第166話 赤ん坊、授けられる
その翌日には、国王から僕に爵位を授ける式が行われた。
先日宰相から話があったように正式な式典は後日に回すが、とりあえずこの件を公に示さなければならない。ということで略式、現在王宮に出仕している貴族だけを集めて、中程度の式場で行うことにしたという。
ということで、僕だけは三ヶ月前に初めて拝謁したときの正装もどきを身につけ、父に抱かれて式に臨んだ。
王の前に進んだところで床に下ろしてもらい、並んで膝をつく。
口頭ながら「ルートルフ・ベルシュマンに男爵位を授ける」との宣を受ける。
居並ぶ諸侯から、拍手をいただく。
まあ、それだけの儀式だった。
なお、この僕の叙爵については、少しばかり広報的扱いがややこしくなっていた。
「紙の開発者で今回の戦闘に功績のあった、子爵次男のルートルフ・ベルシュマンに男爵位が授けられた」という事実は、大いに広める。
一方、この人物が一歳児である事実は、当面できるだけ秘匿するということになっている。
何故どうやってそんな赤子が功績を挙げたのか、など各方面から説明を求められても、返答に窮してしまう。とにかく王宮側も本人も、そんなことになっては面倒なばかりだ。
また今回の叙爵の目的でもあるようにこの身分確定で、国家間の調整の上でかなりのところ僕の身の安全は保たれるだろうが、貴族本人が無力な幼子だと知れると国の内外の犯罪者から誘拐などの標的になりやすい。
何よりも現状、「紙の開発者で今回の戦闘に尽力した人物の功が認められた」ということだけを早急に広めたいということだ。
そういう注意が、宰相から諸侯に伝えられたらしい。
「つかれた」
「お疲れ様でした」
「はは、男爵閣下、いい気味だ」
朝早くの式を終えて執務室に戻ると、ヴァルターが労いの声をかけてくれた。
憎まれ口はもちろん、某公爵次男殿だ。
余談だが、堅苦しい配慮を持ち込むとしたら、僕とこのご次男との立場関係はまたややこしくなっている。
家柄などを持ち出したら、圧倒的に向こうが上だ。
しかし一方公式には、男爵本人と公爵子息を比べると、曲がりなりにも貴族当主の方が身分は上になってしまう。
例えば以前兄から聞いた、建国記念祭の国王挨拶で貴族関係者が一堂に会するような場合。
まず最前列から貴族当主が階位順に並び、その後ろに夫人たち、成人した子女、未成年の者たち、という順になる。場合によって子女については、長男など爵位継承予定者しか臨席が許されないということもある。
今日の式でも、貴族当主に代わって長男が参加していた家はあったが、次男以下は呼ばれようもない。
まあ、そういうことだ。
しかしもちろん、この部屋の業務では虚礼廃止、今まで通り遠慮のない口調でのやりとりになる。
――それにしても。
今後、そんな会合で並ぶことになったら、また面倒が生ずるだろうな、と思う。
貴族当主が階位順に並んだ場合、まちがいなく僕は末席だ。
数十名の大のおとなの後ろに並んで、陰に隠れて、前に
――まあおそらく実際には、特例を設けてもらうなどして、父に抱かれて列に加わる、といったことになるだろうけど。
そんな現状どうでもいい想像をしながら、頭を切り替えて。
改めて、また久しぶりにゲーオルクと打ち合わせをした。
この次男殿、最近はすこぶる機嫌がいい。
先日、部署としての成果に対し、陛下からお褒めを頂戴した。
製鉄業は、ますます順調だ。
加えて、紙の評判とともに鉛筆が注目を浴びて、もの凄い勢いで売上げを伸ばしてきている。
しばらく前に取り寄せた植物見本のいくつかが日の目を見て、関係した領主から礼を言われることがたびたびあるそうだ。
この日の確認はその植物見本関係が主で、今後活用できそうな情報を各領に伝えたこと、現在裏庭で生育経緯を見ているものの状況、などについて話す。
「キナバナの製油について、ロルツィング侯爵領でうまくいきそうな手応えが見えてきた、という報告が来ている」
「そ。よかった」
いくつかの確認の末、「じゃあ、この調子でいこうぜ」とご機嫌のまま、ゲーオルクは退室していった。
