融解の現象
宇津喜 十一
貴方はいない
嗚呼、貴方は此処にはいないのでした。
だから、私はひとりぼっちです。サイコロの中の様な、真四角な部屋の中で一人でオセロをしているのです。
黒と白は時に相手に勝ちを譲ったり、切磋琢磨したり、新たなルールを作ったりと大忙しです。最近はひたすら上に積み上げています。その時、彼らは勝ち負けなど気にせず、素直に協力をしてくれます。
私は不器用なので、それを一人で積み上げるのは無理だと思いました。その時、彼らは実に親切にこう言ってくれました。
「縦が難しいなら横にしてしまえばいいんだよ。」
今日も、私は一人で四角い部屋の中にいます。
オセロ達は私が呼び掛けるまで決して話しかけたり、動いたりしません。貴方も一緒に遊べたら良いのに。
嗚呼、貴方は此処にはいないのでした。
時折、食事が置かれている事に気付きました。
この部屋は正四角形だけで出来ているのではなく、外が見えそうなこれまた四角い窓の他に、丁度窓の正面にあたる壁の足元に、外と繋がっている扉があります。それは高さが10㎝もないような小さな扉で、人の出入りはとても出来ません。こちら側に取っ手はなく、恐らく外側に付いていて、それを上に上げると開く仕組みのようです。
少し指で押してみましたが、掴む所がなく上手く上に上げる事は出来ませんでした。もしかしたら、部屋の外が見れたかもしれない。しかし、そこに何の意味があったのでしょう。
それでも私は次に窓を見ました。四角い硝子の窓です。外側に防犯用の柵が取り付けられており、これも向こう側を見る事が出来ません。窓を開く仕組みも備わっていないようです。
私は此処から出る事が出来ません。外を見る事も出来ません。
置かれていた食事を手元に引き寄せます。シンプルな丸いパンと、プラスチックの皿に具が小さく切られたホワイトシチューが盛られています。お皿の色は白。お盆の色はピンクです。スプーンはついていません。
私はお皿に直接口をつけて、スープみたいにシチューを飲みました。それは作られてからだいぶ時間が経っており、固まっていてなかなか飲み込むのが大変でした。きっと具材が小さく切られているのは、せめてもの配慮なのでしょう。私はスプーンや箸を使う事を禁止されています。
パンを皿を拭くように使うと、最後までシチューを食べる事が出来ました。私はこの発明を、此処から出た暁に発表したいと思います。例え誰もが、スプーンを使えと言ったとしても。貴方は賛同してくれますか。
嗚呼、貴方は此処にはいないのでした。
この部屋は一日中ライトが点いているので、時間の経過が分かりづらいです。時計も置いておらず、柵で塞がれた窓からは陽の光が差し込みません。
なので、私は自分の好きな時を朝と呼んだり、夜と呼んだりします。昼が二回連続で来る事もあります。この部屋に家具らしい家具はありませんが、幸いな事にベットだけはあるので、快適な睡眠を取る事が出来ます。早起きしたい時は、起きた時を早朝にしますし、夜更かししたい時は眠る迄ずっと深夜です。
そうすれば、夜更かししても早起きする事が出来ます。睡眠時間を気にせずに過ごせるのです。素晴らしいと思いませんか。
貴方も此処にいたら一緒にきっと喜んだでしょう。それだけが残念です。
嗚呼、貴方は此処にはいないのでした。
余りに穏やかにゆっくり過ごしていると、多くの記憶達が緩やかに古ぼけて行きます。セピア色のネガを光に透かして見るように、何かの助けを借りなければ私は私の記憶を閲覧出来ません。困る事はありませんが、貴方の顔を思い出せない事は悲しいと思います。
でも、悲観はしていません。きっとすぐ近くに貴方はいるでしょうから、見たら昨日会ったかのようにお話ができると思います。貴方もそう思いませんか。
オセロの石が行方不明になったようです。彼らは至る所に散らばっていて、全てを探し出すのに苦労しました。傷付いた者もいて、そういう者達はすっかり怯えてしまって、私の前にも姿を現さないのです。かと言って、不揃いなオセロでは遊べませんから、多少強引に彼らを集めました。傷付いた者達が早く治る事を今は祈っています。
食事が差し込まれる扉を眺めていると、初めて扉が開き、食事が部屋に入る所を見ました。私は慌てて扉の外に声を掛けましたが、聞こえなかったのか扉はすぐに閉まってしまいました。確か、此処から出してと言った気がします。今思うと不思議な事を言いました。出る必要もないのに、出してと願うのはおかしな事です。
今日の食事は丸いパンとホワイトシチューです。私はすっかりこれが好きになりました。貴方もきっと好きになります。
嗚呼、貴方は此処にはいないのでした。
時折、バグの様に記憶が蘇ります。しかし、それは水底から噴き出す泡の様に、水面に出た途端弾けて消えてしまうのです。私は泡である事を認識出来ますが、それが何の泡なのかを認知出来ません。唯、なんとなく貴方に関わる事のように思えるのです。おかしいでしょうか。
貴方は側にいる。
嗚呼、貴方は此処にはいないのでした。
私の手には分厚い手袋が巻かれています。手首でしっかり固定されているので、自力でそれを解く事は出来ません。また、私の片足には枷が嵌められています。その枷は丁度この部屋の中央の床に設置されている金属の輪に、太い鎖で繋がっています。鎖の長さは1.5m程で、この部屋の中を動き回るのに支障はありません。
不思議と、私は自分が縛られていると感じていません。これは必要な処置です。犠牲者を増やさない為に。
貴方がそう仰ったでしょう。
貴方は何処に行きましたか。
貴方はそこにいる。
私を置いて行くのですか。
いいえ、貴方はすぐ側にいる。
嗚呼、貴方は此処にはいないのでした。
そう、貴方達はすぐ側にいる。
私達の中にいる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます