003 勇者には向かない顔ぶれ

 結局つむぎはほとんど眠れず、夜明け近くに少しうとうとしただけだった。目を覚ましても相変わらずベッドは天蓋付きのベッドである。このときほど、つむぎは自室の小ぢんまりしたシングルベッドとよれたタオルケットが恋しかった時はない。

 寝ぼけ眼の彼女のもとに、着替えと朝食と洗面用の水、たらいが運ばれて、容赦なく支度が整っていく。着替えはいかにも冒険者ですという風情の軽装で、早くも放り出すつもりかとつむぎはげんなりした。

 お昼時になると昨日のおじいさんとは違う、それでも重役感の漂うおじさんがやってきた。彼が言うことには「1人では大変だろうから頼れる仲間を紹介する」「歴戦の戦士なので、女の子にはとっつきにくいかもしれないが大丈夫」だそうだが、つむぎは昨夜サジナゲルから聞かされた「札付き」の連中に引き渡されるのだと確信していっそうげんなりした。おじさんのいやにぴりぴりした雰囲気や、泊まったお屋敷(ひょっとしたら、お城かもしれない)をわざわざ出て、城下町におりていくあたりもそれを裏付けているように感じられて仕方ない。

 ひときわ暗い雰囲気の食事処の前につむぎを置いて、おじさんは一刻も早く立ち去りたい空気を醸し出しつつ「従業員に名前を言えば案内してくれるはずだ」と言い残し、そさくさと帰っていった。サジナゲルとは違い、わが身可愛さの恐怖心とつむぎに対する憐憫とが手に取るように分かったので、つむぎも彼を責める気にはならなかった。


 つむぎは、1人になった。

 

 1人は心細い。

 こんな、わけのわからない状況ならなおさらだ。

 心細い。怖い。110番でお巡りさんは来てくれないし、つむぎには身を守る手段もない。サジナゲルのいうことには「じきにドラゴンも倒せる」とのことだったが、同時に魔法が使えず前衛物理職であることも聞かされていた。つむぎ自身にはいかなる武道の心得もない。もしごろつきが言葉で絡んでくるだけではなく手を上げてきたとしたら、いったいどう対応したらいいものだろうか。勇者の馬鹿力がどれほどのものかわからないが、ひょっとしたら過剰防衛になってしまうのではないか。

 この世界の法律がザルに近いことを、つむぎはまだ知らない。かと言って「大丈夫らしいから」で暴行を働けるほど、つむぎの神経は太くない。

 知っているにしろ、そうでないにしろ、出来ないのだから大差はない。


 おずおずと扉を開けると、その店は盛況だった。比率で言えば男性が圧倒的に多い。数少ない女性は派手に着飾っている。そういうところなのだろう。つむぎは必死の思いで、従業員とおぼしき、比較的怖くないお兄さんを捕まえた。そして、あのおじさんに教えてもらった通りのことを言う。


「つむぎといいますけれど、バスクさんはいますか」


 途端に従業員は哀れみと好奇心とその他諸々の表情を万華鏡のように走らせ、最後には当たり障りのない営業スマイルでもって「奥にいますよ、お知合いですか」と笑った。

 まだ知り合いではなかったが、なんにせよ知り合わなければいけない相手だ。つむぎはあいまいな微笑とともに頷いて、案内を頼んだ。


 ***


 嵐のような喧騒の店内を泳いで渡って、奥の扉にたどり着く。その向こうにはさらにいくつかの扉があり、それぞれから様々な声が聞こえてくる。店内のようなどんちゃん騒ぎであったり、真剣な声音であったり、あるいは何が行われているか想像はできるがしたくない類のものだったりした。

 つむぎが連れていかれたのは、静かな扉の前だった。

 従業員が緊張した面持ちでノックをする。「どうぞ」と男の声がした。ほっとした面持ちの従業員は、扉を開けるとねじ込むようにつむぎを中に入れ、次いで閉めた。速やかに遠ざかっていく足音を聞きながら、つむぎは室内の様相を見て震え上がった。


 部屋には男が3人いた。


 1人は部屋の真ん中にあるソファに、その大きな体躯を預けていた。傍らに置かれた錫杖も相まって、いかにも魔法を使いそうな服装だが、立ち上がったらさぞ背が高いだろうし、横幅も広かった。ただの肥満体ではなく、脂肪の下に分厚い筋肉があるだろうことが、なぜかつむぎには直感でわかった。彼は片手で火のついた葉巻をもてあそびながら、重たそうな瞼の奥の灰色の眼で、ちょっと驚いたようにつむぎを見つめた。

 もう1人は重量級の彼からちょうど1人分の隙間を開けて、ソファの端に座っていた。つむぎとそう変わりなさそうな年齢の、銀髪を逆立てた彼は、がばりと開いた両足の脇に腕をぶら下げた実に柄の悪い格好で、ぽかんと口を開けてつむぎを眺めている。

 最後の1人はソファと別にある椅子に座り、突っ伏して縮こまっていた。白いケープがテーブルに広がり、縦に長い帽子の下からは淡いミントグリーンの髪の毛が見えている。寝ているわけではなさそうだが、その姿勢から一向に動かない。


