002 さじは投げられた

 渡紬わたりつむぎはいたって普通の女子高生である。

 成績は科目にもよるが平均すれば中間くらい。部活は帰宅部。とりたてちやほやされるほど顔もその他不付随要素もよくはないが、底辺に甘んじるほど地位が低いわけでもない。

 そんな、十把一絡げの女子高生だった。

 はずなのだ。


 あれは平日のど真ん中、水曜日。

 学校マジだるいと思いながらベッドに潜り込んだあの夜。幸いにして寝つきのいいたちであるつむぎは可及的速やかに意識を飛ばした。覚醒後の、覚めない悪夢などその時点では予想もしなかった。というか、予想できたほうがアタマ、おかしい。


「勇者さま!」

「勇者さま、万歳!」


 目が覚めたら―‐まだ夢の中かもしれないが、果てどない祝福を一身に浴びながら、パジャマ姿のつむぎは突っ立っていた。毛足の長いじゅうたんが裸足に気持ちいい。

 じゃなくて。


(ここまで露骨に影響受けた夢もすごいな……)


 つむぎはライトノベルのヘビーユーザーである。古本屋を回って過去の名作をお得に楽しむのも好きだし、もちろんお小遣いをやりくりして、どの新刊を買おうか頭を悩ませつつ本屋さんの棚を冒険するのも大好きだ。

 したがって、彼女の書架にはいわゆる異世界ものが増えつつあった。

 好きなのだから夢に見るのはおかしくないのかもしれない。だが、困った点が1つあった。

 たいてい夢を見ているときというのは、その夢がどんなにおかしな内容であっても、本人は真剣だったりする。おかしさに、気づかないのだ。そして目を覚ましてから「変な夢だったなぁ」で、おわる。

 今回もその流れで行けばつむぎは喜んでいてもおかしくないのだが、幸か不幸か今夜のつむぎはいつもの、起きているときのつむぎだった。なのでどうでもいいようなことがいろいろ、気になる。


(パジャマだし、髪ばさばさだし、裸足だし……もうちょっとましな格好がよかったな。もしくは、移動したらいつの間にか勇者っぽい装備になってるとかさ……てか、パジャマの寝起き女子を何の疑いもなく勇者ってあがめる人たちどうなの? 大丈夫なの? そういう予言とかあったの?)


 つむぎがぐるぐる考えている間に、大観衆の中からひときわきらびやかな格好をしたおじいさんが現れた。この場の重職なんだろうな、とつむぎはラノベ知識で判断する。


「勇者様、ようこそいらっしゃいました。急なことでしたから、まずはお休みください。部屋を取っております。詳しいことはまた後日、お話ししましょう」

「はあ……」


 彼に導かれるままに、歓声の飛び交う広間をつむぎは後にした。


 ***


 通された部屋は絢爛として豪華だった。なのでいい部屋には違いないのだろうが、どの程度いい部屋なのかはよくわからい。そんなことはわからなくてもいい。この部屋にはベッドがある。女の子の夢、天蓋つきひらひらレースのベッド。つむぎは「きゃあかわいい」もなく、そのベッドにばふっと倒れこんだ。

 なにしろつむぎは寝起きである。ひょっとしたら、夜中に無理やり起こされたのかもしれない。

 前者なら2度寝したいし、後者なら可及的速やかに再度の就寝を希望する。

 とにかく、眠かったのである。


(いや、寝てるんだけどね)


 夢だし。

 夢だって、眠いものは眠い。


(夢でも寝たら明日はしゃっきり爽快、みたいな展開にならないかな……2倍寝たってことで)


 益体もないことを考えながら、2回目の就寝を迎えようとしていたつむぎ。彼女の耳を、鳥の羽音が打った。


「……!!」


 思わず飛び起きるつむぎ。あれは小鳥の羽音ではなかった。目の前でカラスが飛び上がったときよりなお大きい。ここは勇者がいるくらいだから、魔物の類がいてもおかしくない。そう、こんなに大きな羽音を出すような魔物も――。


「勇者さん、はじめまして」


 そこにいたのは若い男だった。

 つむぎより年上に見えるが、それでも20歳前後だろう。

 夜目にもまぶしい真っ白な、ずるっとした白いローブを着ている。

 彼はどう見ても人間ではなかった。だが、魔物の類と断ずるのも気が引ける。


 彼の背中には、真っ白な翼があったからだ。


 どう見たって、天使に見える。

 だがその天使が黒幕だったり、敵対する存在だったり、そこまではいかずともヤな奴である作品は枚挙に暇がない。つむぎはできる限り眠気を追い払って、ベッドに正座した。


「はじめまして。勇者……みたいです」

「勇者の、渡紬さんでお間違えないですか」

「はい」

「そうですか」


 その天使はやにわにローブの下からばさばさと書類を取り出した。それも全部、手書きではなくて、活字を印刷した書類である。中には画像込みのものもあるようだ。続いて出て来たのはボールペン。これ、ファンタジーではなかったのだろうか。それとも天使だけは特別枠なのか。


