第45話 エピローグ

 時速162キロ。 

明宮との試合で、俺が最後に投じたボールのスピードだそうだ。

バックネットに来ていたスカウトの一人が計っていたらしく、

非公式ではあるが高校生史上最速と一時話題になった。


 だがそんな動画やネットニュースの類は、

ものの数日ですっかり立ち消えていた。

なんせそれを投げた投手が、もう一度それを再現できるか不明な状態に陥ってしまったからだ。



 あの日、

試合の後病院へと運ばれた俺は熱中症と診断され入院はしたが、それ自体はすぐに回復する。

だが腕の脱力感、肘の痛みが消えず追加の検査を受けた結果、

それが投手としては致命的な大けがだということが判明する。


 右ひじの靱帯断裂。

再び投げられるようにするには、通称トミージョンと呼ばれる靱帯の再建手術が必要であり、それも全治には早くても一年はかかるとのことだった。


 ただでさえ炎天下で体に負担がかかる中、

あの日の俺は調子に乗ってスピードボールを投げ過ぎていた。

まだ発展途上の筋力では、肘を高速で曲げ伸ばしする負荷には耐えきれず、

靱帯は伸び切り、ついには千切れてしまったのだ。


 俺の肘はいま、ガッチガチに包帯とギプスで固められたまま、

まともにピクリとも動かすことすらできない。



「ゴメンっ、ライトくん。僕がもっと君の状態に注意して見ていればこんなケガをさせずに済んだのに」

ひじの手術で入院していた時、たった一週間程度の間なのに玉野は毎日のように訪れ気遣ってくれた。

 

 普段の愛嬌あふれるアイツの表情が、あんなに苦しげに、まるで人の痛みを肩代わりするかのように苦悶の表情を浮かべているのをもう見たくはない。


 もう野球なんぞやらんなら、手術をしなくても日常生活には支障がないということで、

手術を選択するかは本人次第といわれたが

俺は即座に手術することを決断していた。

 

 少しでも可能性があるならそれにかけてみたくなったのもあるが、

泣いて謝る友人の姿を見ていられなかったことも大きい。


 術後一か月半ほどが経過した今、俺は少しずつ前を向き始めている。

患部は固定したままで、指先の感覚もうっすらとしか無く、

オンライン授業でのパソコン操作から生活のあらゆることまでなんとか左手を使いこなして生活する日々は、どうしたって時間はかかるしイラつきは募ってくる。

ただこのもどかしい時間こそが、俺を未来に向けて繋ぎとめていた。


 このリハビリの期間、周りの友人たちとの関係は以前に比べて意外に悪くなく、

視野を外へと向けさてくれる存在に、俺の心は大いに救われている。


「ふふっ大変そうだねライト、荷物持ってあげよっか?」

夏が開けた実践授業の日、盛川は包帯で腕を吊った俺の姿を見るなり、ニンマリとした笑顔で出迎える。

フッた相手と登下校を共にする気まずさは、少なくともこの表情からするとたいして感じていないのだろう。


 さらに会話でヘコんだ様子なんて晒すと、どこか満足そうに笑みを浮かべて、

「大丈夫だよライトは。だって元に戻るんだから、今は我慢だよ」と

からかい半分ながら何度も励ましてくれる姿には、落ちぶれていくほど俺は盛川的には好みになるのかと、

自分の痛みを忘れて複雑な胸中になった。


 空いた方の手を掴んで引っ張ってくれる姿は以前とはまるで対照的で、カシャカシャ弾む脚の音が、

彼女の気持ちを伝えるリズムのように感じられた。



 俺の手術が無事終わったと知ると、すぐに玉野は以前の明るさが戻った。

さらに積極的にサポートしてくれるようになり、困惑させられることにもなる。

「どうライトくん。術後の経過は?ご飯とか食べれてる?かゆいとこない?

その手じゃ色々不自由でしょ?

ボクが何でも代わりにやってあげるからぜったい言ってね」


 学校での授業からコンビニでの買い物、さらには食事からトイレまで付きっきりで追いかけまわされるもんだから、

「お前は戦争帰りの息子を迎えるオカンか!?」とついツッコんでしまう。

 ところが玉野には

「女房だっ!」と意気込んだボケで倍返しされてしまい、

俺は苦笑いを浮かべるほかなかった。

実際俺たちの様子を眺めていた周りからは、アレはホンモノだと陰で噂されている声が聞こえてくる状況に背筋を寒くする。



「あんたさ~、別に無理しなくてもいいからね。

こうしてウチがいてあげてるんだからね。またケガなんかされてもさ~

そのぉなんだ、また一人になったらイヤじゃん」


 以前に比べ、レイは穏やかになった。

同情心が入っているのかもしれないが、俺に見せる視線に憂いの色が籠っており、

前よりも、なんだか妙に美しく感じられる。

藤間マートでのバイトの時間二人で助け合うことが多くなり、俺はそんなことをよく思うようになっていた。


 最近の沙月さんは店を空ける機会が増えていた。

それは沙月さんどうこうではなく、俺の試合を見て感化された沙月さんの親父さんが、ガンの治療を突然再開したからだった。

 

