第43話 不憫でも、不運でも、この海は絶対に守ります!

 


「おいしいですか?」「おいしいですよ」のやり取りをを繰り返しながら夕飯をいただくのは、監理官補佐の歌川新汰である。

 同じかみしま乗務員の主計科主任、虹富まどかはそんな歌川を眺めては笑みを浮かべた。

 彼女が言うには、今後の船内メニューに採用できるかどうかを歌川で試しているのだという。歌川は疑いもせず虹富に協力している。なぜか若干の居心地の悪さを感じながら。


「よかった。これ、メニューに入れてもいいと思います?」

「そうですね。あったらテンションは上がると思いますよ。ただ……」

「ただ?」

「特別な雰囲気が出過ぎているように思いますね。この人参なんかは、たしかに独特の土臭さや苦味はありませんがハート形ですし」

「うんうん」

「お肉もひと口サイズで忙しい職員には大変助かりますが、付け合わせのポテトがハート形ですよ」

「うんうん」


 目を輝かせながら虹富は歌川の顔を見ている。歌川は何か大きな期待をされているのではないかと考えた。しかし、かみしまの乗務員のために批評はしっかりしなければならないと思いなおす。


「味、食べやすさ、ボリュームも申し分ありません。しかし、至るところにハート形があるのですよ。ちょっとこう、なんといいますかお誕生日とか、恋人とのディナーとかそのような印象ですね。かしみしまのメニューとしてはちょっと……」


 歌川の話の途中で虹富は立ち上がり、隣にやってきて跪いた。そして、歌川の手を両手で持ち上げ自分の胸に押しつけながらこう言った。


「さすがです! 歌川さん!」

「ぬおっ……」


(や、やわらかっ……じゃなくて!)


「これ! 歌川さん仕様の特別メニューです。わたしの好きがいっぱい入ってるんです」

「ああ、なるほど」


 なるほどと言えるほど歌川は落ち着いているわけではない。押し当てられた片方の手が虹富の胸に当たっているのだから。

 ぐいぐいと引き寄せられるたびに、女性のふくよかな部分が歌川を崖っぷちに追い込む。空いたもう片方の手でずり落ちそうな眼鏡を整えるが、変な汗が滲み出てまた微妙にずれてしまう。


「わたしの気持ち、受け取ってもらえますか⁉︎」

「あなたは僕でこと足りるのでしょうか」

「足ります!」

「うおわっ」


 歌川、とうとう虹富に押し倒される。



 ◇



「あの、どうでしょうか。かみしまの入港カレーには勝てないかもですけど。その、いちおう我が家の味なんです」


 もじもじしながら、自分が作ったカレーの味が気になっているのは、主計科の金城由里である。

 味を問われているのは、かみしま特警隊隊長の平良豪だ。スプーンいっぱいに掬っては、口の中にどんどん入れて、うんうんと頷きながら食べている。


「あのぅ……」

「うん、うまいよ」

「お野菜とか大きすぎたかなぁ……なんて」

「うん、うまい。問題ない。ずっと食べていられる」

「あはは。よかったぁ」

「本当に、うまい!」

「きゃっ。びっくりします」

「うまいものに、うまい以外言いようがないだろう」


 男らしい食べっぷりに、男らしい簡素な感想。それに加えてスプーンを口に運ぶときの前腕の筋肉が、男らしさに拍車をかける。


(わたし、筋肉好きだったんだわ……隊長の筋肉、すてきなんだもん)


 平良が咀嚼するたびに、首から肩にかけて筋肉が動く。ときどき額の汗を拭うときの腕の筋もたまらない。


「金城くんも食べないか。こんなに美味しいのに残ったら勿体ない。俺は二日目に持ち越さないタイプなんでな」

「えっ、そうなんですか? じゃあわたしもご一緒します」

「うん。そうしてもらえると助かる。あ、食器は」

「大丈夫です。分かりますから、平良さんは食べていてください」


 そう言いながら金城は立ち上がった拍子に、テーブルの角に腰をぶつけてよろけてしまう。おっとっと、と手をついた場所がまさかの平良の太腿だった。

 太くて硬くてびくりともしない逞しい脚に、金城は釘付けになった。この鍛えられた体は、敵の攻撃から守る鎧なのだと脳裏であの日の出来事を思い返す。


(あ……、わたしダメかも)


「金城くん」

「は、い」

「君は俺の筋肉が好きなんだろ」

「う、えっ⁉︎ あ、え⁉︎」

「正直に言ってごらん」


 平良は金城の手に自分の手を重ねた。


「うああ! そうです! 好きです。平良隊長の筋肉、最高です!」

「そうか。そう言われると嬉しいな。で? どうする、これから」

「これから……?」

「そう。これから」


 唇が触れそうなほど近くに、平良の顔がある。喉仏がぐるんと動くのが見えた。


(もうどうなってもいい! 触りたい、その筋肉!)


 金城はそっと目を閉じた。




 ☆ ☆ ☆





 突然、スマートフォンのけたたましい呼び出し音が、彼らの甘い時間を切り裂いた。



「はいはいはい! 歌川でっす。虹富さん? いますけどなにか!」



「平良だ。金城くん? なんで知ってるんですか監理官。えっ……」


「はい、我如古です。どうかしました?」


『至急、第3バースに集合です』


「「了解‼︎」」



 どんなに幸せな時間を過ごしていても、あと少しで願いが叶いそうなときでも、彼らに迷っている時間はない。緊急招集はいつ、どんなときに起こるか分からない。彼らは泣く泣く目の前のそれを諦めるしかないのだ。

 それでも彼らは走る。

 後ろ指をさされようと、罵倒されようと、日本の海のために走り続けるのだ。


 ひとは、彼らのことを少し不憫な海の守護神、海上保安官と呼んでいる。


 いつもありがとう。

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海の守護神、綿津見となれ 佐伯瑠璃(ユーリ) @yuri_fukucho_love

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