諸々の用事を終え、ようやく日常に戻ってヴァルターとの打ち合わせ。
文官の隣では、ナディーネが紙に鉛筆を走らせていた。
最近始めたことだが、この侍女には僕の他との打ち合わせ内容の要旨を速記よろしく記録させている。鉛筆の導入と本人の習熟で、まだ訓練途上ではあるがこれがかなり実現できるようになっているのだ。
この先の文官との打ち合わせも、練習がてら記録させておく。
前日の午後、ヴァルターはアイスラー商会などの様子を見に街を回っていた。
「ホルストたちは、順調に新型馬車の開発を進めているようです。車軸にバネを組み合わせて振動を抑える構造の試作品ができたと、見せてもらいました。まだ強度が不足で実用化は先になるそうですが」
「そ、よかった」
商会としても荷車や洗濯挟みなどの売り上げが好調で、収益を伸ばしている。
当分は雲を掴むような馬車開発だが、そのため会長も大乗り気で資金を投入しているのだそうだ。
そのせいもあって、ホルスト、イルジー、ラグナ、三人とも絶好調で取り組んでいるとのこと。
その後、ヴィンクラー商会の作業場も覗いてきた。
これらの商会は直接にはヴァルターの担当外だが、こちらの部署の業績を最も反映した結果なので、定期的に王太子や宰相やに報告するため、視察をしているものだ。
「やや久しぶりに製紙の状況を見て、驚きました。もう標準紙の方が上等紙よりかなり生産量が多くなっているのですね」
「ん。あっとうてきに、ひょうじゅんしのほうが、うれゆきがいい」
「これも、ルートルフ様の予想の通りですか。王太子殿下に報告したところ、各領地にも情報を流して標準紙生産を増やすべきか、という仰せです」
「ん。そろそろ、そうしたほうがいいかも」
「あとマーカスに、貸本の店舗営業の構想を聞いてきました」
「ん」
これもかなり予想通りだが、学院入学予定の侯爵家子女を中心にお伽噺本の販売が好調だ。最初に王女から紹介してもらったものに加えて、新しい噺のものを売り出したところ、またいっそうのブームを巻き起こしている。
中位から下位の貴族子女の中には関心はあるが価格的に手が届かないという向きがかなりあるようなので、貸本として提供を始めれば相当の需要が見込まれそうだ。
ついでに貴族夫人に対して物語本の貸し出しも扱うことにすれば、試しに読んでみようという動機も見込めると思われる。
上位貴族相手にはマーカスたちが御用聞きよろしく屋敷を回ることになるが、下位貴族――考えてみると、僕自身もこの範疇に入ったりする――の方々はもっと気楽に街の商店などを覗くことがあるようなので、そうした客をかなり見込むことができそうだ。
こうした話をここしばらくマーカスと詰めてきていたのだが、同じ説明をヴァルターにくり返すのは慣れた部下相手とはいえ僕の口ではしんどい。
というわけで昨日は、マーカスに話を聞いて報告書をまとめるように、と指示をしていたものだ。
「本当に、そうした規模での営業を予定するなら、店舗の新築を考えた方がよさそうですね」
「ん。まえむきに、けんとうちゅう」
叙爵の祝いと称して、今の作業小屋を置いている土地を王室から譲渡されることになった。
その手続きが終了次第、商会の店舗兼作業場の建物を新築する予定だ。
なおこの際には、土地の奥部分を男爵邸用地として空けておく。こちらの建設は、来年からゆっくり進める予定にしている。
ともかくも貸本の店舗開店は、そこそこ早い方がよさそうだ。今のブームが冷めないうちに、学院生徒対象に売り込んでいきたい。
打ち合わせが一段落したところで、ナディーネの記録を確認する。
父の屋敷でクラウスの指導を受けて、かなり要点のまとめ方に慣れてきたようだ。
「ん、かなりじょうでき。このちょうしで、つづけて」
「ありがとうございます」
やや緊張の面持ちでチェックを受けていた侍女は、一転して笑顔を咲かせた。
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