羽織裏の武田菱

上月くるを

羽織裏の武田菱

 

 万治元年七月三十一日(九月二十八日)申の刻。

 会津藩大坪古流馬術師、相馬武光の密命を受けた妹のお涼と許嫁の蜂谷欣之助は愛馬の鉄扇と霧笛に乗り、最初の探索地である武蔵八王子に入った。ふたりは武光の一番弟子であり、欣之助は会津藩随一の剣術遣いでもある。


 それより前、加賀藩主前田綱紀に嫁ぐ五女松姫の婚礼前祝いの席で、長女で出羽米沢藩主上杉綱勝の妻の媛姫(はるひめ)が毒殺されるという怪事件が発生した。

 前代未聞の醜聞の決着を急いだ肥後守の裁量は、側室腹の松姫が正室腹の媛姫より家格の高い家に嫁ぐことを妬んだ正室、お万之方による不手際の仕業ということにしてあったのだが、その設定にはどうしても繕いきれない破綻がひそんでいた。

 そこで真の下手人探しが、肥後守の信任篤い相馬武光に科せられた。

 熟慮の末、武光は殿さまの複雑な生い立ちに遠因を探ることにした。

 

 肥後守は二代将軍秀忠と側室のお静との間に生まれた庶子である。

 正室のお江与之方の悋気を怖れ、江戸城田安門内比丘尼邸の見性院(武田信玄の次女)のもとで生まれた幸松(幼名)は、ついで八王子の信松尼(信玄の五女)に育てられ、七歳のとき、信濃国高遠藩主保科正光に養子として引き取られた。

 いま比丘尼邸は痕跡もないので、まず信松庵を訪ねることにしたのだが、信松尼も四十余年前に没しており、果たして当時の事情を知る人に遭遇できるかどうか。

 

 いまを去る七十余年前、同腹の兄である仁科五郎盛信の幼い遺児三人を連れて、険しい峠越えで甲斐から八王子に落ち延びた信松尼は、高尾山颪の風雪をどうにか凌げるだけの、山小屋同然の茅屋住まいを余儀なくされていた。

 そこへ家康から派遣されてきたのが、信玄の旧臣、大久保石見守長安だった。

 信玄お抱えの猿楽師にして大蔵流猿楽の始祖でもある大蔵太夫十郎信安の次男として生まれた石見守は、父親と同様に信玄の蔵前衆として召し抱えられ、黒川金山をはじめ鉱山開発や税務に卓抜な才を発揮した。

 信玄の没後は後継の勝頼に仕えたが、天正十年、織田信長と家康の連合軍による甲州征伐で甲斐武田氏が滅亡すると、武田の遺臣を重用する家康に拾われた。

 

 天正十八年、上野沼田城の支城である名胡桃城の乗っ取り事件を機に太閤秀吉が仕掛けた小田原征伐で北条氏を滅亡させると、秀吉はただちに家康の所領の駿河・遠江・三河・甲斐・信濃の五か国を召し上げ、北条氏の旧領の武蔵・伊豆・相模・上野・上総・下総、下野と常陸の一部の関東八州に移封させた。

 当時は熊や猿、狐狸も出没する未開の地に過ぎなかった江戸に入封した家康は、内心に秘めた野望の布石として、気の置けぬ重臣衆に新領地を分配した。

 初の所領地として武蔵八王子三万石(実質九万石)を賜った大久保石見守長安はまぜ甲州街道を開き、武田の遺臣衆を組織して半農半兵の八王子千人同心(当初は五百人)を養成、さらに石見土手を築いて治水を図るなど目覚ましい働きをした。

 

 新主の大御所家康に誠実に尽くす一方、旧主信玄の恩を忘れぬ石見守が忘れ形見の信松尼に贈ったという信松庵は、御所水の地と呼ばれる聖なる一画にあった。

 武田の姫の華やかな印象をよそに、現実の信松庵は至って簡素な佇まいで、相当な樹齢の枝垂れ桜に、建坪にして十坪ほどの小さな庵がひっそりと埋もれている。

 あとを継ぐ尼が絶えて久しいと見え、人の起居の気配はうかがえぬが、古錆びた白木造りの観音開きの前に、花も葉も瑞々しい数本の野菊が供えられている。

 爛漫の春には、さぞや見事な花簪を付けるであろう枝垂れ桜は、人間界で起きた出来事を見届けながら、年々歳々、薄紅色の花を咲かせては散ってきたのだ。

 

 思いにふけっているとき、二組の人馬の背後から、黒い礫が飛んで来た。

 お涼が苦無(くない)で応戦するより早く、欣之助の腰の物が夕日に煌めく。

 風車型の平型手裏剣が二頭の馬の脚を狙って、矢継ぎ早やに飛んで来る。

 鉄扇と霧笛は怯えて嘶(いなな)きながら、二本のうしろ足で竿立ちになった。

 ――こちらは引き受けた。お涼どのは馬どもを頼む!

