141.逃避行四

「い……一応、曲りなりに忍びの者を育てている里ですよ?余人が場所を知ることなんてありえませんし、関係のない人に口外することすらも許されていません。本当に極一部の人にしか知ることが許されない場所なんです。」

「でしょうね。そこら辺はわたくしも承知しておりますよ。承知していてお頼みしているのです。」

「でしょうねってっ……。」


 一瞬言い淀んで、桔梗ききょうは額に手を当てると、はぁっとため息をついた。


「どうしてです。そもそもそんな私の里になんて所に行く理由なんて無いでしょう。」

「いえね。元々はあの成瀬のお爺さんに、桔梗ききょうさんの身元を解放させるように頼んだでしょう?ですが、あのお方が裏切ってくれましたからねえ。約束もご破算になってしまったではありませんか。」


 全く持って骨折り損のくたびれ儲けですよ、とふでは忌々し気に言葉を漏らした。

 言われて桔梗ききょうは、そのことを思い出して、ああっと声を上げた。


「そう言えば、そんな約束もありましたね。完全に忘れていました。」

「そうですよ。ですから、結局のところ、今でも桔梗ききょうさんは、その生まれたお里に縛られたままなのでしょう?」

「それは確かにその通りですが……。そう言うことで言うと、多分、そのうち里から私に新しい指示でも何でも来ると思います。」


 里から指示が来る手段は様々であった。鳥を使って文が届けられることもあれば、街の人混みの中でそっと文を渡されることもある。それはどこに居ようと、必ずに伝えられ、里に自分の居場所が常時知られているのだと思わされることが多い。そう言うことで言えば、恐らくはふでが成瀬を殺したことも、そこに自分が関わっていることも筒抜けなのだろうと桔梗ききょうは考えてはいた。


 事の起こった直後で、今でこそ何も言われていないが、そのうちに何ぞや言いとがめられることがあるかもしれない。そうでなくとも、新しい指示でも来て、何がしかをすることになるかもしれなかった。


「ですからねえ」

 と、考えこみはじめていた桔梗ききょうに対してふでは言葉を返す。


桔梗ききょうさんのお里に、貴女様の身柄を引き受けたいと、直談判にでもしに行こうかと思いましてね。」

「うええ!?」


 今までに無いほどに桔梗ききょう頓狂とんきょうな声を上げた。


「おや?どうかなされました?」

 対してふでは素知らぬ顔をしれりと尋ね返す。


「ちょ……ちょっと待ってくださいっ……。ええっと、里に私を抜けさせてくださいって、直接言いに行くんですか?」

「ええ、ええ。貴女様と一緒に居るにはそうするしかないでしょう?」

「いや……そんなことまでしなくても良いんじゃないですか?任務しながらでも旅なら一緒にできますよ。」


 ふでは首を振るう。


「嫌ですよ。私が行きたい所と、その里からの指示とが違ったらどうなさるんですか?」

「それは……。」

「お互い困るでしょう?それに、これ以上、桔梗ききょうさんに危ないことはさせたくありません。」

「……ふで殿と一緒に居るのも、それはそれで危ないと思うのですけれど。」


 聞こえないように小さな声で桔梗ききょうがぽつりと零すと、それも耳聡く聞きつけたのかふでは笑顔を湛えたままに、瞼を持ち上げて目を見開く。


桔梗ききょうさん?何かおっしゃいました?」

 その表情に僅かばかりの圧を感じて、桔梗ききょうは思わずも口をつぐんだ。


「あ……いえ、なんでもないです……。」

 しどろもどろに言い繕いながら、それでも桔梗ききょうは思い煩うようにして口を開く。


「その……本当に私の里に行かないと駄目ですか?」

 僅かに伏せた顔から視線を上げて、まるで怒られた童子が躊躇いがちに機嫌を窺うかのような仕草を見せた桔梗ききょうに、ふでは首を傾げる。


「なんですか?里に行くのに何か嫌なことでもあるんですか?」

「いや、だってそれは……。」


 何とも口に出しにくそうに口を拗ねらせて桔梗ききょうは顔を伏せた。子供がぐずっているみたいに見えて、ふでは仕方なさそうに眉尻を下げながら、その髪へとそっと触れる。彼女の言葉を促そうとあやす様にして、髪を撫でていく。


「だって、何なんですか?」

「だって……絶対に色んな人に怒られますから……。部外者に里の場所を教えて、それも里から足抜けしたいなんて言いだしたら……みんなになんていわれるか……。」

「なんですか、そんなことですか。」


 多少呆れるようにふでは噴き出した。


「そうは言いますけどね。普通に殺されるかもしれないですよ?私は兎も角、里の人達は怖い人ばかりですから。」

 しょぼくれて未だに躊躇とまどっている桔梗ききょうに、ふではからからと笑って見せる。


「大丈夫ですよ。私が一緒に居ますから。」

「でも、ふで殿がいたら余計話がこんがらがりそうな気がするんですよね。むしろ危なくなるような気もすると言うか……。」


 そうやって、なんのかんのと不満を口にしながらも、それでも桔梗ききょうは里へ行くのは嫌だとは言わなかった。確かに危険な目には合うかもしれないが、それでも自分を助けてくれたふでのことは信頼していたし、彼女と一緒に居るのは楽しくて、これからも共に旅をしたいとは感じ始めていた。