 希望を持って今一度病院で治療を受けてみるとのことで、

これは今生の別れかもしれないと不吉なセリフを呟きながらも、今は沙月さんもそこに付きっきりとなっている。


 なので今は人手が薄い藤間マートだけが、

こんな俺でも唯一役に立てるところであり、レイに支えられながら

バイトする日々のこの空間が、唯一の落ち着ける場所と感じていた。


「頼田ぁー、外の商品並べといてくれる?

左手だから別にゆっくりでいいからさ、落とさないようにね。

あとウチに隠れてサボってちゃダメだよ。出来ることはしっかりね。

じゃないとケガも早く治んないし」


 先行きが見えない今の俺は、必要としてくれる場所や存在が欲しかったのだ。

日常生活にも支障が出ているほどの、おぼつかない毎日だらけの俺でもだ。 

無心で体を動かしていると気が安らいだ。  



 商品を並べるために店先に出る。

夏の終わり、まだ眩しい陽の光をギプスでさえぎりながら感慨にふける。

何度も挫折して、打ちひしがれた記憶

それでも諦めきれなかった想い

そして失って初めて気付く、その大きさに。


 このマッドネスアームの極端な能力値に何度も振り回され、

挫折し、一時は自分の運命を呪いもしたが、

いざ失ってみて気付く、俺はこいつによって引っ張られていたんだってことに。


 この肩と腕がなければ俺は野球をすることもなく、大きな挫折もせずに済んだかもしれない。

だが多くの人の関心を惹きつけることも出来ず、心が震えるほどの対決や、

様々な境遇に置かれたみんなと出会うことも出来ていなかった。


 お前には感謝しきりだよ。カッコつけたがりの俺のために、

お前は必死に体張って応えてくれようとしたんだよな?

何度地べたを這いずり回らされようとももう一度お前を迎えに行く。


 キザな感慨に一人ふけっていると、ついでにこの手負いの右腕に感謝を伝えたくなった。

俺は右腕に、そっと口づけをする。

「うっ・・・・・くせぇ」

日ごろの生活感を感じさせる匂いに、つい顔をしかめる。


「ちょっ、どっどうしたの頼田?そんな腕に顔ひっつけて。

ひょっとして腕の調子悪いの?それともまだどっか痛いとか・・・・・?」

左手しか使えない俺のことを気にして、

レイはそっと見守ってくれていたようだ。

「へへっ、い~や。全然。ちょっと眠くなっただけ・・・・ふわぁ~」


「はあ?ったくいい加減にしてよねー。どんだけウチがアンタのことを心配して、

フォローしてあげてると思ってんのよー!

マジ今度のバイト代、半分ぐらいこっちに分けてもらうからねー!」

「あっ、ああそれはもちろん!レイにはめっちゃ感謝してるからっ、

俺の分のバイト代、今度振り込まれたらすぐに半分渡しますっ!」

「いやっ生々しいんだよっ!ウチがカツってるみたいじゃんか。

そのっ・・・・別に直接お金じゃなくても、

他に方法とかあるじゃん?感謝の伝え方にはねっ・・・・・」


 夏の終わり、巡り巡った日々に俺は思う。

またゼロ地点に戻っただけだ。

すべてを失ったような顔してる必要はなかった。


「えっ、どんな・・・・・?」


「ああっ、もうっ!だからーウチになんか気持ちを込めて貢げって

言ってんだろうが~っ!あ~っ!一緒に買い物行ったり、

ご飯いったりとかさ~、色々したいことあるでしょおっ・・・・・、

いやっ、今のは違っ」


「あっ・・・・・は、ハイ分かったよ、レイちゃん!」

「ちゃん付けやめえぃ!キモい~!」


 何度挫折しても、打ちひしがれて転がりまわった道の果てに、もう一度またこの場所に戻ってこれるんなら、その希望を頼りに何度でもやり直そう。

失っても、失いきれない気持ちがある限りは。

 

 少なくとも、あの頃よりはずっと確かな道を歩んでいる。(了)

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RL to LR 五島タケル @shinomiya21

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