誕生日の特別なこと
肥前ロンズ
そうやって、月日はめぐって
「ごめんなぁ、こんな小さな遊園地で」
メリーゴーラウンドに乗ったあと、僕は娘に謝った。
娘はきょとんとした顔で、ストローから口を離す。麦茶の泡を吹かせるのが好きな娘。「ビール!」とよく言っていた。
「もっと大きな遊園地に行かせてあげたいのになあ」
「ゆうえんちはゆうえんちだよ? それに、わたし、ここ好きだもん! メリーゴーラウンドにのれるし!」
「そうか、メリーゴーラウンド好きか」
逆に言うと、メリーゴーランドとコーヒーカップしかない遊園地なんだけどね。
娘はとても慎ましかった。
恐らく、娘は本心から言っているんだろうけど、それは期待してがっかりしないよう、あえて欲しいものから遠ざかっている。欲を知らないようにしている。
新しいものを与えられない自分が、歯がゆい。
「プレゼント買ってくれた?」
「ああ。…………本当に、桃の缶詰でいいのかい?」
ねだられた誕生日プレゼントが、まさかの桃の缶詰。
何度も確認するが、娘は「ほしいほしい!」とねだった。
「なんでまた桃の缶詰……」
「あのね、本でね、フルーツポンチのつくり方があったの! それをつくりたいの!」
それだったら火を使わないし、ほうちょうも使わないでしょ、と娘は言う。
娘は何かをしてあげることより、自分で何かをすることのほうが好きだ。
一緒に料理か。
「よし、じゃあいっしょにフルーツポンチつくろう」
「えー」
「えーってなんだ」
「そうやっていっつもお父さん、ほとんどつくっちゃうじゃん。一人で。わたしがつくりたいのに」
それに関しては、前科が二つあるのでなんとも言えない。
ホットケーキも結局僕が焼いちゃったし、氷でかんたんに作れるシャーベットも僕がつくってしまった。
おかけで自由研究は僕の作品になってしまったと拗ねられた。
「はやくおとなになって、ひとりでおりょうりしたいなー」
「えー、まだはやいよ」
「だってそうしたら、お父さん楽でしょう?」
そういう娘の言葉に、ちょっとじんときた。
子供の成長は早い。
きっと、こんな遊園地しょぼすぎて嫌だという日も来るだろう。
その時僕は、娘の新たな願いを叶えてあげられるだろうか。
例えば、中学生や高校生になった娘。
今までかんたんに叶えられる願いだったから、思春期の娘からどんな無茶振りがされるのか、ちょっと緊張する。でも、やってあげたい。
大人になって、手元を離れる前に、沢山の願いを叶えてあげたい。
◆
ふと、コンビニで缶詰の棚を見て、昔の誕生日のことを思い出す。
カンカン照りの外に出ると、目の前のデパートの掲示板に、遊園地の閉鎖のお知らせが張り出されていた。
あれから10年。
私が最後にメリーゴーラウンドに乗ったのは、10歳の頃。
父が死んだのを最後に、私はメリーゴーラウンドに乗っていなかった。
フルーツポンチも作らなくなった。
誕生日に特別なことはしなくなった。
夏休みだから、友達が祝いに来ることもない。たまに忘れ去られているし。
そうすると、誰かが祝わなければ、ふつうの日だと気づいた。
今日で私は、二十歳となる。
流石に今年ぐらいはと、ちょっと豪華な店で食事をする。
けれど、それは祝う人間の都合がつかないので別の日だ。
何だか形式ばって、あの頃のようなワクワクした気持ちはあまりない。
今日祝わない誕生日って、何だかなあ。あえて言葉にしないし、考えないけど。相手にも都合があることぐらい、流石にわかる年だ。
今ならお父さんが、誕生日にお祝いしてくれたことが、どれだけすごかったのかわかる。
お父さんは大したことができない、と常に申し訳なさそうな顔をしていたけど、お金じゃない。豪華なパーティーより、ずっとはるかに貴重だった。
その思い出の遊園地が、閉鎖する。
閉鎖は来月だという。
私は、デパートに足を運んだ。
楽しげな音楽だけが鳴り響く屋上。
良い大人が乗るってどうなんだと思いつつも、平日の昼で誰もいなかったことが私の背中を押した。
あれ、と私は首を傾げる。昔はもっと大きく見えた馬が、今となっては小さく見える。
白い塗料が剥がれ、赤錆びた馬の首。
黒く穏やかな目が、私を見つめる。
お父さんのように見えて、この子に乗ろう、と私は思った。
上下に揺れながら、ぐるぐると回る。
ゆっくりと、事務的に回るメリーゴーランドに、昔のような楽しさはない。
それでも、満たされるこの気持ちはなんだろう。
せっかく成人になったのだから、ビールでも飲もうかと思ったけど。
久しぶりに、サイダーが飲みたくなった。
缶詰でも買って、フルーツポンチでも作ろうか。
誕生日の特別なこと 肥前ロンズ @misora2222
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