花火
「ふーん、あの中野がそんなこと言うとはね」
「よっぽど小沼さんの影響が強いみたいね、しっかり研修医してるじゃない」
森田と一番合戦がビールを飲みながら言った。7月も下旬の金曜日、梅雨が明けて僕らはまた飲み会をしていた。
「まあ、何が変わったわけでもないんだけど、あんまり不真面目なのもダメだなと思って」
僕もビールを飲んでそう言った。あれから僕の態度は一変し、大変まじめな研修医になった、ということはなく、空き時間があれば相変わらず研修医ルームでだらだらするような生活を送っていた。ただ、一つ変わったと言えば、やらせてもらえそうな手技は進んでやらせてもらうようにしたし、手術でも何もせず怒られないよりは手を出して怒られる方を選択するようになった。人は一気に変われないのだから、さしあたってはとりあえずそれでいいのだ、と自分には言い聞かせていた、甘いだろうか。
「まあでも確かに、前よりは手術中に怒られてる気がするよ、横から見てて思う」
森田は言った。7月も麻酔科ローテーションの森田は、第三者の目線で手術を見ており、よく僕のことも観察しているようだった。
「最低限のことはちゃんとできるようになろうと思ってね」
「やっぱり以前の中野くんと比べると大きな進歩だと思うわ」
一番合戦は一番合戦で、僕に対するイメージの変革があったらしい。周りにそう思われているということは、安藤先生にも伝わっているかもしれないな。
「それで、あの原作本の山積みはどうなったの?」
一番合戦が問うた。
「少しずつだけど読み進めてるよ。アニメより面白いかも」
形見、というと少し違うだろうか。小沼さんに貸してもらった原作本は、当直や暇なときに読み進めている。空いた時間を全て勉強に費やすほど真面目になったわけではないので、ファンタジーに身を投じる息抜きも大切にしている。
「でも意外とヘコんでないみたいでよかったよ。なんかかなり深入りしてた感じだったから」
森田が言った。これは自分でも意外なのだが、大きな精神的ダメージを引きずることはなかった。小沼さんが亡くなって数日は確かに少し元気がなかったが、小沼さんの母親の話のおかげで少し救われたんだろう。そして何より、あまり長い間ヘコんでいては小沼さんに怒られそうだ。「そんなことでヘコんでるようじゃ先が思いやられるよ、先生」といたずらに笑う小沼さんが目に浮かぶ。
僕たちは毎日のように新たな患者を受け入れ、治療していく。外科だけではない、この先のローテーション、その先のどの進路に進んだとて同じことだ。医師を続けていくうえで患者の死は避けられないことだろうが、それを真摯に受け止め、自分の成長の糧として前向きに考える貪欲さも医師には必要なのだ。
結局この日も日付が変わるくらいまで飲み続け、泥酔した森田を運ぶことになった僕を見て一番合戦が笑いながら帰っていくという以前にも見た光景が繰り広げられた。
7月末。外科ローテーションも終盤ということでラパ胆の執刀をさせてもらえることになった。カメラ持ちとは言えずっと見てきた手術ではあるが、自分でやれと言われると思うように手が動かず難しいものである。大竹先生にあれやこれやと言われながら汗だくになって手術をした。安藤先生はカメラを持ちながら少し笑っている。また、森田も麻酔科の立ち位置からそれを見て笑っており、必死なのは僕だけだったように思う。言うまでもなく大竹先生のおんぶにだっこの賜物ではあったが、なんとか執刀を完遂させてもらえた。
その日は午後からのオペも長引き、終わって手術室から病棟に戻ってきたのが8時前になっていた。これから手術記録、通称オペレコの記載という大変な仕事が僕を待っていた。何をどう書いていいものかわからず、怒られるのを覚悟で安藤先生に教えを請うた。
「胆摘のオペレコなんて前に同じオペした人のオペレコを真似すればいいだけだよ、こういうこと言うのよくないかもしれないけど、学ぶは真似ぶって言うし」
「ああ、なるほど、コピペですか」
「そこまでは言ってないよ、真似するだけ」
安藤先生はカラカラと笑った。
カルテを遡り、以前の胆摘症例を探していると、空が光り、数秒遅れてドンという音が聞こえた。ナースステーションから窓の外を見ると、遠くの空に大きな花火が打ちあがっていた。
「そうか、今日は二色辺の花火大会か」
すっかり忘れていたが、今日は約束の花火の日だった。結局一緒に見るという小沼さんとの約束は果たせずに終わった。今はその花火を僕一人で見ている。302号室には、今はもう小沼さんは居なくて、別の患者が入っている。きっとその病室からもこの花火がきれいに見えたことだろう。そういえば小沼さんは記憶を失ってからも窓の外をよく眺めていたっけ。僕は立ち上がり窓のそばまで行って、窓を開けて空を見上げた。7月も終わろうとしている夜にしては涼しい風が吹いている。
小沼さん、花火、綺麗だよ。これが見たかったんだよね。結局僕は今、仕事場の看護師さんたちと一緒に見ているけれど、あなたの所からも見えていますか。
交わした約束は果たせなかったけど、きっと来年も、再来年も、花火を見て小沼さんのことを僕は思い出すだろう。時間にしてわずか1ヶ月のことだったが、一生忘れられない1ヶ月だった。「綺麗だねー。あ、先生、君の方が綺麗だよ、とか言えないの?」と小沼さんが隣で笑った気がした。
花火を見ながら席に戻り、僕は手術記録の作成に取り掛かった。なるほど、コピーペーストして、違うところだけを直していくと早く終わりそうだ。結局楽な抜け道を探しながら仕事してるじゃないか、と一人で苦笑いした。窓の外では赤や緑に輝く花火の打ち上げが続けられ、ドン、ドンと大きな音が響いていた。
約束の花火 御堂美咲 @mido_misaki
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