第8話:狙われたルーク

 BARカゲロウの地下に存在する居住スペースの一室で睡眠をとっていたアイザックは、ふと虫の知らせとでもいうべきか、いつもより早い時間に目が覚めた。

 こういうことは今までにも何度かあり、嫌な予感と言い換えてもいいこれはだいたい当たってしまう。

 気のせいだと切り捨ててしまえばいいのかもしれないが、不快感を覚えたまま二度寝する気にはならなかったので、アイザックは気だるげに身を起こした。

 何事もなければいいのだが、ととりあえず地上へ上がり、アイザックがBARの店の奥から顔を出せば、カウンターにいたオスカーが振り向いて目を瞠る。

「どうした? いつもより早いな」

「……目が覚めたんだよ」

 水をくれ、とアイザックがオスカーに頼めば、自分で注げとコップとピッチャーごとカウンター席に置かれた。

 オスカーは眉間にしわを寄せながら、ちらりと壁掛け時計に視線をやり、それから手元の端末に視線を落とす。

「……なんかあったのか?」

 アイザックが問いかけると、オスカーは言うべきか一瞬迷ったように視線を泳がせ、端末の着信を確認しながら答えた。

「いや、ルークに買い出し頼んでたんだが……」

 まだ帰ってきてないみたいでな、と眉根を寄せてオスカーが呟く。

 買った荷物は、冷蔵庫とカウンターに置いといてくれと頼んでいたのだが、日が落ちて目を覚ましたオスカーが上がってきた時、カウンターには何も置かれていなかったのだ。

「……寄り道でもしてんじゃねぇの」

 心配しすぎだろう、とアイザックが言っても、オスカーの表情は晴れない。

 基本ルークは自由奔放とでもいうべきか、昼夜問わず好き勝手に活動している。

 ルークが、いつ、どこで、なにをしているのか、彼の一日を把握するのはなかなか困難なのである。

「いや、俺が頼んだのは朝市の使いなんだよ」

 しかも生モノ、と告げるオスカーに、アイザックは早くも嫌な予感が的中しそうだと顔をしかめた。

 朝市を頼んだというのなら、さすがに、もう帰ってきていないとおかしい時刻ではある。寄り道をしているにしても、せめて生モノだけは冷蔵庫に一度置きにきてもいいはずだ。

 電話をしてみたが、電源が入っていないのか何度かけても繋がらず、杞憂に終わればいいけど、とオスカーが呟いた時、カランとドアベルが鳴り響きBARの扉が開いて、ジョシュアとツバキが入ってきた。

「巡回の時間なのに、珍しいな二人とも。どうした?」

 オスカーの問いに、いやこいつが、とジョシュアが苦い表情でツバキを見やる。

 ツバキは明かりのついていない店内を見渡すと、眉をひそめ、小さく舌打ちしてから、ぶっきらぼうに尋ねた。

「……神父、ここに来てませんよね?」

 ツバキの言葉に、アイザックの表情が変わる。

 寝起きの虫の知らせといい、ルークの不在といい、さらにはユリウス神父も不在だという。

 これはただの偶然か。思い過ごしと考えていいのか。しかし、そんな思考とは裏腹にアイザックは嫌な胸騒ぎを覚える。

「神父さん、いないのか?」

 確認するようなオスカーの問いに、ツバキが眉間にしわを寄せたまま答える。

「……昼間、珍しく街に降りたみたいなんですけど、まだ帰ってきてないんですよ」

「それは……神父さんも、たまには息抜きしたい時とかあるんじゃ?」

「あの人基本、街に降りないの知ってますよね。俺に無断で長居するとか、ありえないんですよ」

 ツバキが起きる夜間までに戻らないまたは遅くなりそうな外出をする時は、メモを残していく決まりだ。

 神父が立ち寄りそうな場所は一通り回ったので、あとは、ないとは思ったが一応このBARカゲロウくらいしか思い当たる所がなかったので、足を運んでみたのだが、どうやらからぶりのようだとツバキは内心で舌打ちする。

