雪と小屋

草森ゆき

1話目


 森の奥で木々に囲まれながら冬を越していた。今年はよく降ると途切れがちなラジオに教えられたが聞くまでもなかった。窓の外は見えない。表面に雪がこびりついて真っ白になっているからだ。ごうごうと荒れ狂う風の声だけが隙間を縫って入り込んでくる。

 冬季だけ小屋で生活をする。いつだったか観た洋画に憧れて知り合いのバイトを引き受けたのだ。冬は寒さのあまり人恋しくてこのような過疎地にいられないのだという。不在の間小屋をそれなりの状態に保ち続けることがアルバイトの条件だ。喜んで引き受けた。

 バイトは二年目だった。一年目は大した量も降らずにあっさりと終わって、しかしひとりきりの自由な時間は新鮮で素晴らしかったため、今年も小屋にこもっているわけだった。冬は嫌いじゃない。いずれ春になると思えばなにも億劫に感じない。

 暖炉に薪をくべながら口笛を吹く。大声で歌っても自由だ。大音量で映画を観てもとくに問題はない。食事類は保存食が基本だったが雪さえ止めば近場の町まで買い出しに行ける。

 そう雪さえ止めば。


 まったくもって降り続ける雪に辟易し始めた頃、訪問客があった。知人かと思い扉を開けたがまったくしらない人物だった。驚いた顔をされたので知人の知人か友人かなにかだろうと、留守を預かっている旨を伝えたところ、両方の掌で肩をつよく掴まれた。ひどく冷たい掌だった。

「おねがいします、中に入れていただけませんか」

 あまりの必死さに遭難したのかと同情する。そう深い森でもないのだが、この雪では仕方がない。放り出すのも人道に反すると結論付けて訪問者を室内に引き入れた。ありがとうございます。ほっとしたような声で言いながら、朗らかな笑顔を向けてきた。肩にかかる程度の黒髪には雪が積もっていて寒そうだ、哀れに思って暖炉の前まで連れて行く。

 結果から言えば引き入れたのは間違いだった。黒髪は暖炉の前に座って自分の話をし始めた。ほとんどさっぱりなにも覚えてはいないのだけれど、気がつくとこの小屋付近に座り込んでいた。戸を叩いたのは助けて欲しかったからというよりは自分のことを教えてほしかったからだ。あなたがいいひとでよかった、お願いします教えてください。これからどうすればいいのでしょうか?

 途方もない質問に閉口した。思わず黙り込むと、申し訳なさそうな目を向けられた。

「たったひとつだけ覚えていることがあります」

「うん、名前とか?」

 首が横に揺れて、髪が音もなく肩を滑り落ちる。

「雪が降り続けているのはなにも覚えていないせいです」


 とんでもないことになった。あわててラジオをつけて確認したところ、雪雲が動かずとどまっている異常気象について話していた。冬が雪の消し方を忘れたようだ。晴れ間を頼もうにも冬自体がどうも行方不明で音沙汰がない。そんな話を聞かされた。

 黒髪は暫定的に冬とした。いや確定的だとは思うけどもなにせ冬と会話したことはないのでわからない。しかし冬っぽくはある。今はカレーを食べながら雪で白い窓辺をぼんやり見つめていた。なんだかこの黒髪には色合いがすくなかった。肌もどこか白くてはじめに現れたときの服装は鈍色の上着で、妙に落ち着いた雰囲気は人間というよりは現象に近い。

 見つめ続けていると不意にくしゃみをした。その途端につよい吹雪が窓枠をがたがた言わせた。連動してるようにしか見えなかったので決めた。今からこの黒髪を、冬と呼ぶ。

 そうなれば冬をさっさとどこかに、気象庁? にでも連れて行かなければならない。そのためには雪を止ませる必要がある。雪を止ませるには冬が冬であると思い出してもらわなければならない。

「カレー、おかわりもらえますか?」

 非常にリラックスした様子で聞いてくる。人懐こそうな笑みも追加されたので空の皿を受け取った。米粒ひとつ残さずに食べている、と思ったが口の端についていた。自分の口をとんとん叩いて示せば不意をつかれたような顔をしてから舌を出し舐め取った。桜色の綺麗な舌だった。

