第44話 貫いた光のライン
≪さあーラストの第三打席―!
お互いを見つめ合ったまま二人は何を思っているのでしょうかー?
手に汗を握る白熱の対決にー、ついに決着の時がきますっ!≫
バッターボックスに入る前、明宮はバットを空に掲げて目をつむり、そこへ口をつけたように見えた。
何かおまじないのような、もはや追い詰められた末の神頼みにも思える。
「こぉいっ!!」
足場を踏みしめながら打席へ進むと、バットを俺に向けて叫んだアイツには焦りの色は一切感じられず、どこか晴れやかな表情をしているようにも見えた。
『プレイッ!』
いよいよ最終打席、審判からのコールが掛かる。
ボールを握った手をグラブに入れ相手を見つめていると、ふといろんなことが思い出されて感慨にふける。
実際そんな場合じゃないのに、
体の危機感から脳内は相当にパニくっているようで、記憶が走馬灯のように駆け巡っていた。
一年前にあった不幸な出来事から
いくつかの回り道とも思える過程や挫折を経て、もう二度と野球なんてやるまいと、
俺ら二人とも一度は思ったんじゃなかったか?
なのにこうしてまた性懲りもなく、大真面目に対決ごっこなんてやってる。
それも今度はマウンドとバッターボックスに分かれて、また野球で勝負だなんて。
どこを巡り巡っていたら俺たち、
こんな因果な運命にたどりついてしまったんだろう?
見えざる手に導かれるようにして原点復帰した不思議さを感じると、今いるこの場が少し楽しくて切なくもなってしまう。
ちょっと間違えば互いに鬱屈した感情を抱えたまますれ違っていたかもしれないのに、バカほど我を通す仲間たちに応援されて、
こんな立派なお膳立てまでしてもらって、
自分たちの好きな舞台で再びめぐり合わせてもらえたこの充実感を、もう少しで放棄してしまうとこだった。
こんな貴重な機会めったにないんだからね!と、
どこかで見ているかもしれない宇宙の女神さまにそっぽ向かれないよう、
せめて支えてもらっている友達や家族のためにも、
残すところあと一回の勝負に俺たちの最高の
パフォーマンスショーを見せつけてやろうじゃないか。
どこまでもすれ違いだらけだった俺たち二人の対決は、最高の三振ショーで締めくくられましたっ!ってな!
決意が全身に漲ってきた俺は、
左脚を一歩引いて投球ポジションに入る。
井庭さんが出すサインはもう見ない。ここからは全てド真ん中、
ド直球勝負することを決めてしまったから。
「あと三球、思いっきり全力で腕を振る!」
腕を振りかぶり、連動させるように引き上げた足を胸の辺りまで持ってくると、
ボールを持った手を後ろに引いて発射点でためを作る。
捻転の力を使い身体に溜めていたエネルギーの全てを一本の腕へと集約させていく。
空気を切り裂く一本の羽(ブレード)と化したスリークォーターサイドスローで、
その手に掴んだボールを、前方の明宮が待つダイアモンドの終点へと解き放った!
指にしっかりかかったボールは、
空間に穴を穿つがごとくシューッと凄まじい回転力でもって突進する。
通ったラインが道となってイメージとして伝わってくる。
その線に向けて、あくまで果敢に明宮はバットを重ねにいった。
ブウゥゥン!
線と線は十字に交差する。
出したバットの上を通り過ぎたそれは、
どこまでも永久に進むようでありながらも
ホームベースの先で構える井庭さんのミットを強烈に叩き、しかるべき場所に収まった。
「うしゃあっ!」
『スッ、ストライ~~ク!ワーン!』
「ハァ・・・ハァ・・・」
球場内は静寂に包まれ、互いに吐く荒い呼吸音だけが聞こえていた。
『ウォォォォ~~~~ッ』
一瞬間を空けて、観客席からどよめきが伝わってくる。
今までの歓声とは明らかに別種の、俺たち二人のプレイヤーをたたえる、驚嘆の叫びだった。
ヘルメットを脱ぎ一度汗を拭ってから、
バッターボックスに入り直した明宮は、
小刻みにバットを揺らしてタイミングを取る。
あと二球。
限界を超えるほど全力で投げたことにより腕には若干の痺れを感じ、肘にピリッとした痛みが走る。
あと二球、最高のボールを。
俺の意を察した井庭さんは、もうサインは出さず真ん中にミットを置いている。
熱に火照った頭ではもうほとんど考えることもできないが、
勝負に向けた俺の決意を身体は忠実に実行していく。
あと二球、ミットを目がけて。
左足をプレートから外し、その足と腕を同時に振りあげる。
ねじった身体の軸の中心へと、グラブに入れた両手を持ってくると
そこからボールを持った腕を引き抜き
回転運動の軌道に乗せると、発射位置に向け引っ張る。
ミットを見据えひたすら、ただひたすらに全力で、一本の鞭のようにしならせた腕から指に力を込めてボールを発射する!
一直線の筋が走り、ボールは伸びあがって進んだ!
向かった先に明宮が出すバットの先端が見えた瞬間、
キィィン!と短い金属音が走り、ボールはバックネットに当たっていた。
『ふぁっ、ファウルボール!ストライクツー!』
球場内から特に反応はない。
既にこの先の結末を、皆が固唾をのんで見守っている雰囲気だ。
「ふはぁ、はぁぁ~」
あと一球。
汗が目に沁み、グラウンド上の熱気で向こう側は歪んでキャッチャーの構えるミットもよく分からない。
あと一球で、終わる。
明宮が構えるバットに陽の光が当たって一瞬キラめく。
あと一球で、終わらせる・・・・・、ことができるのか?
脚を振り上げると後ろへと腕を引っぱり、
回転する身体の動きに合わせて巻き付けた腕を、スリークォーターの位置から躍動させる!
鋭く回転しながら進んだボールは、バットをかすめる金属音と共にまた後方へと飛んでいった。
『ファウルボール!』
終わらない。・・・・・・もう一球だ。
再び気力を振り絞って投げる。
全力以上で振り続けた腕にはもうあまり感覚は無いのに、
一球、二球と、これが最後と思いながら全力で投げた。
腕の感覚が麻痺してくる。
ファウル、その次もファウル。
球場が出す音は一切消え、
ドクン、ドクンと自分の心拍まで感じられる状況に、
俺は自分が冷静になっていくのを感じた。
打席で構える明宮の、バットの軌道が残像となって見える。
そこに重なるボールのライン、と重ならないライン。
いくつものボールがそこにわずかに重なっては、消えていくイメージ。
その時、ホームベースの向こうに構えるキャッチャーまで光の像が貫き、トンネルのように道が開ける。
もうそれは見えるとしかいいようがない。
ここへ投げれば、明宮の出すバットの上を切り裂いて通っていくはずというビジョン
もう限界。
いい加減そこへ投げろってか。
大きく深呼吸して、心を研ぎ澄ました。
身体の中心にまだ力が残っていることを確認すると、ゆっくりと腕を振りかぶる。
「しゃぁっ!」
意を決したのか、明宮も珍しく己を鼓舞しながら待ち構えている。
とんでもない気迫だ。もう限界なのに、俺もお前も。
この一球に全てをかけて。
反動を使って足を高く蹴り上げる。
身体の軸を意識しながら、ひねらせた全身のエネルギーを一本の右腕、その先の手、指の先へと徐々に移動させていく。
身体の後ろ側で回転していく腕の指先に力を集めてボールに意思を乗せる。
地面から空へ、つらぬくストレートを!
腕を振り上げながら、ホームベースの向こうにある目標点を見据える。
前に進む身体の動きに導かせたサイドスローは、空気を切り裂いて跳ねた。
脚を前方に大きく踏み込むと同時に指先からボールを弾き出す!
その瞬間、頭の中でブチンッ!と何かが千切れる音が響いた。
肘にとんでもない痛みを感じ、
声にならない声を呻きながらも俺は、
それでもボールの行く末をぼんやり見つめる。
まっすぐうなりを上げて突き進んだボールはイメージした光のトンネルを通って、
明宮の出すバットの上をすり抜け、
キャッチャーの構えるミットへと、
一本の道を通るようにして吸い込まれていった。
≪・・・・・・・・!!≫
息を呑んで見つめていた球場内の人々は、目の前の光景にしばし硬直する。
『スッ、スットラァイクッスリー!バッターアウトォ!』
≪・・・・・・ワアァァァァァァ!!≫
張り詰めた空気の中を審判のゲームセットのコールが響くと、客席から一斉に大歓声が沸き起こる。
そして鳴りやまない拍手が。
≪なっなんてすさまじいストレートぉぉ!!それに明宮のスウィングゥゥ!!
いやぁ~実に手に汗握る、見事な試合でしたー!!ハッハー皆さん、
この若者二人の健闘を大いに讃えてあげてくださいっ!
今回のエキジビションマッチー、その勝者は投手―頼田ライトくんになりまーす!!≫
「はっははっ、やったぁ俺ぇ・・・・・」
ようやく終わったという安堵感が勝利した達成感を上回り、全身の力が抜ける。
一気に崩れ落ちた俺は膝をついた。
「やったよ~~~ライトく~ん!」
「ライトー!!すごいっすごいよー!!」
「すごーい!すごいよ~頼田―!!・・・・・ちょっ、だっ大丈夫!?アンタ、えっ?」
皆が喜びで涙を流しながら、歓喜の表情で
マウンドへ駆け寄ってきてくれるのは見えていたが、俺の身体は動かない。
脚は痙攣し、感覚を失った右腕は身体の横にぶらさがったまま。意識は段々と薄れてくる。
「ちょっ大丈夫!?頼田くん!」
「おいっ玉野、これはマズイ。早く医務室へ・・・・・」
井庭さんと玉野に体を支えられながら、グラウンドの上を俺はベンチへと引き下がるために歩く。
勝者を讃える声援を浴びながら。
「あれぇ・・・・・なんだぁ、俺は、どこに・・・・・?」
その途中で、俺の意識は途絶えた。
勝利の余韻に浸る間もなく、
その後の夏の期間、そのほとんどを俺は病院で過ごすことになった。
失ったもののショックの大きさからなかなか立ち直れず、
今後のことを考えると気が遠くなり、
またぼんやりとした意識のまま、寝ては起きてを繰り返し、
気付くとまた今年も夏は終わっていた。
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