マグナ 2
迎え入れられたアトラント領主館は、緑豊かな場所でした。
商人や貴族の邸宅は街中にある事がほとんどで、記憶の底に僅かに残っていたエズ村は高地の岩山でしたので、もの珍しく思ったものでございます。
お仕えするのは男爵家と聞き及んでいましたが、土地は広大に繁り、資産も実績も家格には見合わない、少なくとも伯爵家相当のものでしょう。
貴族の子息の家庭教師。私には過分な職なのかもしれません。しかし、この頃の私は、他人に少し辟易してございました。
私が子供から一端の青年と見なされるようになってから、周囲の当たりは更に強くなっていました。優秀とお褒めいただけば、それだけどこかでやっかみを受け足を引っ張られる。
よくしてくださる方は確かにいらっしゃいますが、庇護下におかれた訳ではありません。私が私の存在を守るためには自分で立ち向かうしかないのですから、他人に任せて何かを委ねることができなくなっていました。
領主館の転移の間から出て、主人となる男爵に挨拶に伺う間、私は周囲を観察しました。
カトゥーゼ男爵は、庶民を優秀だという理由で、実績もないのに子息の家庭教師として受け入れる、奇特とも言えるお方です。その人柄や領主としての手腕に、とても興味を引かれていました。
出迎えてくださりましたのは、執事長の初老の男性。ダリー執事長は柔和な表情と物腰で、瞳は鋭いお方でした。しかし、私を見定めようとはしているのでしょうが、蔑ろにするおつもりはないようで丁寧に接してくださいました。
古くはありますが品のいい調度。研き抜かれた館。すれ違う使用人は足を止め、笑顔で会釈をくださいます。そこにはあの使用人同士で蹴落とし主人の寵を競うような、禍々しさは見えません。
一際立派な扉の向こうで、旦那様は迎えてくださいました。
大きな体躯は日に焼けて、力仕事をするかのように筋肉の隆起を見て取れます。それは優美さを競う貴族らしさの欠片もないお姿で、差し出された手もゴツゴツとまめ張って固くなっていて、労働を知っている村長辺りのように感じられました。
一分の隙もないように全身に神経を張り巡らせて挨拶すると、旦那様は快活に笑って私の肩を宥めるように叩きました。
久々に子供扱いをされたようで、複雑な気もいたしましたが、害意ない旦那様のお姿とおふるまいに、見くびられまいと意地を張っている自分の方が明らかに子供なのだと思い知った次第です。
旦那様の手は、誰よりも温かかったのですから。
旦那様への挨拶を終え、私は直接のご主人様となるご子息の元へ挨拶に伺いました。
貴族の子息に良い思い出がない私には、一番億劫なことでした。
子供とは残虐なもので、己を主張するあまりに他者を虐げる事を
商家であれば、その思い上がった未熟さを
使用人を多く抱えていれば、親である旦那様がたは幼い子供に関わる機会が少ない事が多く、貴族の子女は地位のない下働きを、まるでその辺りの虫ででもあるかのように、気分ひとつで自由に振り回す存在でした。
旦那様のご嫡男は今年6歳を迎えるとうかがっておりましたから、私の心うちの辟易とした思いは最高潮に高まっていました。
ご子息に出会って、私はまず目を疑いました。
旦那様に似ていないその小さな身体は、輝いています。この地に満ちた魔力に負けず劣らず、小さな器に溢れる程の力をまとって。
魔力を持てども、その素養に気付かずに生涯を終える方は多くいらっしゃいます。
エズ村には魔法適正が高い者が度々生まれ、医師の代わりに村を支えていました。私は村を出るためにその適正があることを隠していましたが、魔力を操る術だけはしっかりと習熟していましたし、何よりも魔力が見えるのです。
陰ながら研いた魔法は、旦那様がたに知られれば高く売られたに違いありません。ですので魔法が使えることは、ここ数年、自分で自分の身を交渉できる実力を得て、ようやく少しだけ明かした程度でした。
私の魔法適正はかなり高いと自負していましたから、もしこの力が知られてしまいますと、私は自分の知識への追究を差し置いて、魔術師として務めるはめになりかねないと思っていました。
ともあれ。ご子息は、今まで見た誰よりも、私自身よりも輝く魔力をまとっていました。
そして、口を開いてみれば、ご子息は到底子供とは思えませんでした。
いいえ、これは子供ではありません。子供のふりをした何か。そして、この国のものでない何か。
ご子息は、この国では一般的ではないお考えを、見知ったように覗かせていました。
私に取ってはそれは非常に興味深く面白いもので、もっと話をしていたいという思いでいっぱいになりました。どんな書物よりも輝く知識がつまっている人間。この方を主人とできる事に高揚しました。
ご子息は私が思うままに振る舞うことを苦笑して受け入れ、使用人としての礼節を覗かせると、もっと困ったように眉をひそめます。
使用人を所有物と考えているふしは全くなく、私は常に自由でした。それは、旦那様も奥様も同じなのでしょう。この館では私だけではなく、他の使用人も一人の人間として尊重され、そこには出自の差などございませんでした。
そもそも旦那様が男爵ですので、使用人の中で高位といえど准男爵家の三男辺りが最高でしたし、ほとんどが庶民でした。
家庭教師としての講義はやってみるととても楽しく、週の半分程度の時間が物足りなくすらありました。
尋ねられることは幅広く、私の蓄えた知識をご子息が発展させ、私が考えたこともなかったような実践的な答えに結び付くのが、私にも喜ばしかったものです。
旦那様は情けが深く、私をいつも労ってくださいます。
私の仕事はそう多くはない上に、部屋と食事の面倒を見ていただき、更に相場のお給金を給ります。それだけでも破格の待遇であると言えますのに、折に触れて図書室には新しい本を買い揃えていただき、成長期の身体に合わせたように洋服を仕立ててくださいました。
私は心行くまで毎日を己の研鑽につぎ込みました。ご子息は私が部屋に出入りすることを咎めず、それどころか机や書籍、棚などといったものまで与え、友人との集いにも招いてくださり、有意義な語らいを与えてくださりました。
これ以上、私にとって居心地の良い場所などあるわけがございません。私は、使用人と言って良いのでしょうか?
ですが、主人が求める私もまた、ただの使用人らしい使用人ではないのです。
私にとってカトゥーゼ家は、夢のような職場でした。
そう感ずれば感じるほどに、いつまでもここにいられるわけではないと、焦りが生じるようになって行きました。
ご子息は最初から、子供ではありません。家庭教師の職は、既に不要といえるほどなのです。
ご子息が何者であるか、その傍らの人ならざる存在のことなどは、私にとってはどうでも良いこと。
私はせめてこの主人に何かを残してゆきたいと思うようになっていました。
裏舞台 ちえ。 @chiesabu
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