005 初仕事
つむぎはできれば泣きたかった。
まともな状態であれば泣いていたのかもしれないが、非現実が次々に殴りかかってくるこの状況において、つむぎの涙腺はストライキ中のようだ。
彼女の現状を具体的に言うと、地べたに正座していた。
別に立っていようが胡坐をかこうが問題ないのだが、なんとなく正座してしまい、そのままの態勢を維持していた。つむぎの周りには淡い薄荷色に光る円がある。バスクが錫杖で地面に描き、そこへレライエが粉を振りかけて作った円である。バスクが描いた時点では地面をえぐっただけのものにしか見えなかったが、粉がかかったとたんにそれは光りはじめ、すでに何度目かになる「これはファンタジーなんだ」という認識をつむぎに与えた。2人は「ここから出なければ安全だから」ということをつむぎに言い聞かせると、すばやく踵を返して先行していたスコラの援護に向かった。
何の援護かといえば。
戦闘である。
つむぎは曲がりなりにも(いろいろ曲がり切ってしまっているような気もするが)勇者であるからして、その本分は戦うことにある。
しかし、つむぎには何ら戦う技能がない。
なので、まずは見学というわけだ。
この円の中にいる限り、術者であるバスクとレライエ以外には、つむぎの存在を悟られないらしい。仲間(暫定)ではあるけれど術者ではないスコラにも見えないそうだ。
そのシェルターの中で、彼女は伺う。
本物の、戦いというやつを。
「遅せーぞッたくよォ」
「御免ねー。あ、でも、この相手だとオレの出る幕なくない?」
「いくらでも支援飛ばせるでしょう? 頼りにしていますよ」
「ちぇー。次はバチバチに弾ける狩場にしてくれよぉ。折角ノリノリで整備してきたのにさ」
取り出しかけた銃を未練たらたらで仕舞うレライエ。あれは脅し用ではなくって、ちゃんとした武器だったのか。それで撃ったのか。つむぎを。
それはさておき、確かに相手は銃じゃあ分が悪そうだ。装甲車のキャタピラを4本の足に置き換えたような、ごつごつした生き物が5匹。大きさは牛くらいだろうか。どことなく金属に似た鈍い光沢のある表面は、いかにも堅そうだ。レライエがつむぎに向けた拳銃程度では、確かに弾が通りそうもない。
その「怪物」を、スコラはすでに1匹のしていた。
ひっくり返されてもなお、弱々しくもがいているところから生きているのはうかがえるが、おそらくあれは「とりあえず動きを止めて、数を減らす」作戦とみた。きっと怪物Aが復帰するころには、すべて片付いている自信があるのだろう。スコラが次の獲物に食らいつくより早く、バスクが錫杖を一振りした。しゃらん。場違いに涼しげな音。
「……
「わわっ、あぶねーなバスク!
「スコラがその程度で死ぬタマですか?」
「違うと思う」
「実際違げーよ、ばーか」
それこそ焼けた金属のように赤く発光して、末期の悲鳴を上げる怪物ども。その「魔法」は周囲にも影響を及ぼしており、まばらに生えていた雑草がみるみるしおれ、それを通り越してぶすぶすと焦げていく。その間をかいくぐって戻ってきたスコラは、レライエが使った防御魔法のおかげか、まるっと無傷である。
「しっかし、街道沿いに装甲獣が出るたぁ、穏やかじゃねぇな。憲兵仕事しろよ」
「おかげでよい資金源になりそうです。怠惰な憲兵には感謝をしなければなりませんね」
「路銀はあるに越したこたないもんねー。さーてと、ほんじゃ」
レライエが指を鳴らす。
といってもあまりうまくはない。
ぷしゅっと景気の悪い音がするだけだ。
それでも効果は充分なようで、つむぎを隠していた魔法の壁が、じゅっと音を立てて一瞬光る。
それだけで、なくなったのがつむぎにはわかった。
「つむぎ、お仕事ですよー」
レライエによるバスクの物まねは、正直言って全く似ていなかった。
***
魔法による熱は冷めるのが早い。とはバスクの談だ。事実怪物どもの死体は間もなくもとの鈍色を取り戻し、おっかなびっくり触れても常温だった。
バスクは「ばらす」と言っていたが、こんなに硬そうなもの、どうやってばらすのだろうか。持って帰るにも重たそうだ。なによりばらすとなると、血や臓物を連想してつむぎの心は重くなる。へたくそながらも魚をさばいたことはあるが、比較対象にもならないだろう。初対面時のレライエではないが、想像するだけでそこはかとなくせりあがってくるものがある。
重たそうな鞄をバスクが降ろして、開いた。
中身はおおむねつむぎの予想通りだ。
のこぎり、ナイフ、ピンセット。名前は忘れたが医療ドラマで見た手術道具によく似たもの。いろんなものが――いろんな「ばらすためのもの」がそのかばんには詰まっていた。
吾知らず、紬はごくりと唾を呑む。
バスクはその中から1つを取り出すと、つむぎに「はい」と差し出した。反射的に受け取ると、それはずしりと重かった。
「これ……」
それはどこからどう見ても、大きなペンチだった。よく手入れされているのだろう。新しそうには見えないが、錆の1つも浮いていない。
「装甲獣は見た目の通り硬くて重くて、持ち帰りに適しません。ですから、歯と爪だけもらっていきます。つむぎ、教えますから手伝ってください」
怪物をつま先でつつきながら、バスクは自分もペンチを手に取った。顎をしゃくる。お手本を見せるから、来いということだろう。そうつむぎは解釈して、彼の手元に視線を落とした。
怪物に頭と思しきでっぱりは無くて、胴体に直接口がついていた。目鼻はあるのかないのかもわからない。ただ鋭い牙の生えそろった口だけが、鈍色の身体の中で生々しい肉色をしてぽかんと開いていた。
バスクは躊躇なくペンチを口に突っ込み、ひねりをくわえながら牙を引っこ抜いた。2本抜いたところで「やってみてください」とつむぎに場所を譲る。
つむぎは躊躇した。が、やならくてはならない。
ペンチで手近な牙を挟む。しっかり細くしたのを確認したのち、バスクの見よう見まねでひねりながら抜こうとした。
みちみち。
嫌な感触。
総毛立つというのはこういうことだろうか。
つむぎは小学生の頃を思い出していた。歯医者で乳歯を抜いた時だ。麻酔がうまく効いておらず、それなりの痛みとおぞましい感覚を伴ったことをいやにはっきりと思いだした。無意識のうちに歯を食いしばりつつ、つむぎはやっとのことで牙を1本抜いた。
額に汗が浮いているのがわかる。そのうちの1粒が、流れ落ちて頬を伝った。
「まだたくさんありますから、練習しましょうね。歯が終わったら呼んでください。次は爪の剥がし方を教えます」
「うん……」
生きるためだ。
この瞬間ほど、それを自分に言い聞かせたことは、つむぎにはなかった。
***
つむぎが1匹分の爪と牙を冷や汗まみれになりながら抜き終えたころには、残り4匹の「処理」はとうに終わっていたらしく、不機嫌そうなスコラの「遅せーぞ」が舌打ちとともに浴びせられた。なお、スコラがしていた作業は折り畳み式のスコップで穴を掘り、剥がすものを剥がされた死体を埋めるというものだ。
レライエがこっそりささやいたことには「すげー不器用だから戦闘以外は戦力外」らしい。スコラとは反対にバスクとレライエは上機嫌だ。この爪と牙はいい値段で売れるという。
「結構儲かったしさ、これ換金したらつむぎに剣買おうよ」
「剣ですか? 本人の希望を聞いたほうがいいと思いますが」
「えー? 勇者なら剣でしょやっぱ。聖剣聖剣」
「お店で聖剣は売ってませんよ」
「でも勇者が槍とか斧は納得いかなくね? 剣1択っしょ」
「近距離武器なら何でもいいと思いますが。遠距離はわたしで十分でしょう? つむぎ、何か希望はありませんか?」
