006 試し斬り

 つむぎは早起きが苦ではない。寝起きもいい。

 ただしそれは彼女の本来の生活リズム……よく寝て、朝起きて、なんだかんだと学校の準備をする、という生活における前提だ。

 日も昇る前から叩き起こされては、当然眠い。しかし最初の顔合わせと説明さえ終わってしまえば、あとは有事の際まで寝ていていいとのことである。


 今日の仕事は隊商の護衛。ついに国を出ることと相成った。うまいことに、隊商の目的地はバスクの古巣で、しばらくはそこに滞在しながら様子を見る予定である。


「あそこなら追及の手も伸びにくいでしょう。ここよりも都会ですし、面白いものがたくさんありますよ。当分は小さい仕事をしながら見物しましょう」


 寝ていいとは言われたが、荷馬車の荷台は大いに揺れる。そもそも荷台なので、人を載せることを考慮されていないのだ。こんなところで寝られるか。万一あったならば机あるいはそれに類するものをげんこつで叩きつつ抗議したいところだが、現に寝ているやつらが2人もいるのだから仕方がない。スコラとレライエはわら布団にくるまって呑気に寝息を立てている。寝ているときだけ、こいつらは無駄にきれいでかわいい。いっそ腹立たしいくらいだ。

 バスクだけは見張りのためにいやいや起きているのか、それともつむぎ同様こんなところでは寝られない繊細なたちであるのか、眠たいけれど眠れないつむぎの話し相手を務めてくれた。

 一等怖い顔だけれど、案外お人よしなのか。それともつむぎを安心させるための、全部芝居なのか。中身は顔に似合って極悪人だったりするのか。


「じゃあ、楽しみにしていていいのかな、その街」

「楽しみにしていただいてよいと思いますよ」

「何か気を付けることってある? ほら、わたし常識とか全然知らないし。いままでは誰かしら一緒にいてくれたけど、ずっとそういうわけにもいかないし」

「よい心がけですね。とりあえず、外に出るときは常に剣を佩いているとよろしい。丸腰よりは抑止力になるでしょう」

「……うん?」

「知らない相手に声をかけられたらなるべく無視してください。もし喋らざるを得ないはめになっても、目は絶対見ないこと。変な魔法をかけられたら大変ですからね」

「……」

「さすがに往来で剣を振り回すのはよくないですし、狭い路地だと取り回しにくいでしょう。つむぎは喧嘩慣れしていないですから、スコラに殴り方を教えてもらうといいですよ」

「……あの、聞いてもいい?」

「なんなりと」

「その街……治安悪い?」

「何を言っているんですか、つむぎ」


 バスクは大仰に肩をすくめた。


「当たり前でしょう、都会なんですよ」


 つむぎは最寄りの、正確には最寄りだった都会がどれほど安全かをとつとつと説明したがバスクは信じてくれなかった。そうこうしているうちに浅い眠りが忍び寄ってきて、話もすっかり益体もないものにすり替わっていたので、つむぎはそれに身を任せた。


 ***


 なんだかいやに騒がしい。騒がしさにもいろいろあるが、これは不愉快な喧騒だ。少なくともつむぎにとっては。なぜなら彼女が不慣れな音ばかりが飛び交っているからだ。馬のいななき、早口の、怒声に片足を突っ込んだやりとり、そして得体のしれない不愉快な音も。

 つむぎはゆっくりと思い瞼を上げようしたが、結果的に固くつむる羽目になってしまった。


「……痛った!」

「寝てンじゃねーぞクソ女! もたもたしてっと、連中の飯にすっからな!」


 乙女の柔肌へ平手打ちを見舞ったスコラへ抗議の声を上げるより先に、彼の指さす「連中」の姿を見てしまったつむぎは、眠気とは違う意味合いでちょっとばかり気が遠くなった。

 連中こそがこの喧騒の原因であった。馬は連中に怯えて恐慌状態になり、隊商のみなさんも相談する理性はかろうじてあったようだがやっぱり恐慌1歩手前のご様子だ。

 遠くなった意識を無理やりに引き寄せて、つむぎは連中を観察した。

 連中は全身を砂色のうろこで覆われており、全体的に細身である。極端な前傾姿勢を取っているがそれでもなお「大きい」という印象を与える。まっすぐ立ったら、つむぎの倍くらい体高があるかもしれない。