「これから大事な話をしますから、寝ないでくださいね」

「……はい」


 失礼な天使である。ついでに言っちゃなんだが、やる気もなさそう。

 そういった感想は、彼の一言で吹っ飛んだ。


「これ、夢じゃなくてマジモンの異世界転移なので覚悟してくださいね」

「は!?」

「もう1回寝たらおうちのベッドで目が覚めるというシナリオは未実装ですから」

「え!?」

「あと、この国の王はあなたを殺す予定らしいですよ」

「待って!!!」

「待つのはつむぎさんです。私の姿は勇者以外には見えないので、大声出しているところにだれか来たらつむぎさんは頭のおかしい人になってしまいますよ」

「うぅ……騒がないので、順次説明をお願いします……」


 まだ、これが「ほんもの」だと信じたわけではない。わけではないが、「ほんもの」の可能性も考慮して行動すべきだと、つむぎは考えた。

 この展開で、夢ならば。何も気にしないでいられる夢ならば。手放しで喜べたのだろうが、つむぎはやっぱりいつものつむぎで、あきれるほどに小市民なのだった。


「じゃあ、チュートリアルでも始めましょうか。これはいわゆる異世界転移です。あなたは運悪く、じゃなかった、大変名誉なことにこの世界を救う勇者に選ばれました。これで説明、その1、おしまい」


 つむぎには不安しかない。

 こんなにもファンタジーファンタジーした存在から「チュートリアル」なんて言葉が出てくる時点で途方もなく不安だ。確かにつむぎはその手のゲームをしなくもない。だが、あまりにも、あんまりだ。しかもわざとか口が滑ったのかは置いといて「運悪く」といいおった。言いたいことはたくさんあったが、へそを曲げられて大事なことが聞けなくってはことだ。つむぎはできるだけ表情を変えず、無難に頷くにとどめた。


「次に、説明その2」


 天使は指を2本立てた。この辺の文化は共通らしい。つむぎは、不本意ながらかすかな安堵を覚えずにはいられなかった。


「世界を救う勇者なのであなたは強いです。具体的に言うといきなり高レベルで、その後も常時経験値500%くらいです。今すぐは無理ですがそんなにしないで単騎でドラゴン倒せます。ただし魔法は使えません。完全な前衛ステータスです。説明その2、おしまい」

「そんなネトゲみたいな説明されても……」

「説明その3聞きたくないですか?」

「聞きたいです」


 正座を続けるつむぎに対し、天使は断りもせずあぐらをかいた。ローブで足の様子は見えないが、今の動き、絶対そうだ。あくびもした。こいつ、やる気あるのか。ないに違いない。


「ご希望にお応えして説明その3です。ここはだいたい100年周期くらいで魔王が現れるので、それに合わせて勇者が召喚される感じなんですが、今回は魔王まだいないんですよ。レアケースですね」

「はぁ」

「それで、勇者の戦闘能力を危険視している王族が勇者排斥を企んでます。いつもは魔王にぶつけるから問題ないんですけど、へたなことして勇者に本気で逆らわれたら国家滅亡ですから」

「それがさっきの、殺されるっていう……」

「そうです」


 天使は面倒くさそうにもう1回あくびをした。人の命がかかっているというのに、暢気なものである。対するつむぎは自分の命だ。いままで生死の危険にさらされたことなどない女子高生の顔色は、着々と悪くなっていくが、当然というか、天使はそれを慮らない。


「人間が勇者を排除しようとすると災いが降りかかるって伝承があるもんで、王族は矢面に立ちたくないんですよ。だから、そういう伝承を知らなくて、なおかつ悪党揃いのパーティにあなたを預けて結果的に死ぬか、それに近い状態にしようって腹です。そういう采配した時点で条件に当てはまるってことに気づかないあたり相当アホですよね。伝承は伝承なんで根拠ないんですけど」

「つまり、わたしは犯罪者集団に預けられちゃうんですか……?」

「そうなりますね。ただ、予定されているパーティは全員札付きですが全員化け物なので、うまく取り入ることができれば国家転覆も夢じゃないです」

「そういう夢ないんで、家に帰りたいです」

「ここ500年くらいは魔王を倒す以外で勇者が帰れた実績ないので、今事務方の天使が調べてるみたいです。なんにしろしばらくは彼らと一緒にいることになるでしょうね」

「……あなたは助けてくれないんですか?」

「守護天使は見守りますけど守りませんので。念じたら話し相手くらいにはなってあげますけど、さっきも言った通りほかの人には見えない聞こえないんであなたが危ない人になります。……あっ、退勤時間なんでそろそろ帰りますね」

「えっ、いや、ちょっ……!」


 やにわに立ち上がって背伸びをし、ついでに羽も伸ばす天使につむぎは慌てて手を伸ばした。もうちょっとなんとかしてほしい。だが、なんと言えばいいのかわからない。そうだ、ここは、とりあえず――。


「お名前聞いてもいいですか!?」

「おや、申し遅れました。わたし、諦念の守護天使サジナゲルと申します。では失礼」

「待っ……!」


 つむぎの叫びむなしく、不吉な名前の天使は窓から飛び立ってしまった。手を伸ばした格好で固まった彼女は、そのまま途方に暮れた。

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