「そもそも武器使ったことないんだけど……」
そこでふと、サジナゲルの言葉を思い出す。
前衛特化のステータスで魔法は使えない。
そうなると、どうしても近接武器にならざるを得ないだろう。
「剣って、初心者でも扱いやすい?」
「わりと」
無責任に過ぎるレライエのひとことで、つむぎが買ってもらえる武器は剣に決まった。
***
裏路地の怪しい建物に持っていくと、例の爪と牙は1袋の硬貨に化けた。この世界の貨幣価値が全く分からないつむぎではあったが、総員ほくほくしていることから鑑みるにけっこうな金額なのであろう。
換金が済むと一行は宣言通り表通りの武器屋を探した。何軒か冷やかしたのちたどり着いた店で皆は納得したらしく、なんだかんだと剣を物色し始めた。つむぎにはどの剣がどう違うのか全然わからない。形や大きさくらいだ。同じような外見でも値段が天と地ほどに違うものもある。素材や技術の問題だろうか。字が読めてよかったと、つむぎは痛感した。
「やはり、軽めのほうがいいのではないですか? つむぎは女の子ですし……これとか、これなんか扱いやすそうですよ。女性の剣士が似たようなのを下げているの、見たことあります」
「えー、でもでもつむぎって規格外だしぃ、もうちょっとずっしりしたやつのほうが良くね? 軽いと威力出ねーしさ。オレ、こっちがいい」
「とにかく頑丈なのにしようぜ。斬るたびに刃こぼれだなんだってやられちゃ面倒でかなわねぇ。……お、これなんかどうよ。ごつい造りで無駄が無え。手入れも楽だ」
「重すぎませんか? 切れ味も悪そうですし」
「そもそも斬る必要無いだろ。棒で殴る、くらいでペーペーは充分だ。ちゃんと腕力あれば、それだけで普通に殺せる」
「でもやっぱ剣は冒険者のロマンじゃん! 斬ろう! んで、返り血浴びよう!」
「引くわ」
困った。
脱線が著しい。
修正しなければ。
つむぎは精いっぱいの勇気を振り絞って、声を上げた。
「みんなのおすすめの剣、触ってみたいんだけど……ダメかな」
「いいよ!」
店主より先に返事を返したレライエを筆頭に、それぞれ1~3振りの剣を確保した連中がつむぎを取り囲む。
まずはバスクからだ。
店外にある試し振りスペース(とはいっても、狭い空地のようなところだ)で、彼おすすめの剣を振る。もちろん剣に対する知識などないので、漫画や映画の見よう見まねで、素振りっぽいことをやってみた。
言っていた通り、バスクの選んだ剣は軽い。
つむぎは木刀すら振ったことがないので推測だが、これはきっちり練習をすればかなりの速さで振りぬくことができるのではないだろうか。相手にもよるだろうが、先制攻撃ができれば素直に有利だ。練度が上がれば不意打ちもできよう。加えて、しょうもないといえばしょうもないのだが、デザインもかわいかった。刃の部分はともかく、握りや鍔に簡単ながらも装飾が施されている。「女性の剣士が似たようなのを下げている」とバスクは言ったが、それも納得である。かわいいは正義だ。
続いてスコラチョイスのごっつい剣を握ってみる。スコラの選択は3振りあったが、どれもこれも似たような雰囲気だ。重たいといえば重たいけれど、振り回すのにさほど負担を感じない、自分の身体がちょっぴり怖い。これも前衛寄り、高レベルステータスのおかげだろう。ただ気になるのは切れ味の問題である。スコラは「斬るたびに刃こぼれだなんだってやられちゃ面倒でかなわねぇ」と言っていたが、それってつまり、刃こぼれしないレベルに野蛮なつくりか、すごく頑丈かのどちらかだろうと思う。たぶん、前者だ。だってこんな、その辺によくある雰囲気の武器屋さん(あくまでつむぎの、ファンタジー知識によるが)で売っているんだから。独断と、偏見。
