(5)

 商店街の中心に人だかりが出来ていた。みんなが集まっていたのは森川が殺された時の騒ぎと同じ辺り。


「何かあったのか?」


 駆け寄りながらそう訊ねると、五郎がこちらを振り返った。


「久瀬に佐々木! 大変なんだ葉月のやつが」


「葉月が?」


 久瀬が心配そうに声を出した。もしかして殺されたんじゃないか、と思ったのだろう。


 だけど、葉月は昨日、須崎の家を覗いていたせいで捕らえられていた。それにこの町のシステムを嫌っている葉月を殺す動機は安山には無いはずだ。


「あそこだ!」


 五郎が民家の二階を指差した。人だかりの視線もそっちの方を向いている。開いた窓から顔を出していたのは須崎だった。その額はびっしょり汗が滲んでいた。遠くからでも分かるほどにだ。それに怯えながら泣いているようにも見えた。


「須崎がどうしてあんなところに?」


 私が訊ねると、「立てこもりだ」と五郎。


「須崎が?」


「違う、葉月だ!」


 目を凝らせば、須崎の首元に鈍い光が見えた。部屋の明かりに反射したものらしい。咄嗟にそれはナイフだと分かった。恐怖で筋張った須崎の筋肉を押さえつけている。少しでも動けば裂けてしまいそうなほど、須崎の肉に食い込んでいた。


 そして、須崎の肩越しに一瞬だけ葉月が見えた。


「葉月がどうして」


 久瀬の問いに五郎が答える。


「須崎が葉月の目の前で奥さんに乱暴をしたらしい。だから、須崎を殺して自分も死ぬって」


「乱暴って?」


「葉月に見せつけるように淫らな行為を……」


 葉月にとってそれがどれだけ辛いことなのか想像は容易い。かなりのショックを受けたはずだ。同時に群衆をかき分けるようにどこからか警官がやって来て声を荒げた。


「何をしているんだ!」


「助けてくれ」


 須崎が情けない声を出す。それをよく思わなかったのか、葉月がこちらまで聞こえるほど大きな声を震わせた。


「じっとしてくれ」


 須崎の喉元に突きつけられたナイフにふいに力が込められる。それを最期警告と捉えた須崎が「やめてくれ!」と叫んだ。その拍子にナイフの先が張り詰めた皮を裂いてしまったらしい。赤い血がスッーと首筋を伝った。


 一瞬の間もなく、群衆から悲鳴とも怒号とも取れる声が響いた。ついにやったのか、人殺しだ、と声が飛び交う。


「やかましい」


 狂ったような群衆の盛り上がりを裂いたのは、警官の言葉と彼が抜いた拳銃だった。一瞬の出来事で、空砲だったのか銃弾が込めたれていたのかは分からないが、彼は曇天の空に向かって発泡したのだ。


 遠くで鳴り響く雷よりも激しい音が商店街に響いた。その乾いた音で、群衆は水を打ったように静かになる。


「立てこもって何が目的なんだ」


 警官は銃口を葉月が立てこもる民家の窓の方を向けた。照準を合わせるように両手で拳銃を構える。


「僕は須崎が許せない」


 葉月の言葉を遮るように、目に涙を浮かべた須崎が言葉を重ねる。


「撃つのはやめろ! 私に当たってしまうじゃないか」


 それに聞く耳を持たない警官は「須崎を開放しろ。さもなくば撃つぞ」と引き金に指を掛けた。


 自分の置かれている状況を理解しているのだろう。葉月の表情は命を脅かされている須崎よりも疲弊しているように見えた。警官の撃つという言葉は単なる脅しではないことをこの町の住人である葉月はよく分かっているはずだ。きっと、発泡してはいけないという決まりはこの町にはないのだ。


「やめてください」


 そう言って、警官の前に立ちはだかったのは、須崎の奥さんだった。


「今、発泡すれば私の夫にも当たってしまいます」


「そうかもしれないな」


 警官は拳銃を下ろす気はないらしい。「お願いします、夫の命を最優先に」と須崎の奥さんが警官の腕を掴む。


「彼はこの町の政治家でしょ? 今日まで手こずった事件にケリをつけられるんだ。覚悟をしてもらわなくては困る」


 だって、それが政治家の役割だろ? と警官は喉を鳴らした。役割だなんて言葉を使ったが、そんな決まりがあるわけじゃないはずだ。きっと彼の主観に違いない。事件を解決しなければいけないという役割の遂行に彼は囚われてしまっているのだ。


 警官は須崎の奥さんを押しのけた。バランスを崩し、彼女は倒れ込んでしまう。同時に、須崎と葉月が心配そうに窓から彼女を覗き込んだ。


「葉月、ここでお前を殺せば連続殺人が止まるそうだろ?」と警官が問いかける。


「違う僕は……」


「言い訳を聞くつもりはない」


 稲光と共に乾いた銃声が響いた。今度は確かに薬莢が飛び出したのが見えた。静まり返った商店街に、金属がアスファルトに落ちる音が鳴る。


 次の瞬間、群衆から悲鳴が上がり、それをかき消すように雷鳴が轟いた。犯人は、須崎は、死んだのか、と群衆は息を飲む。


 だが、銃弾は二人には当たらず、窓に命中していた。割れて散ったガラスが雨に濡れて、街頭の光に瞬いた。まるでスターダストだ。警官は外したことに動揺することはなく、構えた拳銃を微動だにさせない。


「やめてください! 本当に主人に当たってしまいます」


 泣きながら須崎の奥さんが警官を止める。この光景は葉月にどんな風に映っているのだろう。


 半ば強引に結婚させられたなんて話を久瀬から聞いた。だけど、本当にそうなんだろうか。彼女は本気で須崎を殺さないでくれと叫んでいるように見える。その心の内にある感情がどんなものなんかは分からないが。少なくとも、葉月は良い気持ちはしないはずだ。


「どうして分からないんだ! 今、ここで葉月を殺せば殺人は止まる」


「警官なら主人の命を最優先にしてください」


「そういう決まりはない。私は犯人を捕まえなくてはいけないんだ」


 警官はもう一度、須崎の奥さんを振り払う。それでも彼女はめげずに、警官の腕にしがみついた。


「僕は……!」


 次に静寂を切り裂いたのは葉月の声だった。静まり返った群衆は皆、連続殺人の犯人であろう葉月の言葉に耳を傾ける。


「ずっと、あなたのことが好きだった。小さいころから。だけど、思いを伝えることが出来なかった。僕が意気地なしだったから。それから、しばらくして、あなたは無理やり結婚をさせられて……きっと辛い思いをしているだろうって。好きでもない男とあんなことまでさせられて……だから、僕は須崎を殺す。そうすればあなたは自由になれるでしょ?」


 ぐちゃぐちゃになった顔を葉月は片手で拭う。鼻水とよだれですっかり汚れてしまっていた。


「私は決して無理やり結婚をさせられたわけではありません」


 須崎の奥さんはそう言い切った。


「どうして……」


 葉月が言葉を失う。


「ですから私は自分で選んだんです。須崎との結婚を」


 彼女がどういう理由で須崎を選んだのかは分からない。須崎を愛していたのか、須崎の持っている富や名誉が欲しかったのか。だけど、葉月とってそれはどちらでもいいことなのだ。彼女が須崎との結婚を自らの意志で決めたという事実が辛く苦しいものなのだから。


「そんな……嘘だ」


「嘘じゃありません」


「それじゃ僕はどうしてこんなことを」


 葉月の双眸から大粒の涙が溢れた。言葉にならないような悲痛な叫びが商店街にこだまする。


「ほら、誤解なんだ」と須崎が優しい言葉を葉月に掛けた。「こんなことになったが大事にはしないし、君を責めたりもしない。だから、もう開放してくれないか」と。


「バカ言うな。葉月はすでに何件も殺人を犯しているんだ。今更、罪が軽くなることはない」


 警官が再び拳銃の引き金を引こうとした時、「やめておけ」と声がした。その声の主に、警官は振り返る。


 立っていたのは安山だった。

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