 ふうっと、一つ大仰な溜息を漏らすと仕方ないと顔を上げて、どうにも呑気な表情をしているふでを見上げる。

 ただ「それでも」と桔梗ききょうは、ぴしっと人差し指を立てた。


「せめて里では大人しくしてくださいね。暴れたりとか、挑発したりとか、何でもかんでも斬り合いに持っていこうとかしないでくださいよ。あと長には、ちゃんと礼儀のある態度をとってください。」

「はいはい。善処ぜんしょいたしましょう。」


 真面目に言う桔梗ききょうに対して、あしらうようにふでは言葉を返す。その態度に桔梗ききょうは僅かにながら顔をしかめながら、ただ、これ以上彼女に何を言っても、何をとがめても無駄かと思いなおして、すぐに諦めて肩をがくりと落とした。


 そんな桔梗ききょうの様子を眺めて、くすくすと笑いながらふでは、そのころころと変わる表情に目を細めていた。


 そうして不意にふでは足を止める。


「そう言えば桔梗ききょうさん。」

「はい?なんでしょうか?」


 同じように足を止めて、桔梗ききょうふでの方へと視線を向ける。


「成瀬のお爺さんの屋敷から、貴女様を助け出しましたでしょう?」

「あ、はい……。そう……ですね?」

「何故問うような言い方を?」

「いや、どうして、そんなことを言いだすのかなと思いまして。」

「いえねえ、助け出しましたでしょう。これでも頑張ったつもりなのですよ。だから、ちょっとお礼とかを貰えたらと思いまして。」

「え……、お礼ですか?」

「駄目ですか?」

「駄目じゃないですけど。でも、何と言うか、私は何も持っていませんよ?お金も僅かしかありませんし、もう殆ど着の身着のままですから……。」

「そうですか?そうでもありませんよ。」


 しれりと言ってふでは小指を一本立てる。そうして、その小指を自らの唇へとぴたりと当てると、口角を上げて蠱惑こわく的に微笑む。


「え?あ……。」

 ふでの仕草に、彼女が何を言いたいのかを理解して、桔梗ききょうはさっと顔を赤らめた。


 彼女は頬どころか耳の先にまで肌を真っ赤にする。


「それはっ……そのっ……。」

「折角腹が裂けるほどに頑張ったのですから、これぐらいのねぎらいがあっても良いと思うのですが?」


 そう言いながらふでは、桔梗ききょうの体へと一歩足を近づける。


「いや、その……。」

 慌ただしく困惑しながら、赤い顔で桔梗ききょうは右往左往に視線を移ろわせる。


「~~~っっ……。」

「駄目ですか?」

「駄目……じゃないですけれど……。」


 どうにも困った様子で、両手を忙しなく擦りつけながら、桔梗ききょうは戸惑ったままにそれでも小さく頷いた。


「あの……でも、口を吸うだけですよ?」

「分かりました。」


 顔の全てを赤く火照ほてらせた桔梗ききょうに、ふでは何とも嬉しそうに笑みを浮かべて唇を僅かにんだ。


 そうして、ゆっくりとふでは、桔梗ききょうの唇へと口先を近づけていく。顔の肌よりも真っ赤に色づいて瑞々しく光沢をもった桔梗ききょうの唇へと、ふでの薄い唇が重なり、ちゅっと水気の跳ねる音がする。柔らかく温かな感触が二人の肌へと伝わっていく。


 ふでは唇を口内へと吸い込ませながら、その軟らかな肉を舌先で舐る。途端に桔梗ききょうは、はうっと温かい吐息を漏らす。ぞくぞくと桔梗ききょうは首筋が震え、肌の毛が逆立つのを感じて思わず身を捩らせた。


「んぅ……。」


 桔梗ききょうの喉の奥から小さな吐息が漏れた。


 何度も唇を重ねて、口へと吸い付いて、そうして二人は抱きしめ合う。束の間に息を止めると、ぎゅっと腕の中にある体の温かさを感じて二人は切なそうに目を閉じた。


 喉を鳴らして口内に溜まった唾液を飲み込むと、それを合図の様に二人は唇を僅かに隔てさせる。ほんの少しだけ体を仰け反らせた二人は、間近に迫った顔を互いに見つめ合うと、不意にふっと微笑んだ。


 それは何ともあどけなくて嬉しそうな表情であった。ただそこに相手がいることが、それだけが嬉しくて仕方のないように、肩を小さく振るわせて目を細めていた。



 再び唇を重ねた二人の上空はどこまでも青く晴れ渡り、飛んでいた鳶がくるりと身を翻らせると、高く鳴き声を上げながら山の方へと飛び去ってく。


 陽の光は温かく、そして風も凪いだ、穏やかな午後の昼下がりであった。



第一章 了

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君に逢うては総てを殺し 春小麦なにがし @ryo_jo

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