ」
「服で?」
確かに服でも何かを縛ることは出来る。でも、それなら縛ることはいつだって可能になってしまう。そんな私の思考を読み取ったように安山は話し始めた。
「縄の概念が無いから結ぶだなんて発想はないんだ。服を丸めて縄の代わりにする。縄がないのに代わりなんて務まらないだろ? だから服で首を縛るなんて誰も思いつかないことなんだ」
そういうものかと私は一応納得しておいた。思えば、須崎の奥さんは着物を来ていた。帯は紐には当たらないのだろうか。それに帯締めだって必要なはずだ。あれがマジックテープで引っ付いていると言うなら話は変わるけど。
きっと、たとえ帯や帯締めがあったとしても、それを着物の為以外には使わないんだろうと思った。そういう決まりだと言われれば、それまでだ。少なくとも、ここの住人は本当に紐を知らなかった。
だけど、と安山は言葉を続ける。
「医者はそれを少女に伝えたんだ」
バックミラー越しの安山の顔が曇った。伝えたとは、目の前で縄や紐を使って見せたということだろうか。私は「君がベルトを回収し忘れたとか?」と訊ねる。
「違う。俺はちゃんとベルトも靴紐も聴診器もあらゆるものを回収した」
「それじゃどうやって?」
「ひどいことだった」
車は初めて丁字路に差し掛かり、安山がウインカーを出した。チカチカと静かな音が車内に響く。
「少女の身体を縛って、おもちゃにしていたんだ」
ゾッとした。おもちゃのニュアンスがひどく冷たいものだったから。「洋服でか?」と聞けば、安山は「そうだ」と言った。
「来る日も来る日も、自分の性欲を満たすために少女を使っていた。俺はそれに気づけなかったんだ」
ハンドルを握る安山の手に力が込められた。辺りの景色がいつの間にか見知ったところに変わっていた。少しだけ混み合っている大通り、道路標識を見上げれば
「気づいたのは少女が死んだあとだ。遺体を見つけたのが俺だったから、身体に出来た傷や部屋に残されていたもので分かった」
「君は少女がひどい目にあった責任が自分にあると思ったのか?」
「そうだ。俺があいつを連れて来なければ、あの子はあんな目に合わなかったはずだ」
同時に、あの町のシステムに不信感を抱いたのかも知れない。後部座席から見える安山の背中は、まだひどく苛立っているように見えた。
「あいつはなんて言ったと思う?」
安山は低く落ち着いた声を出した。自分の中にふつふつとこみ上げてくる怒りを必死に抑えようとしているのが分かる。私が言葉に迷っていると、安山は続けた。
「『どうせ将来同じ目に遭ってたんだ』って」
小さな声には、悔しさとやるせなさが込められていた。どう声を掛けていいか分からず、私はじっと流れていく対向車線の車を見つめていた。
渋滞にハマったらしく、私たちの車は動かない。静かなエンジン音が車内に響く。
安山はいつその医者にその言葉を掛けられたのだろう。少女が死んだ日、医者はすでにこっちに帰って来ているはずなのだ。
「もしかして、安山があの日こっちに来ていたのは――」
「そうだ。あの医者を殺すためだ」
「いつ殺したんだ?」
「あんたも現場にいたよ……」
有耶無耶になってしまっている記憶を私は必死に遡る。安山のタクシーを拾って乗り込んだあとだ。私は眠ったはずだ。それからあの診療所に連れて行かれて。だけど、その間の記憶……。
この車に乗っているおかげか、ぼんやりと霞んでいたはずの記憶が浮かんでくる。コンビニに入ったんじゃないか……それに一人でじゃない。私の隣にもう一人男性が乗っていたはずだ。
「コンビニで買い物をすると言って逃げられそうになったから、こう言ってやったんだ。『もう一度、連れて行ってやる。今度は別の少女も用意してある』と。するとあいつは、のこのこと着いてきた」
医者にとって法律の及ばないであろうあの町は楽園だったのかも知れない。治療の名目で少女に好きなことを出来るのだ。
「医者はどこで殺したんだ……」
「この車の後部座席……ちょうどあんたが座っている辺りだ」
思わず、窓に背中を付けて、白いシートを見つめる。血の痕もなにもない、綺麗なシートだ。本当にここで人が死んだのか疑いたくなった。それに殺された時には――
「あんたは隣で寝ていたよ。それにその手に負っていた怪我は、あの医者を絞め殺そうとした時に暴れられたせいで出来た傷だ」
もうすっかり良くなった手首を私は掴んだ。あれだけの痛みを負う怪我をして覚えていないとは、やはり相当酔っていたらしい。
「死体はすぐに捨てた。あんたが殺したなんて痕跡はない。むしろ俺の指紋がたくさん残っているはずだ」
「安山、もしかして帰る気はないのか」
安山は答えなかった。犯した罪を償おうとしている人間を止めることは私には出来ない。こういう人の顔を見るのは二度目だ。
「なぁまだ分からないことがあるんだ」
「何だ?」
「医者を殺すためにこっちに来たのは分かる。けど、どうして私を向こうに連れて行ったんだ?」
「それは……あんたが少女のことを知っていたからだ」
「私が少女のことを?」
「酔ったあんたが話してくれたんだ。少女のことを」
前方に連なる赤いテールランプが途切れて、車はゆっくりと進み出す。「それに、あんたがタクシーを拾った時、一人じゃなかったんだよ。きっとあの子がスマートフォンを持ってるんじゃないか」と安山は最後にそう告げた。
★私
「それでアタシは連れ戻されたの――」
「随分、おかしなところに行っていたんだな」
「アタシのお話とこのお店、どっちがおかしなところですか?」
周りからは女性の上ずる淫らな声が聞こえていた。薄い壁の向こうで今まさに男性が己の欲を爆発させているに違いない。「こっちの方が異常かもしれない」と私が言うと、彼女は顕になった胸を隠すことなくクスッと笑った。
「トケイソウと紫陽花の花が咲き誇った綺麗なところだった。まるで天国みたいなところ……」
「本当に素敵なところだったんだな」
朗らかな表情をしたつもりだったのに、彼女は少しだけ眉根を下げた。怪訝そうな顔をしながら、それでも笑顔は崩さない。
「アタシの話を信じるんですか?」
「まるで絵本の中にいるみたいな素敵なお話だったよ。それに不思議と嘘じゃないような気がしたんだ。……少女に会ってみたくなったよ」
「お兄さんって面白い人ですね」
彼女は自分の口元に手を当てて、クスクスと笑いをこぼす。その表情はとても明るく、まるで子どものような可愛らしいものだった。
『イマジナリーフレンド』 了
イマジナリーフレンド 伊勢祐里 @yuuri-ise
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