 つむぎはひたすら怖かった。


 カタギじゃない、という表現はこういう人々のためにあるようにつむぎは思った。重量級は眉間にくっきりと傷跡があるし、若いのも何をどうしたらこうなるんだというような険のある顔つきをしている。突っ伏してるのも、うまくは言えないがなんだかヤバそうだ。外見のみならず、彼らが醸し出す空気もおかしかった。つむぎの浸かっていた日常のそれではない、非日常の剣呑な空気だ。

 息が詰まる。


「女かよ」


 若いのが言った。


「まわしたあとで売っ払おうぜ」


 何を言われているのかわからなかった。おそらく、つむぎの頭が理解することを拒否していたのだろう。彼女は何も言えなかったし、そこから動けなかった。


「それができれば楽なのですが……スコラ、今朝の話聞いてましたか?」

「寝てた」

「そうですね、安らかな寝顔でしたね」


 重量級がけだるげにため息をついた。いっとき若いのに向けられていた目線が、つむぎに戻る。

 喉がひゅっと鳴った。

 取って食われると思った。


「御免なさい、お嬢さん。怖がらせてしまいましたね。わたしがバスクです。急で申し訳ないのですが、商談をしましょう。商談といっても、動くのはお金ではありません。わたしたちとあなたの命運です。どうしたらお互いが一番得をできるか、話し合おうではありませんか。さ、テーブルへどうぞ」


 きっとこの顔が彼にとってのほほえみなのだろうが、つむぎには鰐が威嚇をしているようにしか見えなかった。しばらくつむぎが動けないでいると、彼はゆっくりと歩み寄ってきて、彼女の手を壊れ物のように握った。手をひかれるまま、よろふらと空いている椅子まで歩く。落ちるように椅子に座ると、彼女の目線に合わせて彼は腰を落とした。


「さすがに、こんなに若いお嬢さんだとは思いませんでした。お酒は飲めますか?」

「飲めません……」

「このお店に、お酒以外の飲み物はありましたか?」


 問いはつむぎではなく、仲間に対してのものらしかった。スコラ、と呼ばれていた若いのが、「知るかよ」とせせら笑った。


「……ミルクがあった」


 消え入りそうなその声は、第3の男のものだった。


「オレのぶんも、頼んどいて……ちょっと、行ってくる」


 さっきまで微動だにしなかったその男はよたよたと立ち上がり、中腰のまま壁に手をつきながらほとんど這いずるようにして、つむぎが入ってきたのとは違う扉に消えた。

 音から察するに、どうも吐き戻しているらしかった。


「……お嬢さん、重ね重ね御免なさい。介抱してきます。スコラ、注文しておいてください」

「……チッ。しゃーねえな」


 バスクは立ち上がると水(だとつむぎは思いたい)のグラスを持って扉に向かう。スコラが呼び鈴を何度か乱暴に叩くと、間もなく従業員がすっ飛んできた。

 注文を復唱して逃げるように去っていく従業員と入れ替わりに、バスクが3人目を担いで戻ってきた。


「椅子に座りますか? 床に寝ますか?」

「床に座る……」

「わかりました」


 床に降ろされた3人目は、ほうと息をついていわゆる体育座りの格好になり、膝に顔を埋めた。そういえば、つむぎはまだこの男の顔を確認していない。別に好んで見たいわけでもないが。

 すぐに緊張した面持ちの従業員がやってきて、ミルク2つと素朴なつくりの硝子瓶が運ばれてきた。スコラは瓶をひったくるように掴むとごぼごぼ音を立てて一息に3割がたを干し、口許を手の甲で拭った。それを見てバスクは眉根を寄せ、水差しの中身をいくらか自分のグラスに移して、唇を湿す。彼は気さくな様子でつむぎにもミルクをすすめた。彼女は頷いてグラスを受け取ったが、口をつける気にはなれなかった。


「では、商談をしましょう、お嬢さん……いえ、『勇者』さん。まずここは公平に、わたしたちの知っていることからお話ししましょう。もっとも、スコラはよく眠っていたようですが」


 バスクの口から語られたことは、サジナゲルから語られたこととほぼ同じであった。勇者の具体的な能力と「伝承は伝承なんで根拠ないんですけど」を除いて。


「わたしとしては、無用な危険を冒したくありません。なので勇者さんと敵対する気はありません。かといって、いつまでも勇者さんになにもしなければ向こうも動くでしょう。わたしたちはそれを期待されているわけですから。

 そこで、勇者さん、わたしたちと協力しませんか? にわかには信じられませんが、勇者さんは別の世界からやってきたのですよね。それならば、こちらで困ることもたくさんあるでしょう。その困りごとの、相談に乗りましょう。そのかわり、わたしたちの仕事を手伝ってください。勇者さんが味方に付けば、怖いものなしです。勿論勇者さんを脅かすことは一切しません。誓約書を書きましょうか?」


 バスクは手品のように紙とペンを取り出して、つむぎに示した。だが、彼女の頭はほとんど考えるのをやめていた。残りのほんのわずかな部分が、彼女の口を動かした。


「わたし、こっちの字、読めないかもしれません……」


 スコラがげらげらと笑い出した。バスクもあの「鰐の威嚇」の笑顔になって、さらさらと何事か書きつけると、その紙をつむぎに差し出した。


 見たことのない字だ。

 だが読めた。


 ”共犯者になってください”と。

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