 どこ行ったんだよあの人、とぼやきながらツバキがBARを出ようとしたのを、オスカーは思わず引き留めた。

「なんです?」

 ただの偶然、心配のしすぎ、思い過ごしであってほしい、と願いながら、オスカーはジョシュアに問いかける。

「ジョシュア、一応確認するけど、ルーク見てないよな?」

「今日はまだ会ってないですけど?」

 きょとんと目を丸くするジョシュアの返答に、顔を見合わせるオスカーとアイザック。

 そんな二人の様子を見て、ツバキは嫌な予感を覚えて口を開く。

「……なにかありました?」


 ***


 時は、数時間前に遡る。

 まだ太陽が空に輝いている頃、ルークとユリウスは一緒に行動していた。

 事の発端はこうだ。

 教会から麓の街ウィスティリアへ降りたユリウスが、街の外周を歩いて回っていた時、街外れの路地から飛び出してきたルークと鉢合わせしたのである。

 昼間でありながら、何故か人間の男たちに追われていたルークをユリウスが助けた所まではよかったのだが、ルークを狙っていた人間がそれだけではなかった。街の外が待ち合わせだったのか、森の中に隠れていたらしい複数人の屈強な男たちが、次から次へと現れたのだ。

 しかし、所詮は人間であり、残念ながらユリウスの相手にはならない。

 人間相手に傷つけるわけにもいかないため素手でありながらも、ユリウスによってものの数分で全員返り討ちにされた。

「それにしても……彼らは何者ですか?」

 人間ですよね、と問うユリウスに、追われていたルークも困ったように首をかしげる。

 ルークとユリウスは、吸血鬼から狙われやすい体質である。

 普通の一般人とは異なる、特別な血“貴重な血”――通称レアと呼ばれる、この血を持つ人間は、どれほど吸血されても吸血鬼化することはない。吸血鬼内では特別な血として知れ渡っており、彼らにとっては極上の血液なのである。けれども、レアブラッドの血液型を持つ人間は、世界に一人存在するかしないかという、巡り会えただけでも奇跡に近い、非常に希少価値の高い存在なのだ。

 今までも、たびたび狙われることはあったが、その大半は夜間出歩いていた時だ。

 それでも野薔薇という祓魔師組織が活動する中、堂々と街人を襲うような間抜けな吸血鬼は存在しない。人々が寝静まったころ、闇の中を動き回り、人知れずに暗躍するモノが大半を占める。それゆえに、夜間における祓魔師と吸血鬼の抗争は激しいものである。

 そのレアブラッドであるルークが吸血鬼から狙われるのならまだしも、何故人間から追われているのか、そもそも白昼堂々と集団で襲ってきたのがどうにも納得いかない。

「わかんない。俺だって驚いてるんだよ。夜じゃないからちょっと油断してた」

 巻き込んでごめんね神父さん、とルークが申し訳なさそうな顔をする。

 ユリウスはいいえ、と首を振った。

「むしろ出会えてよかったです。貴方が危険な目に合っていると知ったら、陽炎一族の方々が心配するでしょうから」

「う~ん、彼らに追われる覚えはないんだけどなぁ~」

 こんなことになっていると知ったらみんなまた大げさに騒いじゃうかもなぁ、とルークは苦笑する。

 人間のことは人間へ、と一旦二人は、倒れた彼らを放置して街の駐在所まで警備隊を呼びに戻ることにした。

 街の中へ戻るだけなら、ルーク一人でもよかったのだが、念のためユリウスもついていくことにした。

「端末は、使えないのですか?」

「残念ながら、圏外。電波妨害でもしてるのかな……いつもならここでも使えるのに」

 昼間の襲撃、街の外へと追い込まれ、さらには電波妨害、すべてが偶然とは思えないなとユリウスは考える。

 狙いはルークと見て間違いないが、何故人間が彼を狙うのか。

 そういえば、先日ツバキに忠告されたな、とユリウス思い当った。


 *


「昼間は人間に気をつけろ、ですか」

 ツバキからの情報に、ユリウスは眉をひそめた。

 若い女を狙って誘拐し、吸血鬼へ売り渡すという、吸血鬼相手に商売をする人間が最近南の地に多いらしい。嘆かわしいことだ。

「そうです。……だから、気を付けてくださいよ、神父」

 あんたが一番狙われるんだから、と呟いたツバキにユリウスは微笑む。

「私は強いですよ」

 人間相手では力の加減に悩むところだ。殺すより殺さない方がとても難しいことを、二人はよく知っている。

「それは夜の話でしょう。あんた、祓魔師じゃないとき、結構隙だらけですよ」

「そうですか?」

 今現在がまさにそうですよ、と内心で呟きながらツバキは舌打ちする。

 神父のときと、祓魔師のときのオンオフの差がこの人は極端すぎるのだ。

「そうですよ。……とにかく、相手が人間でも、何してくるか、わからない以上、注意するに越したことはないでしょう」

 面倒臭そうに告げるツバキにユリウスは頷いた。

「そうですね。気を付けましょう」


 *


 そんなやりとりをしたはずなのに、昼間だからと身軽で降りてきてしまったのは自分の失態である。

「神父さんって、素手でも強いんだね」

 羨ましいなぁと呟くルークに、吸血鬼相手だったら役に立ちませんよ、とユリウスは返す。

「普段、どんな撃退道具を持ち歩いてるの?」

「……あいにく、今日はこれしか持ち合わせがないのですが」

 ユリウスの手元には聖水の小瓶が二つと袖の中に隠した針ぐらいだ。街に降りるのに昼間から帯刀するほどの武装していくのはどうかと思ったのと、すぐ戻るつもりだったのとで、もはや手ぶらにも等しい。

 夜間だったらもう少しちゃんと装備をしていたのに、とないものねだりしても仕方がないが、ユリウスは内心で自分自身に反省した。

「俺も、今日はこれしか持ち歩いてなくて」

 ルークが取り出したのは香水瓶だ。なんだろう、と目を瞬かせてユリウスは問う。

「なんですか、それは?」

「俺が調合した、吸血鬼が嫌がる匂いの香水、だよ。これがなかなか効き目抜群で」

 時々アイザックとかマスターをこれで撃退するんだ、と微笑みながらルークは語った。

 純血種にも効果覿面なのかと純粋にユリウスは感心した。

「……便利そうですね」

「あ。今度神父さんにもあげるよ! アイザがうざい時は、これかけてあげると嫌がるから」

「あ。それは、是非」

 ニッコリと笑顔で告げるルークに、ユリウスは思わず即答してしまった。

「欠点は、案外人間にも効くところかな」

 テヘ、と微笑んで小首をかしげながらルークは付け足した。

 それでは、ただの臭い香水と大差ないのではと思ったが口にはしないユリウスである。とりあえず吸血鬼に効果があるのなら何でもいい。

 このまま何事もなく終わればいいが、一応警戒するに越したことはないだろう、とユリウスは自分の首にかけていたロザリオをはずすと、ルークに渡した。

「ルークさん、これを」

 このロザリオには、身に着けている者を悪しき者から守る術を施してある。

 吸血鬼除けの結界を展開する仕組みで、あまり長くもつものではないが、一時しのぎの盾くらいにはなる。

「しばらくお貸しします」

 念のために、と微笑むユリウスに、ルークは目を丸くする。

「えっ、いいの?」

「一度だけですが、結界を展開できますので、お守り代わりになると思います。さすがに、あまりにも負荷が大きいと壊れますが」

「ありがとう」

 ニッコリと笑うルークに、ユリウスは静かに微笑み、ロザリオに唇を寄せて囁いた。

「――貴方に神の御加護を」


 ***


 無事に駐在所までたどり着き、待機している警備隊に事情を説明し、後処理を彼らに任せた後、ユリウスはルークをBARカゲロウまで送ることにした。

 なるべく人目に付きやすい大通りを、二人でのんびりと歩いていく。

「ところで、神父さん。せっかくなんで、一つ聞いていいかな?」

「なんですか?」

 改まってなんだろうかとユリウスが返すと、ルークが真剣なまなざしで単刀直入に尋ねてきた。

「神父さん、アイザのことどう思ってる?」

「……はい?」

 思わずよろめきかけたユリウスは、頭の中でルークの問いを反芻する。

 反芻したところで、理解できなかった。

 そもそも、どう思ってる、とはどういう意味だろうか。

「…………ルークさん。質問の意図がよくわかりません」

「そんな深く考えなくていいんだけどな……率直な感想というか、印象でもいいし」

 そう言われて益々わからなくなる。

 率直というと――粗野とか荒々しいとか……?