レライエは散々ああでもないこうでもないと迷った末に、ひと振りの剣をつむぎに渡した。特筆すべき点のない、ゲームで言えば序盤の町で買える雰囲気の剣だった。片手で扱う剣らしい。軽くはない。でも重たくもない。
勿論重みは感じるけども、いい持ち重りだ。
振ってみる。
腕につらくはない。むしろ心地いいくらいの手ごたえだ。
手に馴染むとは、こういうことか。
これで誰かを殺すことになるかもしれない。それは、とりあえず考えないことにした。
「レライエ」
「うん?」
「わたし、レライエの選んでくれた剣がいいな」
そう口にした途端、残りの2人が食いついてくる。
「いいのですか? ちょっと値は張りますが、もっとかわいい剣……もちろん軽いの、探しましょうか?」
「それ一番中途半端な奴じゃん。ねーわ。無理無理。超ねーわ」
「でも、一番振りやすいし……」
すったもんだはあったものの、つむぎの剣はレライエが選んだものに決まった。
***
剣。
無縁なもの。
無縁、だったもの。
鞘に納まったそれをじっと睨みつけながら、つむぎは宿で無為に時を過ごしていた。
明日発つ、と言われている。それなら早く寝たほうがいいだろう。しかしつむぎは、「自分の剣」から目を離すことができず、頭はともかく眼だけは冴えて冴えてどうしようもなかった。
眠気と意地の間でぼんやりしていれば、唐突にノックの音。
「……はいっ」
「レライエだけど、今ちょっといい? 剣の件。あっ、洒落じゃないよ」
苦笑とともに扉を開ければ、もはや見慣れた長身の美丈夫が立っている。この世界の平均身長が現代日本のそれより高いのはすでわかっていたが、レライエはさすがに規格外だ。細身なので座っているのを遠目に見ればそうでもないけれど、いざ立ち上がって近くに来ると文字通り見上げるほどだ。つむぎの世界の基準にあてはめようとするのならば、190センチは固い。
「あのね、つむぎって勇者でしょ」
「た、たぶん」
「だからさ、オレ、あの剣祝福したいんだ」
「しゅく、ふく?」
「うん。勇者の剣を祝福するなんてカッコいいじゃん。つむぎが活躍したらさ、あの剣はオレが祝福したんだぜーって嬉しくなるし。ついでに剣の切れ味も良くなるぜ。どーよ」
「……じゃあ、お願いしようかな」
素行が悪いといえどレライエも僧侶だか、神官だかなのだから、そういう神秘的な力を持っていても不思議ではない。この剣を選んだのもレライエだし、彼に祝福してもらうのは理にかなっているようにつむぎは思った。
つむぎが立てかけてあった剣を持ってくると、レライエは眼鏡を懐に仕舞い、編んで垂らしていた髪をほどいた。どことなく厳かな口調で、剣を掲げるようつむぎに言う。氷の彫像が動いているような美しさだった。つむぎはこの時だけ、普段のレライエを忘れた。彼は指先でそっと鞘に触れ、祝福の言葉を口にした。
「わが友と友のつるぎに幸いあれかし。われとわが友の敵に災いあれかし。われ、死と静寂を司りし氷の精霊■■■■■の名のもとに、いま祝福を成すなり」
風もないのに、レライエの髪がふうわりと舞う。薄荷色のきらめきが部屋を満たした。
やがて視界が戻ってきて、つむぎは開口一番大変不安な点を口にした。
「死と静寂を司りし氷の精霊って何?」
祝福というには物騒な精霊である。どちらかというと呪いに向きそうだ。
「オレ」
手早く髪を編みなおしながら、いつもの調子でレライエは笑った。
「精霊を信仰してるとかじゃなくて?」
「そういうのじゃなくて、オレが精霊本人。ひゃはは、びっくりした?」
「すごく……」
驚いたが、ファンタジーなのだから人型の異種族がいても何の不思議もない。つむぎはそう納得することにした。
サジナゲルの「全員化け物」が言葉通りの意味であることを、彼女はまだ知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます