第168話 赤ん坊、還る 2
今日はこの後父が昼食を一緒にとるため来室し、ともに屋敷に戻ることになっている。
二人とも通常休みにしている土の日に王宮に上がり、明日の風の日を休みにした。
一つの理由は先にも言った、代表団の報告を確認すること。
もう一つは、この夕方に母が到着するので父の屋敷に一泊するためだ。
このところしばらく空の日に実家に戻る習慣にしていたものを、一日ずらしたことになる。
侍女は交代で一人同伴することにしていて、今日はナディーネの番となっていた。
そのナディーネは、書き上げた文書をヴァルターに見せて添削を受けていた。
この侍女は逸早く意思表明して、僕が王宮を出てもついてくる希望を出していた。
それをありがたく受けて、僕はさらにその先を考えている。
ヴァルターとクラウスからその資質があるようだという所見をもらったので、この侍女を将来的に言わば私設秘書役に育成したいと思うのだ。
公的執務に十分ではなくても、秘書兼侍女の立ち位置でもいい。
そういった方針を本人たちに告げて、今はヴァルターの弟子よろしく修行を始めさせているところだ。
自身は「ルートルフ様のお役に立てるなら」と、熱心に取り組み始めている。
あと、カティンカ、リーゼル、メヒティルトには、侍女と兼務してヴィンクラー商会で絵と文字筆記の業務を期待している。
新しい本の印刷販売と壁新聞発行の実現が具体化してきているので、こうした人材の確保、増員が急務とされる。
カティンカとメヒティルトには、そうした新しい人材の指導まで担わせたいと思っているのだ。
まあこの二人についてはまだ家族の同意がとれていないので、構想段階に過ぎないのだが。
とにかく男爵家としても商会の側でも、人材の確保が最優先使命となっている。
「予定通り、イレーネたちは無事領地を発ったと連絡が来ている」
「よかった」
昼食の席で、父が教えてくれた。
予定通り昨日出発して、母はこの夕方に王都に着くことになる。
わくわく楽しみにしながら、父と今後の話をした。
まだ領地については未定だが、少なくとも王都での活動にあたって僕の周りを支える使用人を確保していかなければならない。父がいろいろと手を回してくれているところだ。
実際に男爵家の運営を始めるのは来春になるとはいうものの、よい人材は当たりをつけておきたい。
「エルツベルガー侯爵やロルツィング侯爵が、心当たりの者を紹介してくださると言っている。有望そうであれば、父とともに面接をすることにしよう」
「ん、よろしく」
この後父はいくつか用事を済ませて、夕方屋敷に帰る際に僕を迎えに来るという。
僕は特に急ぐ用事もなく、執務室で読書をしながら待つことにした。
約束通り、午後の八刻過ぎに迎えに来た父と王宮を出た。
僕を送り迎えする際には、父の馬車が使われる。
当然僕の体力と安全を慮ってのことだが、実際にはザムを人目に触れないようにするという目的も大きかったりする。
ナディーネとそのザムを脇に乗せて、父の膝に座らされて、短い馬車の道行きになった。
「ついた」
「うむ」
「お帰りなさいませ」
入口でクラウスに迎えられ、僕は父の腕から下ろしてもらった。
逸る気を抑え、ことさらに落ち着けた足どりで居間に向かう。
とことこという歩調に合わせて、微笑むヒルデが扉を開けてくれた。
正面のソファに。
白いドレス姿の母が、おっとりと笑っていた。
少し脇の床で、ピンクの産着の赤ん坊がこちらに背を向け、侍女と積み木で遊んでいる。
駆け出しかけた足をくいと止めて、身を屈めた。
「おひさしぶりでごじゃます、はーうえ」
「元気そうで何よりです、ルートルフ」
「は。はーうえにも――」
続けかけた言葉が。がたん、という音に遮られた。
横を見ると。
積み木を落とした妹は顔を仰向け、すんすんと鼻を蠢かせていた。
一呼吸の後。
その小さな姿が、瞬間移動、していた。
いや、その表現はもちろん大げさだけど。ばたばたばた、と高速のはいはいがあっという間に近づき。
「るー、るー!」
「わあ!」
思いがけない勢いのタックルを受けて、呆気なく僕は尻餅をついてしまっていた。
それでも何とか、自分とさほど変わらない重さの妹を無事抱き支える。
「るー、るー」
「みりっちゃ」
腰を上げかけた母、慌てて駆け寄りかけたベティーナの顔が安堵に緩む。
胸元にぐしぐし顔を擦りつけてくるミリッツァを撫で、宥めて。
床に座り込んだまま、僕は改めて正面に顔を戻した。
「たーいま、かあちゃ、みりっちゃ」
「お帰りなさい、ルートルフ男爵閣下」
母の輝くような笑みが、返ってきた。
***
本作は今回で完結とさせていただきます。
これまでご愛読、応援をくださった皆様、真にありがとうございました。
赤ん坊の異世界ハイハイ奮闘録【書籍化】(旧題:赤ん坊の起死回生) eggy @shkei
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