エピローグ これまでのこと、明日のこと

 新型コロナウイルスが猛威を振るう中で生を受けた子どもたちが、高校3年生になった年の夏。

 日本列島は歓喜に包まれた。

 サッカー日本代表が世界選手権で優勝するという偉業を達成したからだ。

 遠くヨーロッパの地で開かれた大会で活躍する自分たちの代表に、深夜にも関わらず全ての日本人が声援を送った。

 チームの中心は、その大会を最後に引退することを決めていた安樂隆司あんらくたかし

 キャプテンとしてプレーでチームを引っ張るだけでなく、精神面でも若いチームメイトたちを牽引した。

 隆司が涙を流しながらトロフィーを掲げる写真は、決勝翌日のスポーツ新聞各紙の1面に大きく掲載された。



 決勝から2ケ月後、隆司は母校の高校を訪問していた。

 目的は講演会のゲストスピーカーとして話すこと。

 相変わらずの口下手を自認する隆司は講演の依頼を受けるか悩んだが、自分が高校生の時に誰かに言ってほしかった言葉がふと頭に思い浮かび、それを後輩に伝えることを決めた。


 随分と久しぶりに訪れた母校は、校舎の外壁こそ新しくなっていたものの、雰囲気は隆司が通っていたころと変わらなかった。

 案内された応接室で、隆司は懐かしい顔と再会する。


「久しぶりね、安樂くん」


 資料を挟んだバインダーを左手に持って部屋に入ってきたのは、江南二葉えなみふたば


「よう、元気か?」

「ええ、おかげさまで。安樂くんはどう? こっちから仕事を増やしといて言うのもなんだけど、忙しいんじゃない?」

「ありがたいことに忙しくしてるよ。引退前の方が暇だったかもな」


 そう言って頬を緩める隆司は、二葉の左手の薬指に光るものを見つける。


「そういや、結婚したんだってな?」

「腐れ縁ってやつで仕方なくね」

「仕方なく、なんてよく言うよな。俺は、江南が高校生の時に好きな人に彼女がいたって言って泣いてたのを覚えてるぞ」

「っ……。泣いてなんかいないしっ!」


 顔を赤くして反論する二葉を見て、隆司は笑う。


「そうそう。江南は高校生のころ、そんな感じだったよ。ほんと、懐かしいな」

「もうっ、そんな昔のことは忘れたわよ」

「そうだな。……けど、あのころのことを笑って話せる日が来るなんて思ってなかったな」


 神妙に声を落とす隆司に、二葉も頷く。


「そうね。けど、知ってる? 私は日本史を教えているんだけど、あのころのことは、今や教科書に載ってるのよ」

「だろうな。それだけおかしい時代だった」

「おかしい、か。そうかもね、誰もかれもが何かに必死で、その割に誰にも本質が見えていなかった」


「あぁ、そうだったな」と隆司がつぶやいた時、ドアがノックされ女子生徒が顔を覗かせた。


「そろそろ時間ですけど、準備は大丈夫ですか?」

「いつでもいいよ」


 隆司は白い歯を見せて立ち上がった。



 講演会の会場となる体育館には、全校生徒が集まっていた。

 舞台袖から隆司はその面々を眺める。

 隣のクラスメイトと楽しそうに話していたり、1人でスマホをいじっていたりしながら講演が始まるのを待っている。

 変わらないな、と隆司は思う。

 自分たちも高校生のころは、こうだった。

 だけど、最後の1年の初めに起きた異常事態のせいで、願っていた高校生活とは違ってしまった。

 そのせいで、卒業後も長いこと苦しんだ。


 笑顔を見せたらいけないんだ、サッカーを楽しんだらいけないんだ、という強迫観念に取りつかれてしまった。

 けれど、それを乗り越えられたから今年の夏、誰も届かなかった世界選手権優勝にたどり着いたんだろう。

 感慨深そうに生徒たちを見やる隆司に、案内役の女子生徒がおずおずと声を掛ける。


「もうすぐ始まります」

「分かった」


 短く隆司が応えるのを待っていたかのように、進行役の教諭が講演会の開始を告げる。


「本日の講師は、本校OBで先般、サッカー日本代表のキャプテンとして日本を優勝に導いた安樂隆司さんです。拍手で迎えましょう」


「お願いします」と案内役の生徒に促され、隆司は舞台中央に進む。

「うぉぉ、本物だよ」とか「やっぱり実物はかっこいいね」などと生徒たちから声が投げ掛けられる。

 そんな歓声と拍手が収まるのを待って、隆司は演台の上、マイクスタンドに差されたワイヤレスマイクのスイッチを入れる。


「どうも、安樂隆司です」


 気の抜けた声に、生徒たちは笑い声を上げる。

 一緒になって笑ってから隆司は言葉を継ぐ。


「今日は講演会と銘打たれているけど、俺は難しい話をするつもりはないんだ。言いたいことは、一つだけ」


 いったん口を閉じると、マイクスタンドからマイクを引き抜く。

 演台の脇を回って舞台正面の縁ぎりぎりまで歩を進めると、そこでドカっと腰を落とす。

 あぐらを組むように座って言う。


「明日のことなんて考えるな」


 突飛な行動と思いもよらない言葉に、体育館を埋め尽くす生徒たちは目を丸くする。

 そんな生徒たちを挑発するかのように、隆司は口角を上げる。


 あの時、俺が誰かに言ってほしかったのは、この言葉。

 それがなかったから、苦しむことになってしまった。

 後輩たちには、そんな辛い思いをしてほしくない。

 だから、自分の気持ちが伝わってほしいと心の底から願う。

 そのためには、あと一押し必要だ。


 もう一度、ニカっと笑って隆司は語り掛ける。


「自分勝手に生きろ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コロナなんて関係ないと信じたかった僕らの物語 秋野トウゴ @AQUINO-Togo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