愛していると何度言えば愛は永遠に伝わるのでしょうか

九十九折り坂の狐

1.教師松野幸四郎

 中学校の入学式。学期始めが9月になってから久しい。勉学の象徴が桜から紅葉になり、赤く染まった五つ手の葉っぱをあしらった飾りが校舎の彼方此方に見られる。男子も女子もブレザーの制服に身を包み、初々しいネクタイを直し合っている女子の横を、私は通り過ぎた。


「あの先生超いい感じじゃない?ダンディっぽいよね」

「やめなよ妊娠するよ~」


 思わず鼻で笑いそうになる。廊下の真ん中を少し遮っている二人を避けざまに目が合い、早速に私は女子中学生とスキャンダルを起こしたようだ。一瞬浮かべた苦笑いをすぐに打ち消す。


 つい最近まで売れない歌手をやっていたが、私を師のように仰いでいた後輩がメジャーデビューをしたのをきっかけに辞めた。元々、メジャーの水が合わないから辞めたいといっていたのを、事務所の社長が後輩を育てながら冷静に考えたらどうかと、後輩を弟子につけたのだ。ギターや発声、芸能界での立ち回り方や人生相談までこなし、ようやく後輩がオリコンに名前が載るようになった頃に、やはり辞めると社長に伝えて後輩をぶん殴って辞めた。


『こんどは俺が松野さんをプロデュースしますから!』


 あちゃあ、という社長の顔。スタッフとマネージャーの血の気が引いた顔。後輩には伝えていなかったが、私は教職免許を持っていてすでに教員として内定していた時だったから、思い上がるな若造が!と一喝ついでに手も出た。顔を腫らしたあいつの仕事がいくつか飛んだが、特に問題にはされなかった。


「おはようございます松野先生」


 すれ違いかけた女性から挨拶をされた。私の採用面接に顔を出した榊原はやか校長だ。この市では、校長に内定した者が面接官として試験に参加する。面接した中から希望を出しくじ引きで決め、希望が通らなければ余った人員を任用するシステムだ。


「おはようございます。本日からよろしくお願いいたします」

「ええ、こちらこそ。芸能界での経験を、ぜひ本校での教育に生かしてください」

「芸能界なんて大したところではないですよ。社会常識が無ければ才能があっても厳しいですから」

「そう仰る松野先生の競争率は高かったんですよ。面接していない校長先生まで、あなたを指名したくらいですから」

「高く買っていただいて光栄です。買い被られると緊張もするのですがね」

「噂は拡がっていますよ。保護者の中にもあなたのファンがおられるとかで」

「ふふ、それは嬉しい」


 話は祝辞の内容に及び、可能性は無限大だと言ってもいずれは選ばなければならないと思いますとか、適当な感想を述べて喜ばれた。一応は客商売なのでと言うと、これからも相談に乗って下さいと榊原校長は微笑んで歩き去った。


「なるほど、人気があるわけだ」


 榊原校長は、民間人登用で以前は大手自動車メーカーで広報部長をしていた。最初は民間と公立学校の人事交流で家庭科の教科担任をやり、数年で自ら会社を辞めて民間人校長に応募したのだ。年齢は50近いが、いわゆる美魔女という人で若さがみなぎっている。好感のある人物だ。


 見回りがてらに校内を歩くと、新入生も在校生も浮足立っているのが微笑ましい。そろそろ職員室に戻ろうかと思った時に、ふと中庭の大ぶりなミズキが視界に入った。


――あなたと同じ名前をした木が 今年も紅くなって私を照らす もう会う事も無いのに ずっと一緒のような気がしている


 懐からメモ帳を取り出して書きつける。好きでやっていた仕事だから、フレーズが思いつくとつい癖が出てしまう。「る」を流すように描くと、メモ帳を胸ポケットにしまう。


「なにみてたんですかー」


 振り向くと、女子生徒が後ろ手を組んで上目遣いをしていた。はしゃいだ顔に人懐っこい微笑みを浮かべて、私の顔を覗き込んでいる。


「紅葉が綺麗だと思ってね」

「紅葉と私ならどっちが綺麗だと思いますか?」

「紅葉だな」

「あー、その即答かっこいー!ダンディすぎる!」


 私は初日から変なのに気に入られてしまったようだ。


「私はC組の望月さやかです!先生は何組ですか?」

「君と同じ組だよ。新入生でなければだけど」

「うわ運命感じる先生好きです」

「私が好きなら社会科も好きになってくれると嬉しいよ」

「紅葉だけじゃなく私の顔も赤くなりそうくないですか」

「普通だな。バカな事言ってないで教室で待っていなさい」

「はーい」


 入学早々の逆ナンに辟易しながら背中を見送ると、視界の先で望月の友達らしい3人の女子生徒が謎の笑顔でこちらを見ていた。


「きーてー。私が好きなら社会科も好きになってくれると嬉しいって言われた―」


 その口の軽さが全くの可能性を失くした事に彼女は気付いていないようだ。一人、少し睨みつけるような視線を送って来た女子生徒に、ないないと手の甲を上に向けて振ると、綺麗な釣り目が少しほころんだ。


「がんばれ、チャンスあるよ!」


 釣り目の少女が望月を励ましつつ、なおも横目で私の様子をうかがってくる。まあ、あんな風では心配になるだろうなと思いつつ、可能性のない憧れの対象を演じ続けるかどうか探られているのも分かる。私は背を向けて歩き出した。


「先生ー、またねー!」


 私は振り向きもせずに手を頭の横で振って応じた。これが、一年間に起こった出来事の始まりだった。

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愛していると何度言えば愛は永遠に伝わるのでしょうか 九十九折り坂の狐 @aiueo5194

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