 おかわりを出して目の前に座る。さてどうするか、あなたはたぶん冬なのだ、そう言ったところで信じるのだろうか。

 カレーをぱくぱくと食べる様子を眺めながら考えていると、

「あなたは顔をよく見てきますね」

 顔色を変えず食べるペースも変えず聞いてくる。

「しらない相手なんだから、どうしても興味はあるよ」

「記憶のない相手にですか?」

 スプーンが翻る。器用な手付きで米粒がくぼみに集められてゆく。

「思い出せば雪が止む?」

 問い掛けると首は縦にゆれた。カレー皿はいつのまにかまた空になっている。

「どうしてそれはわかるの?」

 続けて更に突っ込めば、

「覚えてないんですよ、それ以外のことは」

 とすげなく返される。

 冬は汚れた皿を洗い場に持っていった。後ろ姿を眺めながら、さてはこいつ覚えているなと疑った。

 忍び足で歩み寄って真後ろに立ち、わっと声を出して驚かすと両方の肩がおおげさに跳ねた。吹雪の音が強まって、冬は振り向きながら何をするんですか! と慌てた様子で咎めてきた。耳を押さえている姿にはすこしだけ愛着を感じた。



 さて本日は有給休暇中の夏さんに来ていただきました。夏さんこんにちは!

 こんにちは。

 今年は雪がまったくやまなくて、冬さんが行方不明だと噂になっておりますが、夏さんはどうお考えでしょうか?

 さあ、どうなんでしょうね。我々春夏秋冬はお互いにあまり関与しないものですから。

 そうなんですか?

 そうですよ。たとえばわたしと秋なんかは虫や田畑の引継ぎですとか、空模様の打ち合わせなどを連携して行いますが、冬とは離れているし会話したことはほとんどないですね。

 それなら冬さんは、秋さんや春さんとよく話されているのでしょうか?

 いやどうでしょう。冬はほとんどぜんぶねむる季節ですし、秋と春に引き継ぐ事柄は然程ないと思いますよ。それにたしか秋から聞きましたが、あれは一匹狼らしいので。

 そうなると捜索は更に混乱を極めてしまいますが……どうにかならないのでしょうか?

 冬を探し出すよりは、春に頑張ってもらうほうが早いんじゃないですかね。



 吹雪は全然止まない。とはいえ小屋の管理を放っておくわけにはいかない。真横から雪が殴りつけてくる拷問に耐えながら外に出て、屋根の雪下ろしを気力で行った。家の中で待っているように言い含めたが冬もついてきて、積雪量がすばらしい地面に突っ立ったまま屋根を見上げていた。長い黒髪が暴れている。太腿の辺りまで埋まっているので家に入れと屋根から叫ぶ。あなたが落ちたら助けなければ。そんなことを言いながら埋まり続けて積もり続けている。

 粗方雪を払い落としてから、怪我はしないだろうと飛び降りた。その瞬間冬があっと叫び、雪の勢いが強まる。冬は焦った様子でこちらまで進んできた。藪を漕いでいるように腕を左右に振るのでなんだかおかしかった。雪の粒がぐるぐる回る。横殴りだった降り方が急に切り替わって、無差別にあちこちから飛んで来る状態になった。交差する降雪は器用に木々の間に壁を作っている。

 色がない。辿り着いた冬が腕を掴んでくる。息を切らしているが頬も鼻も赤くはなくて、けれど限りなく人間の見た目だからじわじわ混乱してきた。自分の首に巻きつけていたマフラーを冬に与える。もう中に戻ろうと告げて、雪を掘りながら玄関まで進んでいく。

 住み込まれてから二週間は経った。冬はすっかり馴染んで、ここを出るときに一緒に来たいと言い出した。大問題だった。春夏秋冬が春夏秋になる。起承転結が起承転になるとたいへん煮え切らないのと同じだ、序破急にすればまるくおさまるという話ではない。

 ……いや逆か。冬がなにも思い出さなければずっと雪が降るのだとすれば冬冬冬冬、冬の四乗がやってくる。いやちょっと違うが数字は苦手なので置いておいて、永遠の冬は星が終わりかねない。冬眠中の熊だってそのまま死ぬかもしれない。

 当の本人は機嫌が良さそうに食事を作ると言ってきた。炊いた米を一生懸命握っている。凍ったおにぎりになりやしないかとひやひやしたが、あたたかなおにぎりがほかほかと皿に並べられた。塩がきいていて美味かった。

「ここを出たらどこにいくんですか?」

 冬は渡したマフラーを膝の上でもぞもぞと触りながら問い掛けてくる。

「ふだんは辺りをふらふらしてるよ。根無し草だから、ひとところにはいないんだ」

「旅人なんですね? ……あまり覚えてはいないけれど、誰かとすごすことはほとんどなかったような気がします。だからこうして一緒にいれるのがうれしい、このままあなたと一緒にいきたいです」

