トロイメライの夕べ

たまき

第1話 車輪の夢、歯車の歌 1

 円卓の中央でランプの炎が揺れる。暖色の光に照らし出されるのは、円卓をぐるりと囲むように席についた五人の男だ。部屋の主からの歓迎の挨拶もそこそこに、五人は互いに視線を投げあった。

 誰が最初だ?

「じゃあ、僕から始めよう」

 無言の問いに軽く手を上げたのは、学生然とした青年だった。仕立ての良いシャツや手入れの行き届いた髪型は、都会に慣れた一人前の大学生、という印象を抱かせる。しかし白い頬や細い首には、まだギムナジウムに通っていてもおかしくないと思わせるような少年らしさが残っていた。

「まずは、お招きありがとう。僕はエルンスト。エルンスト・フォン・ヘルツ。生まれも育ちもこの街で、今は大学で自然科学や哲学を学んでる。僕はまだ学生で、人生経験も浅い。皆さんがこれから話してくれる物語と比べたら、僕の話なんて取るに足らないものだろうけれど。楽しんでもらえるように頑張るよ」

 エルンストは少し恥ずかしそうに微笑んでみせた。それから小さく咳ばらいをすると、頭の中に作った原稿を読み上げるように、ゆっくりと話し始めた。

「信じてくれても信じなくても構わないが、とりあえずお決まりの台詞から始めよう。『これは正真正銘、僕の身に起きたことなんだが―――』」


***


・車輪の夢、歯車の歌

「先生、これは一体なんです?」

 その日、僕は大学の教授から「見せたいものがある」と言われ、彼の研究室を訪れていた。

「見ての通り自動人形だよ。ぜんまいを巻くと言葉を発するように作ったはずなのだが、どうにもうまくいかなくてね」

 研究室で見せられたのは、等身大の人形だった。見たところ手足や頭は木製で、布の服を着せられている。口元やまぶたが動くようにできているのだろう、顔面はいくつかのパーツに分かれていた。教授の言うとおり、ぜんまい仕掛けで動かすための形だ。だがその人形の問題は別のところにあった。

「それで、どうしてこの人形の顔は僕にそっくりなんです?」

「うん、それは偶然というほかない。私もそれが気になって君をここに呼んだのだから」

 疑わしいと思ったが、僕は何も言わなかった。

 椅子に座らされた人形を見下ろす。髪の癖の付き方まで僕とそっくりだ。正直に言ってしまえば、吐き気を催すほど気味が悪かった。あまりに精巧に人を模した人形は、往々にして見る者にある種の不安感を抱かせるものだ。それが自分と瓜二つなのだから、なおさらだった。

「まあ、ものは試しだ。ヘルツくん、ちょっとぜんまいを巻いて、話しかけてみてくれないか」

 そのとき、僕の心の中では絶対にやりたくないという気持ちと好奇心がせめぎあっていた。目を閉じて動かない状態でこれだけ気持ち悪いのだ、おどけた表情とともに喋り出すところなんて見たくない。だがちょっと待ってほしい。こんなに精巧にできた人形なのだ。内部の構造も相当細かくできているに違いない。もしかすると未だかつて誰も見たことのないクオリティで動くかもしれない。それは見てみたいではないか。

 結局のところ、好奇心が勝った。僕は教授からぜんまいの鍵を受け取ると、人形のうなじのあたり、襟からのぞく穴に差し込んで五回程度回してみた。

「それで、何を話しかければいいんですか?」

「なんでもいいよ。こんにちはとか、はじめましてとか」

 人形の前に屈みこみ、その顔を正面から見据えた。いつの間にかまぶたを上げていた人形も僕を見つめている。

「えー、はじめまして」

 すると、人形は口元をわずかに動かして、笑った。

「はじめまして。やっと会えたね、エルンスト兄さん」

 その一連の台詞を吐き出し終わると、人形は口を閉じ、あとはただ微笑んでいるばかりだった。

「なんてことだ!」

 僕はしばらくぼんやりしていたが、背後から聞こえた教授の大声で我に返った。

「ヘルツくん! よくやってくれた、この人形はね、今まで誰が、何を話しかけても何も言わなかったんだ。ただ目を開けて、正面を見つめるばかりでね。それがどうだ。私の勘は正しかった! 君に声をかけてみてよかったよ。ほんとうにありがとう!」

 教授は僕の両手を掴んで引っ張り上げると、ぶんぶんと上下に振った。そして呆気にとられる僕を放って机に向き直ると、猛然と紙切れに何かを書きつけ始めた。

「いや、ちょっと待ってください先生。どうしてこの人形は僕の名前を知ってるんです? 兄さんってどういうことですか」

 僕が背中に問いを投げると、教授は振り返りもせずにただ鬱陶しそうに首を振った。

「分からん! この人形が何を話しだすかは私にも予測がつかんのだ。そういう人形なんだ!」

「はあ!? これを作ったのは先生なんでしょう? なのに分からないって一体どういうことですか」

「それはだね、そもそもこの人形が何の情報をもとに動いているのかという話だが……、いや、駄目だ! 君に説明している間にアイデアが頭の中からこぼれ落ちていく!」

「じゃあ明日また来ればいいですか? このままじゃ納得いきませんよ」

「ああ、そうだな。明日来てくれたまえ。君にはまだ人形に話しかける仕事が残っているからな」

 僕は教授に対して反感のようなものを抱きながら、仕方なくかばんを手に取って出口に向かった。

「おっとそうだ、ヘルツくん。君、兄弟はいるのかい?」

「はあ? いませんよ。僕は生まれたときから今までずっと一人っ子です」


 とは答えたものの、家に帰ったあともなんとなく気になってしまって、夕食の席で両親に聞いてみた。僕に兄弟がいたかどうか。すると二人はなんとなく気まずそうな顔を見合わせたあと、隠していたわけじゃないんだけど、と前置きをして話しだした。

「実は、お前には双子の弟がいたんだ。でも、生まれても息をしなくてね。そのまま死んでしまった。……どうして急にそんなことを聞くんだい」

 いや別に、なんとなく気になっただけだと答えて席を立つ。本当になんでもないよ、心配しないで。前に父さんか母さんからそんな話を聞いたような気がして、確かめてみただけ。うん、大丈夫だから。

 その夜は妙な夢を見て、あまりよく眠れなかった。車輪の夢だ。視界いっぱいに、無数の車輪が回っている。一つ一つ大きさの違うそれらの隙間からは、見たことのある景色や懐かしい人の面影が見え隠れした。そこで僕は、僕の弟の姿を探していた。毎朝鏡で見るのと同じ顔を。

 しかしいくら目を凝らしても、弟は見つけられなかった。それなのにどうしてか、僕はひどく安堵していた。

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