マグナ 1
もとは奴隷村であったその村では、姓などという立派なものをもつ者などおらず、村を出るときに私はマグナ・エズ、すなわちエズ村のマグナを名乗ることになりました。
村ではほとんどの者が文字も読めず、元々が異民族であったらしい事と、伝聞以外の方法を持たなかった事で、エリストラーダの公用語は酷く歪み、村の外の人間にはなかなか通じない程の田舎なまりがございました。
私が幼い頃に最初に興味を覚えたのは、文字でした。
村では日が昇ってから沈むまで、子供から老人まで皆が働くのが当たり前でした。
主たる労働は石切であったので、男たちは岩山に、女たちの中でも体力があるものは男に混じって肉体労働を行います。
少女たちと幼い子供たちが小さな子供の面倒を見たり、家事を行ったりと家庭内労働を行い、少年ともなれば岩山の手伝いに出かける、そんな山奥の閑散とした場所。
村にあったのは家族が寄り添って寝起きできるくらいの粗末な家と、少ない家畜くらいでしょうか。行商は村の外からやって来ましたし、店と呼べるものもないくらい何もない場所でした。村の物流に貨幣はほとんどなく、概ねが配給だったように思います。
その中で、村の外から入れ替わりでやってくる総督のような方だけが使う文字。たまに目にする機会があるその文字に、私は興味を引かれたのです。
ある若い総督は気が良いお人柄で、幼い私が岩山で仕事を手伝う間に文字を尋ねると、丁寧に教えてくださいました。私は仕事をおろそかにしないことを条件に、教えを乞いました。そして、読み書きが出来るようになりました。
村は貧しかったので、子供たちは度々商人の
私は読み書きが出来たことで良い勤め先が見つかり、両親や兄弟たちもその方が良いだろうと喜んで送り出してくれました。
商人の元で、私は商いのなんたるかを学ぶと共に、言葉と礼儀を学びました。
エリストラーダの公用語が上手に喋れるようになるまでは人前で喋ることを禁止され、人前に立てる礼儀を身に付けるまでは裏方の仕事しかできませんから、当時6歳くらいであったでしょうか、まだ幼かった私は全力でそれを覚えました。
それから2年近くが過ぎた頃には、私は商家の使用人として十分な仕事ができるようになっていました。
仕事に慣れた頃には、私は書物に強い興味を覚えるようになっていました。
あの貧しいエズ村の、配られたパンを片手に笑顔でいられたような故郷で過ごした日々からは想像もできなかった世界が、書物の中にはござました。
商家の主は私の様子を見て、貴族邸宅の使用人として推薦してくださいました。そこには多少利益のやり取りがあったのでしょうが、お勤めさせて頂いた小貴族の旦那様は仕事以外の時間には書物の閲覧を許してくださり、たいへん有意義に過ごさせていただきました。
その頃には、私は自分の境遇が理解できるようになっていました。
老人や幼子までが朝から晩まで働かなければならないエズ村は、今も奴隷村と変わらないこと。
それでも子供を売らなければならない程に貧しく、売られた方が子供も幸せな程の酷い環境であること。
不満を覚えさせないように、知識を与えず、自由も贅沢も教えず、日々そうであることを当然と思うように飼われていた、私たちは家畜と変わらなかったという事実。
私は優秀な家畜であるが故に、ご主人様方に利益をもたらして高く転売されて来たのです。
知ると言うことは、征すということ。無知な者は搾取されても気付かない。
もしもエズ村の皆が、自分達が富めるものの財の為の家畜だと知ったとしたら?
きっと、何も変わらないでしょう。何の理不尽にも抗えないのです。無知な故に。
私は他人の何倍もよく働く子供でした。エズ村ではそれが当たり前でしたから。望むのは知識だけ。私は誰にも負けない知識を身に付けたいと、その思いに占められて日々書物を読み耽り、己の領域を広げることにわずかな空き時間の全てを捧げました。
私にとって、知性を研くことは世の中の全て。私のわずかばかりの自由の全て。私を守る術の全て。私の唯一の武器でもありました。
都合の良い私を旦那様は気に入ってくださりました。使用人の方々は、田舎の子供である私を御しやすいと踏んで利用しようと接触する方が多くいらっしゃいましたが、私はそれが理不尽であれば逃れる知恵をもっていました。
愛想のない、利用できない、可愛げのない田舎から売られてきた子供。私は度々嫌がらせを受けていました。いわれない罪を被せようとされることも。
私は冤罪を回避する術を身に付けていましたし、旦那様はそれを鵜呑みにする方でもありませんでした。しかし、自分の邸宅で諍いが起きている状況には頭を悩ませられたようで、私を他の貴族の使用人として紹介してくださいました。
そうやって、幾つかの貴族や裕福な方の元を移りながら、私は使用人として長らく過ごして参りました。貴族の社会では下賎と蔑まれることも多くあり、なかなかに過ごしづらい場所も多々ございました。
仕事ができようと、交渉に長ける知恵を身に付けようと、私は姓もないような田舎の卑しい奴隷民。重用されることはなく、変えなど幾らでもいるのです。
私はいつしか、大学に行くことを夢見るようになりました。最低限の教育も受けたことがないエズ村の奴隷民が、大学に行くなどという夢物語は現実的ではございません。
ですがもしこれが叶ったならば、私が今までしてきた事を認めさせることができるように思いました。
私は私の人生に、一分も後悔はありません。自分で自分の行いを、その成果を、確かめて認めてきました。いつでも最大限出来ることをしてまいりましたし、考え得る最高の結果を掴んでまいりました。
ですから、悲観や不満としてではないのです。ただ、私がそれを達成できたならば、夢のようではないかと。憧れのような目標といったところなのでしょうか。
そして、いつしか村を出てからは10年以上が過ぎ、16歳まであと数ヵ月といった頃。
私はその頃の旦那様のはからいで、カトゥーゼ男爵家の家庭教師となったのです。
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