メリーゴーラウンドと煙の夜

いいの すけこ

すべてはわたしのものだから

 無数に吊るされたランタンは、まるで星明りのようだった。

 旅の途中で立ち寄った小さな町では、月に一度の大きな夜市が開かれている真っ最中。

 鼻をくすぐる香辛料を、壺に山と盛った店。目にも鮮やかな、色とりどりの香り高い果物を並べる店。毛皮がついたままの鹿の足をぶら下げた燻製屋。

 心許なくなった旅の食料を補充しようかと、食材の店を覗く。けれどそれよりも、食材の露店通りを突っ切った先から聞こえる賑わいに、旅人は心を惹かれた。

 子どもの賑やかな声が聞こえてくるのは、遊戯の店や出し物を仕掛けている小屋の集まった広場からだ。

 射的に輪投げ。人形劇に手品、珍しい動物の小屋。

 旅人はもういい大人だったけれど、気の向くままふらりと放浪するような、大人になりきれない人間でもあったから。子どもたちと一緒に良い子に列に並んで、射的の順番を待つ。

「兄さんよ、本物の銃担いでやることでもないだろうよ」

 金を手渡す時に、射的小屋の親父に盛大に渋られたが、旅人はお構いなしにコルク銃を構えた。

「これは旅の護身用。良いじゃないの。みんな楽しそうだからさ、遊びたくなったんだよ」

「一発でも当てたら、それでもう勘弁してくれよ」

 言われた傍から、銃から放たれたコルクの弾が景品に命中する。

「はいはいおめでとう。はい終わり、これ景品ね」

 早口に言われて、撃ち落とした景品を押し付けられる。

「ま、いっか。ちょうど夜食になりそうなもんが欲しかったんだよな」

 景品は魚の油漬けが詰まった缶詰だった。子どもはこんなの喜ばないだろうに、と思いながら、ずしりと重いそれを手の中で弾ませる。


「お」

 缶詰を腰の革鞄に突っ込んで顔を上げると、そこには一際、楽し気な光景が広がっていた。

「移動遊園地じゃないか」

 だだっ広い草っ腹は、移動遊具と子どもたちでいっぱいになっていた。

 観覧車に巨大ブランコ、メリーゴーラウンド。

「すっごいなあ。動かすのも大変だろうに」

 乗り物はすべて、人の力で動かしていた。

 ゴンドラのぶら下がった巨大な輪っかを係員が直接掴み、数人がかりで回転させる観覧車。

 長いロープの先に括り付けた大きな籠に、たくさんの子どもを積み込んでいるのは巨大ブランコ。係員が揺らして弾みをつける度、子どもたちは歓声をあげる。

 ひときわ人が集まるのは、メリーゴーラウンドだ。回転軸のてっぺんから放射状に棒が伸びていて、そこに鎖で木馬がぶら下がっているつくりになっている。木馬の頭上に伸びる棒を係員が掴んで押して、押して、ぐるぐると回すのだ。

「これはさすがに乗れないなあ」

 大人の体重で乗ったら、乗り物は壊れてしまうだろう。子どもの重さでも、何人も乗客が鈴なりになったそれらは、危なっかしく揺れるというのに。

 乗り物は眺めるだけにとどめていたら、その視界を何かが横切った。

 

 ふわふわと虹色に輝く、透明の玉。

 ――シャボン玉。

 玉が漂ってくる方向に目をやれば、小さな少女が一人、シャボン玉を吹いていた。

 露店で売っているものなのだろうかと考えども、少女以外にシャボン玉で遊んでいる子どもはいなかった。少女が持参したものかもしれない。

 シャボン玉越しに眺めるのが楽しいのか、少女はたくさんのシャボン玉をメリーゴーラウンドに向かって吹き付けた。確かに、ランタンの光を受けて輝くシャボン玉が周りに浮かぶメリーゴーラウンドは楽しげで、幻想的でもあった。

「お嬢ちゃん、良いもの持ってるね」

 思わず話しかければ、少女は一瞬きょとんとしたが、すぐに破顔した。

「私、メリーゴーラウンド大好き」

「うん。メリーゴーラウンドも良いものだけど。シャボン玉」

 旅人は少女が手にしたシャボン玉の容器と吹き具を指さした。と、違和感を覚えて吹き具をまじまじ見つめる。

「煙管?」

 少女が使っていたのはストローではなく、銀色の煙管だった。まだ遊具に乗れるくらい幼い少女が持つには、不相応なものだ。

「父さんのお古なの」

「それは使っていいもんかなあ」

「煙は入ってないから大丈夫」

 それはまあ、喫煙のために使っているわけではないから、葉も抜いてあるだろうし火もつけないだろうけれど。

「父さん、私に煙は使わせてくれないもの」

「そりゃそうだろう」

 それでも煙管を子どものおもちゃにするのは、いかがなものだろう。

 少女は何のためらいもなく煙管を口に運び、再びシャボン玉を吹いた。


「いい加減にしろ!」

 と、突然メリーゴーラウンドを動かしていた男が大声を上げた。遊具から離れてずんずんとこちらに歩み寄ってくる。

「さっきから、そのシャボン玉が顔にぶつかってうっとおしいんだよ!」

 いきり立った男は少女に掴みかかる勢いでまくし立てた。少女の手の中のシャボン玉を取り上げようと手を伸ばす。

「あー、ごめんなさいねえ。仕事の邪魔して」

 咄嗟に間に入って、旅人は思い切り陽気な声で言った。

「この子はもっと人のいないところで遊ばせるからさ。それで勘弁してよ。せっかく楽しい夜なんだから」

 男はまわりの子どもたちやその親が、こちらを遠巻きに眺めているのに気付いたようだ。小さく舌打ちをして、メリーゴーラウンドの方へ戻っていく。

「ありがとう、お兄さん」

 安心した顔でお礼を言う少女の頭を、旅人は軽く叩いた。

「お嬢ちゃんがいけないんだぞ。シャボン玉はもっと広いところでやりなさい」

 確かに自分も綺麗だとは思ったが。大人気ないとはいえ、係員の苛立ちもわからないでもない。

「だって、メリーゴーラウンドが」

「乗りたいんだったら素直に乗ればいいだろう。シャボン玉はやめて」

 そこまで言って、もし乗り物代を用意することのできない子だったらどうしよう、と心配になった。しかし少女は、特に暗くなることもなく言う。

「父さんにおねだりするからいいもん」

 ふくれっ面の少女は反省の念が薄いようだった。そういえば謝らせなかった、と思うが、親でもない人間がそこまで心を砕くことでもないだろう。

「お嬢ちゃん、父さんと一緒に来たのか」

「あっちで仕事してる」

「そっか。じゃあ連れてってやるよ。放っておくと、なんかしでかしそうだ」

 その言葉に、少女はますます頬を膨らませたが。旅人を連れて、大人しく露店の方へと向かっていった。


 露店も途切れた、ちょうど人気の絶えたところで少女の父親は見つかった。

「なんだ、知らん人間連れて」

 首から下げた木箱に詰まった紙煙草の箱。マッチ箱に、喫煙具。

 少女の父親に対面して、ああなるほど、と妙に納得してしまった。

 煙草の行商人だったというわけか。

 もう店じまいのつもりなのか、それとも接客しながら喫煙しても構わないような緩い土地柄ゆえなのか、本人も煙管を咥えながらの登場だった。

「さっきメリーゴーラウンドのところで逢った旅人さんだよ。良い人なの」

「兄さん、うちのがなんか迷惑かけたか?」

 丸い黒眼鏡の向こうから、問うような視線。日中、日差しがきついこの町では黒眼鏡は珍しくないが、夜までかけているとずいぶん怪しげに見えてしまう。ただ掛けっぱなしなだけだろうけれど。

「メリーゴーラウンドのおじさんにシャボン玉かけちゃって怒られたの。そしたらお兄さんがかばってくれた」

 旅人が説明するまでもなく、少女が自ら告げた。父親は深く息を吐く。

「お前はまた……。人の多いところでシャボン玉吹くなって言ってるだろう」

「お兄さんにも言われたよ」

「すまないね、兄さん」

「たいしたこっちゃないよ」

 言いながら、旅人は父親の首から下がる木箱を眺めた。

「買うかい?」

「あー、俺吸わないんだよなあ」

 せっかく縁があったなら買ってやりたい気もするが、余計なことに金を使うほど余裕があるわけでもない。とりどりの銘柄の煙草を眺めるのも、なかなか楽しいけれど。

「ねえ父さん。私、メリーゴーラウンドが欲しいの」

 少女が間に割って入って言った。木箱を掴んで父親の顔を覗き込む。

「重い。なんでもねだるな」

「だって父さん。私に煙を使わせてくれないじゃない」

「お前に使わせたら、何するかわからんわ」

 何を話しているのか、いまいち旅人には飲み込めないやりとりだった。煙草も買わないし、少女も送り届けたことだし、もう切り上げるかと旅人は声をかける。

「じゃあ、俺はもう行くから」

「あ、待って」

 少女は木箱を掴んだまま振り返った。父親が首を引っ張られて、体勢を崩す。

「父さん。私、お兄さんも欲しい!」

「は」

 旅人と父親、二人の声が重なる。

「父さんが煙やってくれないなら、私、父さんから葉っぱでも煙管でもくすねてやっちゃうもん!」

「お前というわがまま娘は!」

 父親は娘のシャボン玉を取り上げた。そのまま没収するかと思いきや。

 そのシャボン玉用の煙管を咥えたかと思うと、娘が作るよりも大きなシャボン玉を吹きだした。


「白い」

 父親の作ったシャボン玉は、真っ白い色をしていた。

 薄い透明な膜の中で、白い靄がゆらゆらと揺れている。

「煙が入ってるのか」

 父親が直前まで吸っていた煙管の煙が入っているようだった。物珍しい煙入りのシャボン玉を目で追っていると、そのうちの一つが旅人の目の前でパチンと弾ける。

 瞬間。

 視界が覆われるほどの真っ白い煙に包まれた。思わず目をつぶって、手で周囲を扇ぎながら再び目を開けると。

「なんだこれ」

 何が起きたのか、まったくわからなかった。

 煙をかき分けて手を伸ばす。指先が、冷たくて湿った何かに触れた。

「シャボン玉……?」

 旅人の目の前に、壁となって立ちふさがっているもの。

 それはシャボン玉の膜だった。

 目の前だけじゃない。背後も、足元も、頭上も、すべてぎらぎらと輝く透明の膜で覆われている。 

 まんまる大きなシャボン玉の中に、閉じ込められていた。

「やったあ!お兄さん、つーかまーえたあ!」

 少女が飛び上がって喜ぶ。

「あ、メリーゴーラウンドも来た!」

 少女の手元にふわふわと、スイカくらいの大きさのシャボン玉が漂ってきた。

 その中には、広場にあった人力のメリーゴーラウンド。

「父さんの煙は何でも捕まえるし、シャボン玉は何でも閉じ込められるの」

 少女は無邪気に笑った。

「いやいやいや。冗談だろ」

 けれどシャボン玉は、どんなに手を押し付けようが、叩こうが蹴ろうが、びくともしなかった。ゴム風船よりも、ガラスよりも強固なそれは、完全に旅人を閉じ込める透明な牢獄だった。

「私が欲しいってねだって手に入らないものは、ないんだから」

 旅人は背中に背負った銃を下ろして構えた。けれど少女はにっこり笑い。

「それで撃ってもシャボン玉は割れないし。もし弾が私に届いたとしても、ちょっと大きな雨粒に叩かれるくらいよ」

 旅人のシャボン玉が少女の手の中に納まる。メリーゴーラウンドでさえスイカ大になるのだ。大きさも自由自在。

「満足したか、わがまま娘」

 呆れた声で父親が問う。

「うん!」

 満面の笑顔で少女が言いきると。

「じゃ、おしまい」

 父親が煙管で、旅人とメリーゴーラウンドの入ったシャボン玉を叩いた。

 途端にシャボン玉が弾けて。

 後のことは、もう旅人には何もわからない。


 ☆☆☆


 旅人とメリーゴーラウンドを閉じ込めたシャボン玉が弾けると、囚われた二つの物体は一瞬にしてかき消えてしまった。

「ああーっ!」

 お気に入りが消え失せて、少女は大声を上げる。

「満足したんだろ」

「欲しいものを捕まえたから満足したのに。逃がしちゃったら、意味ないじゃない!」

 少女は地団駄を踏んだ。

「最初っから逃がすつもりだったのね! 父さんの煙シャボン玉は、閉じ込めたものを『本来あるべき場所』へ送る力もあるからっ。ずっと捕まえておくこともできるのに、どうしてそうしないの!」

 きいきいと喚き散らかす娘を、父親は黒眼鏡の奥からじろりと睨みつけて。

「そうそう、ずっと捕まえておくこともできるな」

 そう言うと、娘に向かって煙のシャボン玉を吹きつけた。

「反省してろ」

 弾けたそれは、一瞬巨大な透明膜になって少女を包むと、すぐにりんご程度の大きさになった。

「なにが『私がねだって手に入らないものはない』だ。俺がお前にそんな甘い顔したことがあったかね。調子に乗りやがって」

 気落ちする少女の気持ちに沿うように、シャボン玉はゆらゆらと父親の足元の高さまで落ちていく。

「あと、お前勝手に煙管持ち出すな。実際吸わないから良いってもんじゃないぞ。ストローを持ってけ、ストローを」

「意地悪ー!」

 シャボン玉の中から訴える娘を見下ろすと、近くに何かが落っこちているのが見えた。

「魚の缶詰?」

 あの旅人の持ち物だったかな、と思いながらも懐に収めて。

「ま、いっか。ちょうど酒の肴になりそうなもんが欲しかったんだよな」

 缶詰を手の中で弾ませながら、煙草屋の男はにやりと笑った。



 

 

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