007 都
つむぎは最高に気分が悪かった。
目が覚めてからというもの、砂トカゲとの交戦、もっと具体的に言うと、浴びた血潮の熱さや首を斬り落とした時の手ごたえがひっきりなしによみがえってきて、がさつくわら布団にしがみついていることしかできなかった。荷台の揺れがさらに追い打ちをかける。あまりの気分の悪さに身動きひとつできないので、周りはつむぎがまだ眠っていると思っているらしかった。
何度か悪夢と、悪夢のような現実を行き来したころ、つむぎの頭をひんやりした手がゆすった。目的の街についたらしい。
大きな街だと聞いていたので、つむぎは立派な門の前に門番さんがいて、通行証など要求されるのかと思っていたがそんなことはなかった。誰もいないし素通しだ。大丈夫なのだろうか。こんなだから、悪党がぞろぞろ入ってきて治安が悪くなるのではあるまいか。
隊商とはなにやら大きな建物の前で分かれた。ここはいわゆる商人ギルドなのだろうか。気にはなったが、今はそれどころではない。街についたら真っ先にやりたいことがつむぎにはあった。
着替えたい。
なにせ返り血まみれなのだ。乾いてはいるものの服は肌に張り付いて気持ち悪いし、髪もばきばきになってしまった。加えて生臭いし、何より見た目がよろしくない。鏡を見てはいないが、想像しただけでわかる。いまのつむぎ、たぶんすっごく怖い。
(剣じゃなくて、鈍器のほうがよかったかな……)
ちらりとスコラを見る。
彼も幾分返り血は浴びているがつむぎに比べると控えめな量である。というか、半分以上はつむぎが斬ったときのとばっちりだ。
それにスコラはもともと「怖いお兄さん」なので、多少の返り血がついていてもあまり違和感はない。そういう発想に至る時点でだいぶ毒されているつむぎだが、彼女自身はまだまだ大丈夫なつもりである。
つむぎの気持ちを察したわけでもあるまいが、バスクが宿に行こうと提案してくれた。この街にいたころ、長期滞在していた宿があるのだという。異論を唱える者は誰もいかなった。外はもう真っ暗になっていたのだから。
***
「……ま、こんなこともあるよね」
ずり下がった眼鏡を直すことなくレライエが言った。その声音は、暗い。
「……何年も経ってますしね」
続けるバスクも同様である。
端的に言うと、宿はなかった。
大きな建物は中で複数に分割されているようで、看板がいくつもかかっている。小窓から中を伺うに、婦人向けの小間物屋や服屋がまとめて入っているらしかった。おそらく日中は若い女性でにぎわうのだろうが、当然のことながら今は人っ子1人おらず、真っ暗闇である。
「呑み明かすか」
「そうしましょうか」
「お、いいな」
「なんでそうなるの!?」
この街はかなり都会だ。少なくとも、最初にバスクたちと引き合わせられたところよりずっと。わずかな時間でもそれがわかるほどなのだから、宿屋がここ一件ということはありえないだろう。むしろ、ごまんとあってしかるべきだ。
それを口に出した結果帰ってきたのは、耳を疑うような言葉であった。
「見張りを立てて野営したほうが、まだ安全ですよ」
「なんで!?」
「知らない宿に泊まったら、食事に薬を入れられたり、荷物に手を付けられたりするかもしれないでしょう。つむぎは若い女性ですから売り飛ばされる危険性もあります。無論思い通りになってやるつもりはありませんが、常に警戒していたら身が持ちません。前にいたようなところなら、相応のお金を出せば安全なのですが、ここは金額によりませんからねぇ」
「なにそれ……ここ地獄……?」
「そうですよ。ただ、天国も兼ねています」
「でもさ、呑み明かすっていうのもどうなの? それこそ食事に薬入れられたりしないの?」
「絶対安全なお店を知っています」
「そのお店、あるの? ここみたいになくなってたりしない?」
「あのお店がなくなるのは、世界が滅びた時だけですから」
なぜか自慢げに、バスクは分厚い胸を張った。
***
この街は――少なくともこの街の一角は、いわゆる「歓楽街」であるようだた。酒が飲める店、お姉ちゃんと酒が飲める店、お姉ちゃんともっといかがわしいことができる店。その辺の知識に疎いつむぎであっても、何とはなしにわかるくらいには露骨であった。そういう区画をうろうろさせられるのは単純にいやだったし、周りにまともじゃない男たちがいるというのに、明らかにつむぎを見て口笛を吹いたり、にやにやしたりする男もいて、それが恥ずかしくて不愉快である。しかし、顔に出さない程度にはそういうことには慣れてしまった。スコラのおかげで。
もちろん、感謝する気は毛頭ないが。
そうこうしているうちに、1軒の小ぢんまりした酒場にたどり着いた。ほかの店が明かりをつけて看板や品書きを照らしているのに対し、そこだけは扉の前が真っ暗で、空き店舗のようにも見える。窓がないので中もうかがえない。よくよく見ると、表札程度の板がドアノブにぶら下がっている。何か書いてあるが、暗くて読みずらい。店名だろうか。
「……ここ、営業してるの?」
怪訝な顔のつむぎとは反対に、スコラはうれしそうだ。
「話の通りだな……ここが例の店だろ?」
スコラが喜んでいるということは、あまりよろしくないお店なんじゃないかと一抹の不安を感じるつむぎだが、ほかに当てがないのだからついていくほかない。
バスクが扉を開けると、軽快なベルの音が鳴った。
「いらっさい」
どこかけだるげな声の主は、カウンターの奥でグラスを磨いていた。いかにも「バーテンダーでござい」という格好をした、壮年の男である。
彼は2,3度瞬きをすると、嬉しそうに身を乗り出した。
「バスク! 生きてたか!」
「あなたもお元気そうで何よりです、ハティ」
「いいから座れよ。お連れさんも……お? おまえ、レライエか? 随分男を上げたな。誰だか分らなかったよ」
「えへへ」
「そっちの兄さんと嬢ちゃんは新顔だな。……ひと仕事してきたのか? 勇ましい恰好だな」
血まみれの2人を見て笑顔で茶化すあたり、この店主も豪の者である。それくらいでないと、この街ではやっていけないのかもしれない。
「その勇ましい新顔に、たらいと水を用意してもらえますか? 野郎はともかく、女の子がいつまでも血まみれではかわいそうですから」
「それもそうだ。なんなら服も貸そう。大きさが合わないのは我慢してくれ」
「ありがとうございます!」
「オレはこのままでも構わねぇが……ま、そういうことなら」
「失礼でしょ」
「……痛って」
つむぎの肘鉄が、スコラの脇腹に決まった。
***
結局たらいと服まで借りたのはつむぎだけで、スコラはおしぼりで何とかすることにした。顔さえ拭ければ服はいいや、という考えらしい。
つむぎが席を外している間に、バスクは包み隠さず今までの経緯をハティに語った。ハティはときおり合の手を入れる程度にとどめ、最後までおとなしく聞いた。
「……なるほど。合点がいった。あんな華奢な嬢ちゃんが前衛装備って時点で疑問だったんだよ」
「信じますか?」
「全部はまだ信じない。嬢ちゃん本人とも話していないしな。しかし、勇者か……奇遇だな」
ハティは磨いていたグラスを棚に仕舞うと、バスクたちに向かい合う格好になり、腰に手を当てて、軽く首を回した。
スコラはともかく、かつて長い付き合いだったバスクとレライエにはわかる。これは「さぁ困ったぞ」というときに、ハティが必ずやる仕草なのだ。
「勇者の件で、何かあったのですか」
「ああ。最近この辺、勇者がらみで『治安が悪い』んだ」
「……もとから悪くねぇ?」
「前は、自分で自分の身を守ることさえできれば、結構やりたい放題だったろ? この『自衛』という部分について問題が発生していてな」
「詳しく教えてもらいましょうか」
「勿論そのつもりさ」
ハティ曰く、最近「自警団」を名乗る連中が、「街の浄化」を掲げ、後ろ暗い仕事をしているものを片っ端から暴行しているのだという。この街で後ろ暗い仕事をしていないものなど、いないとは言わないが少ない。そのうえ「自警団」には元、現役問わず冒険者も多数いる。腕っぷしが強いのどうのといったレベルでは抵抗もままならないとのことだ。なので住人たちは自警団に怯え、戦々恐々として暮らしているらしい。彼らのお慈悲で命まで取られることはないと聞くが、恐ろしいものは恐ろしい。
「おかげでうちの店も閑古鳥だ。常連さんには特に、バスクみたいなワルが多かったからな」
「最後のは余計です。しかし、それなら自警団をつぶしてしまえばいいのではないですか? この街は、腕に覚えのある連中であふれかえっているはずでしょう。いつから、腰抜けの街になりましたか?」
「勿論、やられっぱなしじゃないさ。おれはかかわっていないからまた聞きだが、自警団の若いの何人か捕まえて、拷問にかけたらしい。そしたら、『これは勇者様の望んだことなのだ!』とか、言ったそうでな。でまかせであってほしいが、周期的にそろそろ勇者が来てもおかしくないだろ? 間接的とはいえ勇者と敵対はしたくないし、どうしたもんかな……と」
「その自警団は、勇者が指揮を執っているわけではないのですね?」
「たぶん、な。詳しいことはわからん」
「では、本物の勇者をぶつけてみたらどうです? どんな反応をしてくれるか、楽しみですねぇ」
「だから、あの嬢ちゃんのことを勇者と認めたわけじゃあ……」
「難しい話は、いま、したくありません。ハティ、いつものください」
「オレもー!」
「オレにもなんか適当なのくれ。きつい奴で頼むぜ」
「……はいはい」
つむぎが身支度を整えて戻ってきたころには、多かれ少なかれ総員酒が回っていて、彼女は肩を落とした。この短時間で、よくもまぁ。
唯一素面(に見える)のハティが、困ったねぇと言いたげな苦笑を向けてくれるのが救いだ。いったいどんな化け物なのかは知らないが、少なくとも同情的な目線を投げかけてくれるのだから、この場においてはつむぎ基準でハティは「いい人」だ。
さらに彼は「とてもいい人」に昇格することとなる。
ほかの連中は酔っぱらっているから、と言って、信用できる宿屋と飲食店のメモをつむぎにくれたのだ。きっと彼女が身支度をしている間に書いたのだろう。店名の下に「ちょっと高いけど寝具がいいからぐっすり寝たいときにおすすめ。ただし飯はあまりうまくないので外食推奨」「肉の香草焼きが絶品。肉の種類が選べてその肉に合う香草をつけてくれる。野菜も新鮮でいける」といったお役立ち情報がみっちり記載されている。それ以外にも1行ほど下げて、何件か店名と思しい名前が大まかな場所と、やはり簡単な説明ともに記載されている。
その段のお店はかわいらしくておしゃれな名前のものが圧倒的に多く、ひとことメモの内容も相まって何のお店なのかは火を見るよりも明らかだ。
つむぎは無意識に目をきらきらさせて、ハティを見た。それに対し、ハティは困ったように言い訳を重ねた。
「女の子だからってひとくくりにしてるわけじゃないんだよ。でも、男でも、甘いもので一服するのが好きってやつ意外と多いんだ。だから、もし、嫌いじゃなければ、行ってみて」
「嫌いじゃないです……大好きです! ありがとうございます!」
これ以上ない勢いでつむぎは頭を下げて、ハティは「やめてくれよ」と屈託なく笑った。
「そうだ。ひとつ、お願いを聞いてもらってもいい?」
「できる範囲なら、ぜひ」
どんな困難を突き付けられるのだろう。
悪い予感にほんのり震えるつむぎをよそに、ハティはウインクひとつして、その「お願い」を彼女に告げた。
「できれば明日の晩もみんなで来てくれないか」
「どうしてですか?」
「バスクとレライエが帰ってきた、って言ったら、このご時世でもうち、満席になるからさ」
「……そんなに有名人なの?」
「ぽっと出の若造はともかく、当時の知り合いは出てくるんじゃないかと思う」
「……わかりました。お菓子屋さんのお礼です。しっかりやりますよ!」
本人に自覚はないのだが、他人からすればまぶしいくらいの笑顔で、つむぎは快諾した。
勇者ちゃんと3人の無頼漢 猫田芳仁 @CatYoshihito
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