 雰囲気としては、昔「きょうりゅうずかん」で見た、肉食恐竜に近い。

 そのうえ1匹でもなかった。4匹が鞭のような尾をしならせながら、包囲を縮めてきている。逃げ出そうとする商人がいれば、尻尾を地面に叩きこんで威嚇する。それは威嚇というのは十分すぎるくらいのもので、連中が尾を振りぬくたびに、下草どころか地面さえもえぐられて、石粒や砂が飛んだ。それが飛ぶのも広範囲にわたっており、隊商の面々の中には目を抑えてうめいている人もいる。偶然なのか、狙ってやられたのか。後者なら実に厄介だ。連中は頭もいいということになる。半ば寝ながら聞いた「よくわからない不愉快な音」は連中の鳴き声で、しきりに鳴きかわしているところは相談しているようにも見える。


「なに、あれ……」

「砂トカゲだよ。つむぎのところにはいなかった? こないだの装甲獣といい、この辺の憲兵さんはもっと危機感持ったほうがいいんじゃねーのぉ?」


 からから笑うレライエは、すでに例のピストルを嬉しげに構えていた。

 当てる気なのか。この、不安定な荷台から。そう思った矢先に、腕を強く引かれる。

 筆舌に尽くしがたく意地悪な、だが満面の笑みのスコラがつむぎの腕をがっちりと掴んでいた。


「おい」

「はい」

「剣、振れるだろ?」


 つむぎはとっさに答えられなかった。振れるといえば振れるし、振れないといえば振れない。なにしろ、「剣はかじったが、すぐ飽きた」というスコラ本人から申し訳程度に構えや振り方を突貫工事でごく軽く教わっただけである。物理的に「振る」ことは勇者由来の壊れた腕力によってもちろん可能だが、それを相手に向かって「振る」ことができるか否かは甚だ不安であった。


「振れ」


 スコラの指示は、単純明快。

 それだけではこの臆病な女の子が動けないというのも、彼はきっちりわかっていた。


「棒で殴るつもりで行け。当たりゃあ斬れる。斬り損なったらオレが殴る。オレも殴り損ねたらバスクかレライエが撃つ。腕がもげたぐらいならレライエがつなぐから気にすんな。死ななきゃ平気だ。

 ――だがな、オメーがここから動きたくねぇっつうならオレがオメーを死ぬまで殴る」

「……行きます」


 後衛2人はそっとささやきあった。


「最後ので台無しだな」

「途中まで、かっこよかったんですけどね」


 ***


 以前のつむぎなら躊躇した高さの荷台から、迷いなく、飛び降りる。剣を鞘から抜き出す動作は、練習しただけあって結構、さまになっていた。横にはスコラ。バックアップをしてくれる気はあるらしい。ぬめるような光沢の手甲に包まれた手を、ぱきぽき鳴らしている。実に楽しそうだ。

 突如現れた「敵意ある相手」に、砂トカゲの面々は一瞬面くらったらしかった。やはり、知能の高い生き物なのだろう。そんなつむぎの予測にたがわず、4匹のトカゲどもは、先行するつむぎとスコラに殺到した。つむぎは小柄で、スコラも丸腰だ。与しやすしと判断されても仕方がない。

 つむぎはそれにひるむことなく、がむしゃらに突っ込んで、それこそ鉄パイプでも振り回すように剣を振るった。ぎざぎざの牙が並んだトカゲの口にかぶりつかれる恐怖もないではなかったが、いまのつむぎはトカゲよりも、スコラの鉄拳制裁がよっぽど怖かった。

 

 ぱしん。

 熱いものでつむぎの頬が濡れた。


 それがトカゲの返り血だとは、少ししてから気づいた。

 トカゲは変温動物じゃなかったのか、とか、恐竜にも恒温動物説があったはず、とか、どうでもいい記憶がつむぎの頭を駆け巡る。ついでに、血の染みってどうしたら落ちるんだろうという現地逃避めいた考え事も、ひとつ。