 行きたいなのか生きたいなのか、後者だったらかなり無理がある、と考える部分では思うのだけれど感じる部分ではよろこんでいる。

 雪はやまない、冬を思い出させたい、しかしそれは今目の前にいる存在との別れにひとしい。

 連れて行きたい気持ちが日毎につよくなっていく。冬は素直で、穏やかで、朗らかに、花が咲くように笑ってくれる。おにぎりが美味い。共に連れて行けたら何処に行こう。海沿いを並んで歩いて波の声を聞く、降り注ぐ紅葉を受けながら山道を散策する、うららかな日差しを浴びて淡い青空の下ひとねむりする、緑の深いうつくしい川に釣り糸を垂らして意味はないが笑える話を交し合う、舌が痛くなるほど冷やした西瓜を食べて流れ落ちる汗を拭って、突き出す入道雲を背景にまた次の場所へと旅立つ。想像すればするほど焦がれてしまう未来だった。到底ありえない未来だとわかっていた。こちらの悲しみに寄り添うように冬は眉を下げて瞼を下ろす。緩やかに伸びてきた掌が手の甲にそっと乗った。可哀想なくらいに冷えている。握り返せるくらいに勇気とか無鉄砲さとか矜持とか、それに順当するような能力がなにかひとつでもあればよかった。ひとつもなかった。ほとほとちっぽけな人間である自分と誰もが知っている冬という季節ではなにもかもが違っていた。触れた掌がゆっくりと離れていく。膝に置かれたマフラーの上に戻った掌は、込み上げる感情を堪えるように生地をつよく握り締めた。冬もわかっているのだ。一緒にはいられないということを。


 四月が近付いても雪が降る。冬の捜索は各地で行われていた。春を起こせというデモもやっているらしかったがぶつぶつ途切れるラジオ越しではなにもわからない。

 食料が尽き掛けていた。三日くらい塩を舐めるだけの生活だった。冬はなにも食べなくてもいいらしく、当たり前かと思いはしたけどじゃあなぜ食べていたのか聞けば、あなたがくれたから美味しかったといってくる。

「このままだと、記憶が戻る前に、餓死するとおもう」

 正直に告げると、冬ははっとしてから表情をゆがめた。穏やかだった瞳からぼろぼろと涙が零れ落ちていく。ごめんなさい、自分のわがままのせいでごめんなさい。

 そして冬も正直に告げる。雪がふりやまないのは自分のせいだ、ごめんなさい、ごめんなさい。わかっていたのだろうけれど、ほんとうはすべてを覚えています、貴方といたくて冬を終わらせようとしませんでした。ふりすぎないように気をつけていましたが、くしゃみなどで気を抜くとつい弱まってしまって……ごめんなさい、ごめんなさい、しなないで。

 私は春です、私がいなくなったから、雪はふりやまないのです。

 つい大きな笑い声が出た。手招きして耳に口を寄せ、飢え死にしても良いといってから、伝えるべき言葉を吹き込んだ。



 ……さて今日は冬さんに来ていただきました! 今回は冬さんの不手際ではなく、春さんの独断だったということで……春さんは今どうされているのでしょう?

 仕事始めを遅らせたので作業に追われているみたいですね。

 それはなんとも……いたるところで被害が出ていたそうですしねえ。雪山に閉ざされて飢え死に寸前だった方もいるようですし、冷害で作物が悉くダメになってしまったとか。原因は一体なんだったのでしょうか?

 詳しいことはさっぱり。

 春さんとは引継ぎをされなかったんですか?

 いやしましたが、詳しいことはなにも。……ただ、先程おっしゃった飢え死に寸前の人のことは春が連れてきましたよ。

 そうだったんですか、なぜでしょう?

 春を拾ってくれたそうです。

 行方不明になっていたのは春さんだったんですねえ。

 なんだか嬉しそうでしたよ。春のくせにマフラーなんて巻いてね、じゃあ仕事にいってきますって、存外嬉しそうにいうもんだから、一匹狼のわたしですが聞いてしまいました。いい休暇だったみたいだなって。そうしたら……。

 そうしたら?

 あの人、春がいちばんすきなんだって。そう、花が咲いたみたいに笑って言ってから、春一番になって仕事場に飛んでいきましたよ。

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雪と小屋 草森ゆき @kusakuitai

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