第167話 赤ん坊、還る 1

 翌日は土の日だが、ダンスクとの会談に赴いた代表団が帰国するということで、報告を聞くために執務室に入った。

 午近くになって訪れた王太子によると、会談はおおむね予想通りに終わったとのこと。

 ダンスクは賠償に応じ、こちらからは捕虜引渡しの手順を詰めた。五カ国で話し合いを持ち、制裁措置の段階的緩和について申し合わせた。

 なお交渉の末、ダンスクがアマカブ製糖の特許申請に唱えていた異議を取り下げるのと引き換えに、賠償金を多少減額するということで合意した。むしろ特許認定手続きの進捗を後押しするということになったらしい。

 かの国にとって手痛い支出をできるだけ抑えるために、背に腹は代えられない妥協の選択になるようだ。

 我が国としてはこれで近々、アマカブ糖の販売を広げるとともに技術を国外に供与して、大きな外資を得る道筋が見えてくることになる。

 今回も代表団の長として赴いたエルツベルガー侯爵が宰相と密に連絡をとって進めた交渉の結果ということで、こちらとしても疑問の余地はない。

「何とかこれで、一件落着だな」と、王太子は満足げにティーカップを口に運んでいる。

 正面から見ていて、何処か実母と似たものを感じてしまう表情だ。


「まだ制裁による三カ国でのアマキビ糖輸入制限が解けないうちに、アマカブ糖の製産を増やして周知を図る。早晩、両者が拮抗する程度の流通には持ち込めるだろう」

「ん」


 特許申請が通るのは時間の問題と思われていたのだが、このどさくさでさらに流通拡大の方策を採る余地が生まれたというわけだ。

 アマカブ製糖特許の権利者は、ベルシュマン子爵領として申請している。これで当面、いっそう領の財政に潤いがもたらされることになる。

 一年近く前に兄と始めた、領を救うためのさまざまな取り組みが、ひとつまた確かな成果を刻んだと思っていいだろう。

 この特許権が適用される規定の五十年間、天候不順などに見舞われても領民を飢えさせずに済む、ある程度のよりどころができたと言える。

 何とはなく頭の中に、西ヴィンクラー村の長閑な春耕作の風景が蘇ってきた。

 なおまたこの件で、救われるのはベルシュマン子爵領だけではない。

 現在アマカブ製糖業が稼働しているのはエルツベルガー侯爵領、アドラー侯爵領、ロルツィング侯爵領の北部、ベルシュマン子爵領の東部だ。大半がコリウス砦の戦の際考察したように「国有数の貧しい土地でほぼ価値が認められない」という評価だった地域が、大きく脚光を浴びることになる。

 この意味でも、ひとつ当初の目的を果たしたと言ってよさそうだ。

 アドラー侯爵のいかつい髭の笑顔を思い浮かべる。

 エルツベルガー侯爵の機嫌のいい顔にあまり心当たりがないので、代わりに長男のくつくつ笑いを連想してみる。


――まあ何にせよ、祝着だ。


 また製紙について、輸出規制が消える成り行きは大いに喜ばしい。

 こちらはさらに多国間特許認可まで時間がかかるだろうが、事実上それまでグートハイル王国の独占製産だ。

 製糖と違って、対抗するものがない。先の通商会議と今回の戦争処理の経緯で、その有用性は他国間にも広く知れ渡った。

 この流れの中で大国ダンスクに対する輸出が解禁されると、流通量は桁違いになりそうだ。

 今後の趨勢は、国内のほとんどの領に好景気をもたらす予想が立つ。

 国王から任じられた僕とこの部署の責務に、さらに上向き評価の拍車がかかることになる。

 何はともあれ、とりあえず上々の首尾と思っておいていいだろう。


 王太子が立ち去った後には、いつもながらの執務室が残った。

 ヴァルターとナディーネは筆記仕事。

 僕は机上に這い登って、読書の続き。

 両横にテティスとウィクトルが立ち、机脇にはザムが蹲る。

 しつこいようだが、いつもながらの執務風景だ。

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