 つむぎの眼前で、首を落とされたトカゲがくずおれる。もう戻れない恐怖と敵は倒したという安堵。その隙間を縫って、首なしトカゲの尾が俊敏に振るわれ、つむぎの腹に入った。


「か、は」


 漫画みたいな吐息が自分の口からこぼれることに、奇妙な感嘆を覚えるつむぎ。目の前がちかちかする。これも漫画みたいだ。彼女の眼の前では、さらに漫画じみた光景が展開される。首を喪ったまま踊るようにもがき続ける砂トカゲと、つむぎの間にスコラが滑り込み――一撃、二撃。三撃。胸と腹部と、尻尾の付け根。それを食らうと、さっきまでの図太さが嘘だったみたいにトカゲは倒れこんで、動かなくなった。


「連中、神経節? がいくつかあるみたいでよ。首落としたくらいじゃ静かにならねぇんだ」

「……ありがと」


 話しながらも2匹目の首をつかんで引き倒すスコラ。踏み込んで、そいつの腹に剣を突き立てるつむぎ。ほとんど無意識に、ねじって、抜く。肉の絡みつく手ごたえに怖気をふるっている余裕はもはやなかった。銃声と哄笑が遠くに聞こえる。殺さなければ殺される。その真理に突き動かされるまま、つむぎは次の狙いを定めた。


 ***


 スコラに引っ張られて荷台に戻ってきたつむぎは、心ここにあらずという表情で、ぼうっとしていた。服も肌も血でまだらに染まり、見るも無残な有様である。それはほとんどが返り血であったが、そうでないものもあった。2か所、砂トカゲのナイフのような爪を引っ掛けられており、そこは服が破けてつむぎ本人の血がじくじくと染み出している。浅くはない。彼女がまともな精神状態だったら、痛みに泣き出していてもおかしくないだろう。

 だが今のつむぎは泣くでも騒ぐでも、痛みを訴えるでもなく宙を見ていた。

 が、初陣ではこのくらいの「変なこと」など当たり前だ。というか、これしきで済んで儲けものである。手際よくレライエが治療にあたり、間もなく彼女の傷はふさがった。まだ薄桃色の線が走ってはいるが、触れても痛みがないくらいにまでは回復している。その跡も、間もなく消えるだろう。

 相変わらず魂の抜けたような表情のままレライエに礼を言うつむぎ。その目は焦点が合っていなかった。困った顔のレライエに、バスクが目くばせ、ひとつ。


「つむぎ、疲れたろ?」

「……ん」


 返事かどうかすらわからない息漏れ。

 だけれどそれを肯定と勝手にとって、レライエは話を進める。

 

「あんなの、そうそうあるもんじゃないからさ。とりあえず……ゆっくり、寝なよ。また大変なことになったら、オレらが起こすから。それまでは、寝てて」

「……う、ん」


 わかっているのかいないのか、つむぎはほとんど倒れるように荷台へ身を預けると、そのまま寝息を立て始めた。一部始終を見ていたバスクが、苦笑しながら布団をかけてやる。


「しっかし、ツイてねーなつむぎもよ」


 彼女の寝顔を覗き込みながら、レライエが珍しく真剣な顔をして顎に指をあてた。


「喧嘩もしたことねーのに勇者になって、持ったこともねー剣持たされて、いきなり”初見殺し”の砂トカゲだぜ? あれの首落として、しっぽで殺さるのがお約束じゃん。無茶苦茶すぎかよ」

「逃げなかったのは、ま、褒めてやってもいいけどな」

「スコラがよっぽど怖かったんでしょうね……」

「あァ!?」

「それはそれとして。砂トカゲの首を刎ねる腕力と狙いの正確さ。一撃もらってもすぐ戦線復帰する頑丈さ。仮に何らかの訓練を受けていたとしても、人間の、16歳の女の子ができる所業ではありません。本当に勇者かどうかはともかく……普通の人間でないことはこれで明らかになりましたね」

「うん? バスク、つむぎが勇者じゃないかもって思ってる? 勇者じゃないなら……なんなんだ?」

「それは各自考えること。さて、わたしたちも一休みしましょうか」

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