第2話 過去

 先生は真面目な顔で、一人の男とその友人の話をしてくれた。


 「ある男は昔から空手をやっていてな。中学の頃は住んでいた地元ではそれなりに有名だったんだ。それでその男は高校でも空手をやっていたんだが、強豪校に入っちまったせいで自分の強さが井の中の蛙だったことに気づいてやさぐれてな。いつしか素行の悪い先輩とつるむようになったんだ。それを見かねた同期入部した空手部の友人がそいつを呼び戻しに来たんだ。その友人が強すぎて嫌になって空手部を辞めたのにだぜ? なんかあてつけみたいに感じて、余計に荒れてその友人にもかなり酷いことを言ったんだ。さらにその勢いで他校の不良グループに喧嘩を吹っかけてな。最初は雑魚ばっかりだったし余裕だったが、さすがに大人数が相手だときつくってな。さすがに死ぬんじゃないかって状況で、その友人は空手の大会があったってのにその喧嘩にその男を助けに来たんだ。空手部で期待されるほどのやつがだ。その友人のおかげでなんとかその喧嘩を終わらせて片がついたんだが、その時にその友人は選手生命を失うような怪我をしたんだ。その男はそのときやっと自分がしたことの愚かさに気付いたんだそうだ。だが、選手生命は帰ってこない。だけどな、その友人はこう言ったんだ。『お前が無事でよかった。空手は好きだったが、飽きててな。最近はそれよりも興味のあることが出来たんだ。それに気づいたのはお前のおかげだ』ってな。その男はわんわん泣いたよ。そこからもう一度、その友人の分も背負って真面目に空手に取り組んだんだ。最近だとオリンピックで金メダルを取ったって話だぜ。それにその友人は空手も好きだから、今もたまにやっているらしいぜ」


 まるで一緒とは言わないけれど、先生の話してくれた内容はどこか俺の過去と似ている気がした。詰まるところ、先生が伝えたかったのは俺がこんなに思い悩んでいても「相手側はどう思っているか聞いてみないと分からない」というこだと思う。


 なにも問題が解決したわけじゃないのに、俺はどこか心が軽くなったように感じた。今まで思い悩んで思考に蓋をして下ばかり俯いていた俺を、蓋を取っ払って上を向かせてくれたような気がした。


 俺は生まれて初めて教師ってものの凄さを理解した気がする。いつもぐうたらでやる気の無さそうな先生なのに、今日だけはちょっぴり格好よく見えた。ちょっとだけだけど、教師ってのもいいもんだと思ったんだ。


 「先生……俺……!」


 「ほれ、ここに一枚だけ進路希望の紙がある。明日までに書いて来いよ。もうそれしかないからな」


 「……はい!」


 「あ、感動したところ悪いが、今のは作り話だ。わかったらとっとと帰れよ~。」


 「えええぇぇ?! 俺の感動を返してくださいよ!」


 「やかましい。例え作り話でも本当の話でも、お前の心に響いたのは間違いないだろうが」


 「うぐ……! ……まぁ、いいや。じゃ!」


 先生は作り話って言っていたけど、あれは先生の体験談だ。だって先生が柔道部の顧問をやっているのを俺は知っているからね。それでも作り話って言い切ったのは、他のやつには話すなよと暗に伝えてきたのだろう。


 俺の担任は不器用だけどかっこいい先生だな!


 俺は家に帰ってからすぐにパソコンに向かい、進路を探し始めた。俺の学力で入れる大学で、トランポリンが出来るところ。本当なら強豪校や名監督がいるところが良いのだろうが、あいにくそこまでの勇気はまだない。


 調べていくうちにある大学を見つけ出した。偏差値はそこそこ高いが、トランポリンサークルもあって大会に出たこともある。ただし、あまり結果は残せていないらしいが。


 「北海道か……。親元を離れることになるけど、逆に都合がいいかもしれないな」

 

 俺は今東京に住んでいるから、間違いなく寮生活か1人で部屋を借りて暮らすことになる。しかし、大学生になるのならそれもまた一興だろう。


 それに、北海道は美人が多いと言うしもしかしたら可愛い彼女が出来るかもしれない。


 「そういえば、蓮や綾乃の行こうとしている大学ってどこなんだろう?」


 仲がいいのに聞いた事がなかった。蓮も綾乃も部活を頑張っているから、授業中以外はあまり一緒にいる事がない。それ故に聞きそびれてしまっていた。これは明日にでも聞いてみるか。