 阿吽の呼吸でお涼は二本の手綱を引き寄せた。両肩に二つの長い顔を担ぎ、羽織の袖で両馬の外側の目を塞いだ。頭部の側面に位置する馬の目の瞳孔は横長に開くので、居ながらにして周囲の全景を見渡せる構造になっている。それだけに、襲いかかる敵への憂虞(ゆうぐ)の度合いは人間の比ではない、と兄に教わっている。

 外側の目を塞ぎ、内側の目で至近の互いを確認し合えるようにしてやると、滅茶苦茶な大混乱に陥っていた鉄扇と霧笛は、ようやく落ち着きを取りもどした。

 

 遠慮がちな男声に振り向くと、小ざっぱりした身なりの百姓が立っている。歳の頃にして三十路半ば。小柄ながら鍛練がうかがわれる筋肉質の肢体をしている。

「先刻から拝見しておりましたが、信松庵にご用でいらっしゃいますか」

 百姓とは思えぬ丁重な物言いである。

「さる一件に関連し、昔の由縁を少しばかり調べております。信松尼さまのご事績を貶めようとか、悪辣な謀略を働こうとかいうつもりは微塵もございませぬ」

「あえて事情は伺いませぬが、どなたかの命運を決する重要なご探索とご拝察申し上げます。手前どもで少しでもお役に立てますれば……。どうぞこちらへ」

 

 百姓が連れて行ってくれたのは信松庵から半里ほど里山に近づいた小村だった。

 両側に並ぶ家はいずれも百姓家でありながら、荘厳な武家風の門を構えている。

 物差しで引いたような家並みにも、塵ひとつ見当たらぬ小路にも、それどころか雀どもが長閑に鳴き交わす上空まで、凛然たる武士の気に支配されているようだ。

 これがうわさに聞く八王子千人同心の村か。

 さすが武田の漢気(おとこぎ)に満ちている。


 待つように言い置いた百姓は、ひときわ家構えの立派な屋敷に入って行った。

 道の中央を流れるせせらぎの水を鉄扇に飲ませていると、同じく霧笛を休息させていた欣之助が、「ほうっ!」と驚嘆の声を放って、通りの向こうに目をやった。

 お涼もそちらを見ると、やんちゃな十人ほどの童(わっぱ)が、団子に固まったり、霰のように散ったりしながら、賑やかにチャンバラごっこを繰り広げていた。

 欣之助に声をあげさせたのは、先頭の二人が掲げる幟旗の紋様であるらしい。

 一方の大将が翳す「三つ葉葵」(徳川家の家紋)はわかるとしても、他方の大将が堂々と掲げているのは「四つ割菱」(武田菱)にちがいなかった。

 ――子ども衆の遊びとはいえ、ご公儀の御代に「武田菱」を翻らせるとは!

 ふたりは意外な視線を交わし合った。


 そこへ先刻の百姓がもどって来た。

 鉄扇と霧笛を長屋門脇の馬繋ぎ場に預けた二人は、粛々と屋敷に入って行く。

 顔が映るほど磨き込まれた廊下の最奥の座敷に、老庄屋が端然と座していた。

「よく参られましたな。信松尼さまのご事績をお訪ねくださったとか。年古るごとに忘れられてゆく昨今を嘆いておった拙者としてはまことにありがたき仕儀にて」

 羽織袴の老庄屋は、言葉づかいも武士そのものだった。


「で、何を知りたいのじゃな、お若いの」

 女を歯牙にもかけない頑固者らしく、欣之介ひとりに訊いてくる。

「いまやわが主君は天下の名君として知られておりますが、家臣には身近に過ぎ、不埒にも軽く見る者も少なくございませぬ。そこで、信松尼さまのもとで幼年期のわが主君がどのようにお過ごしになられたのか、そこをお伺いしたく存じます」

「なるほど。ありそうな話じゃ。昔から近くに名医なしと言うでの。で、一朝一夕に立派なご人格が出来上がった訳ではないご名君の、そもそもの成り初めを探り、お国へもどって、いっそうのご仕官のお役に立てたいと、かような次第じゃな」


 欣之介の説明に納得した老庄屋は、ゆるゆると昔語りを始めると見えたが、

「と申しても、幸松さまが信松尼さまのもとにおられたのは、ほんのわずかな期間であったゆえ、さて、取り立てて申し上げる事柄も思い出せぬのじゃがなあ……」

 案に相違して、老庄屋の話はにわかに窄(すぼ)んで行く。

「そのわずかな期間にお目に留まった、印象的な出来事は何かございませぬか? 取るに足らぬ事柄でも、曖昧模糊とした事柄でも何でもよろしゅうございます」

 欣之介が懸命に食い下がると、皺ばんだ目を宙に泳がせていた老庄屋は、おお、そうだと言うように膝を打った。

「信松尼さまも見性院さまも幸松さまをたいそう愛しまれてな。母親のお静さまそっちのけで世話をやいておられた。あるとき、信松庵のそばを通りかかった拙者の耳に、何事か烈しく言い争う女声が聞こえて来たことを思い出したのじゃ」

 欣之介とお涼は思わず身を乗り出した。

 

「さような仕儀は伺っておりませぬ! と叫ぶが如き細い声は、ご生母のお静さまじゃった。そなた、わたくしの恩義を忘れたのか、野良猫のごとく打ち捨てられておったところを助けたのはどこのたれじゃ、堂々たる貫禄は見性院さまじゃった。日頃からもの静かでおられた信松尼さまのお声は、いっさい聞こえて来なんだ」

 公方さまに見捨てられた日陰の母子をお助けする。

 絵草紙のような綺麗事にはやはり裏があったのか。

 欣之助が先を促すと、「それよ」老庄屋は裁きでも下すように告げた。

「見性院さまは幸松さまを養子にして、武田家の再興を図られたかったのじゃな。なれど、ご生母のお静さまは武田家などまったく眼中になく、ひたすら公方さまのお子としての認知のみを望んでおられた。奈辺に両者の齟齬が生じたのじゃろう」


 探索旅の初日としては上々の滑り出しに、欣之助が丁重な礼を述べると、

「おお、そうじゃ。土産代わりにいいものをお目にかけよう。ほれ、ご覧なされ」

 着ていた羽織を勢いよくめくった老庄屋は、袖裏の目立たぬ場所を指し示した。

 ――いまの御代に、かようなところにも「武田菱」を潜ませておるのか!

 お涼と欣之助は、翩翻とひるがえる風林火山の幟旗の幻を見ていた。 【了】

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