記録

 ある村で大量の人間が消失した。

 都会に出ていたその村の出身の男が、その村に住む家族に連絡がつかない、親戚や近所、交番にもかけたが誰とも繋がらないと、警察に通報した事で発覚された。

 確認に訪れた警官が見たのは、誰一人いない村だった。

 凄惨な殺人が起きたようでも、夜逃げのようでもなく、飲みかけの湯飲みが机に置かれていたり、明かりがつけっぱなしになっていたり、扉が半分程に開いた玄関だったりと、生活のワンシーンがそのままで、忽然とそこにいた人間だけが消えたとしか思えない光景だった。

 唯一、その村で保護された少女はとても混乱しており、何を訊いても支離滅裂で、とても話を聞けない様子だった為、また、怪我の有無の確認の為、彼女は病院へと連れて行かれた。

 彼女の担当をした医師は若い医師だった。

 情熱を持って仕事をし、一人一人に丁寧に接する眩しい若者だった。患者からも、職場の人間からも好かれる好青年だった。

 彼は、謎の悲惨な事件から一人残った少女に同情し、彼女の心のケアを入念に行なっていた。誰に対しても怯えていた彼女だったが、熱心にコミュニケーションを取ろうとする彼には心を許し、保護直後の様子とはうって変わった、穏やかで年頃の少女らしい好奇心に満ちた性質を見せた。彼の治療は成功したと思われた。






 −録音データ–


「こんにちは、坂田さかたさん。お話があると言う事でしたが。」

「ええ、こんな事をお巡りさんにお話するのもどうかと思ったんですが、どうにも自分でも何がおかしいのか分からなくて。」

「気にしないでください。我々も事件解決の為に、些細な情報でも喉から手が出る程に欲しいのです。一応、録音させて貰いますね。それで、そのおかしな事とは。」

依口よりぐち先生……あの事件で生き残った少女の担当をしている先生なんですが、最近様子がおかしくて。なんと言うんですか、一つ一つ見ればおかしな事はないんですが、何となく違和感があるというか。」

「具体的にはどう言った事ですか。」

「彼は元々熱意のある、患者さんに好かれやすい人でした。それは相手が誰だろうと分け隔てなく笑顔で接していた先生の努力の結果だと思うんですが、その、笑顔が怖いんです。」

「怖い?」

「なんと言えばいいんでしょう……。笑ってるんですけど、前とは全然違っていて、愛想笑いとも違くて、そう、まるで先生の姿をした別の何かが笑ってるみたいなんです。」

「他の方はその事を何と。」

「皆も怖いって言ってます。貴方は何処に行きましたか。」

「え、今何と仰いました?」

「だから、皆怖がってるんです。貴方も一緒になればいいのに。患者さんも違和感を感じてらっしゃるみたいで、私に相談してくる方もいらっしゃいます。」

「あの、一緒にって?」

「一緒に?そんな事言ってません。貴方はそこにいる。」

坂田さかたさん、さっきからあなた変ですよ。まるで、二人喋ってるみたいです。」

「そう、依口よりぐち先生も一人で二人いるみたいに話したり、私達と会話が成り立たない事が……。」

坂田さかたさん?」

「いいえ、なんでもありません。私、仕事があるので失礼しますね。」

「えっ、ちょっと、待ってください。」

「貴方はそこにいる。」

「何ですって?」






 数日後、依口泰よりぐちやすしを始めとする、病院職員数名が行方不明になる事件が発生した。

 村の人間が消失する直前の言動や、病院関係者からの発言、またそれを録音した内容から、少女が事件の原因に関係があるとして、隔離施設へ移送される。そこでも、担当になった人物が彼女と接触したのを最後に突如行方不明となり、彼女は拘束され、観察される事になった。






 −録音データ−


「こんにちは。今日は元気かな。」

「こんにちは。ええ、元気よ。こないだはごめんなさい。」

「また同じ事を訊くね。君は最初の事件の時、何をしていたか覚えているかな。」

「お手紙を書いていたわ。」

「誰に宛てた手紙かな。」

「私達よ。」

「私達とは君と誰の事を言っているのかな。」

「私達は私達だわ。私と貴方達。」

「貴方達とは誰だろう。」

「みんなよ。」

「そうか。お手紙に何て書いていたのかな。」

「あんまり覚えてないけど、いつもありがとうとか、そう言う面と向かって言えない照れ臭い事を書いていたと思う。私がお手紙を書くのは、そういうのを伝えたい時だもの。」

「それは素敵な事だね。」

「いつか、貴方にも書いてあげる。貴方ってとっても優しいのだもの。他の先生達は私を遠巻きにするから。何でかしら。」

「他の先生は君とお話ししちゃ駄目な事になってるんだ。」

「それは残念だわ。でも、みんな仲良くした方がいいんじゃないかしら。」

「そうだね。みんな仲良くしたらいいのにね。貴方はそこにいる。」

「じゃあ、今度みんなで一緒に遊びましょう。ゲームでもすれば、きっと知らない人でも仲良くなれるわ。」

「それはいい考えだね。貴方はそこにいる。」

「貴方みたいな素敵な人に会えて良かった。本当は此処に来るのが不安だったの。知らない場所だから。」

「貴方はすぐ側にいる。」

「でも、全然平気だったわ。みんないるし、貴方もいるから。」

 《原田はらだ!すぐその部屋から出ろ!》

「うるさいアナウンスね。でも、貴方は此処にいたいでしょう?私を置いて行かないでしょう?とけてしまいたいでしょう?」

「私達の中にいる。」

 《くそ、待ってろ!》






 その直後、少女と会話していた原田守はらだまもるが突如姿を消した。それは、陽を浴びた幽霊のようにも、熱を受けた氷のようにも見えた。どちらにしても、それは人知の超えた現象だった。

 原田守はらだまもる本人に頼まれ、別室で二人の様子をカメラ越しで見ていた同僚の証言と、録音データ、録画データなどから考えられた結果、人間消失現象は少女によって齎されたものであると結論づけられた。

 消失の条件としては、少女と対話する事。また、その際に少女を肯定する発言をする事。記録された中では、最速でおよそ10時間ほどの期間で現象が発生する事が判明した。

 消失間際になると、対象者は、「貴方はそこにいる。」「貴方は側にいる。」「私達の中にいる。」等の発言を会話の前後に関係なく発して、その直後、消失する事も判明した。最初の事件の際も、村の人間がおかしな言動をしていた事が、遠方に住む家族や、付近の別の村の人間によって確認されている。

 少女の素性については、彼女が名前を名乗らない事、また、周囲の村の人々も彼女を知らなかった事から身元確認に時間が掛かっており、詳細は今も尚不明のままである。しかし、少なくとも、あの村で生まれ育った子供ではない事が分かっている。

 現状、対話をしない事が最重要とされ、隔離施設では彼女との接触の一切が禁止された。食事を出す時も対面せず、食器類の回収は食事に含まれる睡眠導入剤の効果が出て、彼女が就寝した後に行われる。

 現在も消失条件の検証は続いており、少女には高レベルな拘束の処置が行われている。

 これ以上、犠牲者を出さない為に。









 そう、貴方は仰った。

 けれど、犠牲者って誰の事だったのでしょう。

 私達はみんな幸せです。

 貴方は何処に行きましたか。

 貴方はそこにいる。

 私を置いて行くのですか。

 いいえ、貴方はすぐ側にいる。

 嗚呼、貴方は此処にはいないのでした。

 そう、貴方達はすぐ側にいる。

 私達の中にいる。

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融解の現象 宇津喜 十一 @asdf00

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