 しかし、これで進路は決まった。今の俺の学力ならおそらく落ちることは無いだろう。こればっかりは日頃から真面目に授業を聞いていた自分を褒めてやりたい。部活をやっていなかった代わりに勉強をする時間があったのは僥倖だった。


 まぁ、昔からの習慣で筋トレやランニングだけは欠かさなかったから、体はある程度引き締まっている。これからもう少し本格的に筋トレをしてもいいかな。体幹トレーニングを多めにやっておくか。


 「待ってろよ北海道!」



※ ※ ※



 受験シーズンはあっという間にやってきて、怒涛の勢いで過ぎ去っていった。自己採点してみたけど

、山が当たったおかげでかなり高得点を取れたはずだから、落ちていると言う可能性は低い。


 それでも受験番号を確認した時はかなりドキドキした。本当は現地で確認したかったけど、あいにくと遠かったのでネットでの確認となったのだ。


 はやる思いを押し殺し、ゆっくりと番号を確認していく。


 「……0416……0417……あった!0418!」


 自分の番号を発見した時は両親と3人で小躍りするほど喜んでしまった。母は俺が番号を見つけた途端に親戚中に電話をかけて報告するほど喜んでいたし、父さんに至っては「今夜は焼肉だ!」と意気込んでスーパーへと肉を買いに行ってしまった。


 父さん、喜んでくれるのは嬉しいけどどうせなら家じゃなくて外食で焼肉が良かったよ……!


 合格が決まってからはやる事が目白押しだった。まずは住むための部屋を決めなければいけない。母は俺が料理などに困らないように寮生活にしようと考えたみたいだったが、父が断固として一人暮らしを譲らなかった。「部屋は最高のところを探しておいてやる」と言って、俺の一人暮らしが決定したのだ。


 理由はわからなかったけど、ただ一言「男として、一人暮らしを満喫してこい!」とだけ言われた。いったいどういう意味なんだろう?


 意味を聞いても「いつか分かる」の一点張りで、全く話そうとしなかった。きっと父のことだから、深い考えがあるんだろう。家事をこなせるようになれとか、色々あるんだろうな。これを機に料理を本格的に勉強してみようかな。せっかくなら美味しいご飯を食べたいしね。


 他にも必要なものは沢山ある。家電関係は全部一式揃えないといけなかったので、父と2人で家電量販店に買い物に行った。そこには俺のような人が新生活をすぐ始められるように、家電がセットになって安く買えるキャンペーンがあった。


 俺はこれでいいだろうと思ったのだが、またも父が断固として譲らなかった。「何があってもいいように少し大きいものを買っておけ」というので、一人暮らしするには必要のないサイズの家電買っている。テレビに関しては47インチのを買ってくれたので、映画なんかが大迫力で見れそうだ。


 「父さん、こんなに買ってもらえて嬉しいけど、お金大丈夫なの?」


 「心配するな。父さんはこれでも副業をやっていてな。これくらいなら屁でもないぞ! 母さんには内緒だがな? 男と男の約束だ!」


 「男と男の約束……! わかった!」


 「よし! 帰りはラーメンでも食って帰るか!」


 「いいね! 今日の父さんは太っ腹だね!」


 見たまんま、とは思っても口には出さない。そう言えば父さんとこうやって外食するのはいつぶりだっけ……。一人暮らしが始まったらこうやって親子で食べることも少なくなると思うと少し寂しい。


 もしかしたら父さんも俺と同じことを考えたのかな? 横顔をチラッと見てみたけど、猫舌なのかラーメンを必死にフーフーしていた。


 何を考えているか分からなかったけど、たまには実家に帰って来ようと決めた瞬間だった。


 「父さん、ラーメン美味いね」


 「あぁ、美味いな! また一緒に食いに来よう」


 「次は母さんも連れて、だね」


 「ははは、そうだな! 母さんも誘ってまた食いに来よう!」


 そっからはお互い喋ることなくラーメンをすすったけど、とても心地いい時間だった。




 そして時間は流れ、俺は北海道へと行く飛行機に乗ったんだ。

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