「…………何を考えているのか、よくわからないです」

「あ~……案外、特に何も考えてなかったりする時あるよ?」

 そうですか、と言いかけてユリウスは、直感的に不穏な空気を察して隣を歩くルークを引き止めた。

 昼間の街中、多くの街人が行きかう場所での揉め事はできれば避けたい。

 ユリウスの様子に、ルークも異変を察したのか、街の人に被害が及ばないように路地に逃げようと頷いて見せる。

 追手を撒きながらBARカゲロウに戻ることができるか。

 端末が使えるかルークに確認すると、相変わらず圏外のようで、助けを期待することはできなさそうだ。

 少しでも街の人との遭遇を避けるため、二人は大通りから路地に入るや否や駆け抜ける。地理に詳しいルークを先頭に、街のいたるところにあるというBARカゲロウへ繋がる出入口を目指す。

 走りながら、ふと嫌な予感を覚えたユリウスは、先導するルークの腕を引いて後ろへとかばうと、路地の上空から飛び降りてきた敵を、頭で認識するよりも先に殺気に反応した体が動いて相手を叩きのめした。

「神父さんっ……!」

 焦ったようなルークの声が聞こえたが、ユリウスはすでに状況を把握している。路地の出入り口――前後を敵に塞がれていた。

 もし吸血鬼相手だったら剣がない今の状況は痛手だが、人間だけなら体術だけでも十分倒せそうな相手だ。

 ただ、ルークという守るべき対象がいることと、どうやら相手が集団だというのが、一筋縄ではいかない要因ではある。

 ユリウスは祓魔師でもあるため、対吸血鬼戦で慣れているが、ルークはただの一般市民だ。もし彼にケガでも負わせたら、ユリウスは陽炎一族の方たちに合わせる顔がないなと思った。相手の狙いがルークであるというのならなおさら、この追手を撃退しつつ、ルークだけでも無事に逃がさなければいけない。

 狭い路地では身動きがとりにくいが、それは相手も同様。

 一人ずつ相手にしていくのなら、ルークをかばいながらでも、なんとかなるかもしれない。

「ルークさん。強行突破しましょう」

「いける?」

「大丈夫です」

 意を決して、迎撃に移ろうとした時、二人の足元に何かが投げ込まれた。

 ユリウスが反射的に蹴り返したが、缶のような筒から白い煙が吹き出し、すぐに狭い路地を覆い尽くす。

 とっさに息を止め、ルークにも煙を吸わないように警告する。

 充満する煙に視界を奪われ、ユリウスとルークは離れないように互いの手を掴んだ。

 だが、まずい。煙から逃げようにも出入り口を塞がれた状況のため身動きが取れない。この状況で前後から襲われたら対処できるか――いや、視界を奪われているのは相手も同じ。

 そこまで考えて、ユリウスは違和感を覚える。

 ……待て。どうしてここで煙幕を使う必要がある?

 こんな狭い所で、逃げ道さえもふさがれているという圧倒的に相手側の方が有利という状況で、何故互いの視界を覆い尽くす煙幕などを用いる?


「……神父、さ……」


 近くにいたルークの声が不自然に途切れた。

 掴んでいた手から力が抜け、ぐらりとルークが倒れかかってきたのを、ユリウスは慌てて支えた。

「ルークさん!? ――ッ……これは」

 ここでようやく、ユリウスは気が付いた。違う、これは煙幕なんかじゃない。

 ――催眠ガスか……!!

 視界のきかない中、出入り口方向から次々にドサリと何かが倒れる音だけが耳に届いた。

 ユリウスは煙から逃れるべく、ルークを担いで体勢を低くしながら、路地を抜けようとした。

 状況は分からない。だが、この状況で考えられるとしたら――まさか、仲間もろとも……?

 相手の狙いは何だ?

 ルーク一人のために、ここまでするのか?

 しかし、行動に無駄が多い。なにより、敵ではあるが、味方をも巻き込む相手のやり方は気に入らない。彼らは仲間ではないのか?

 それとも、この催眠ガスを用いたのはさらなる第三者なのか?

 息を止めているはずなのに、考えをまとめようにも、頭が回らない、思考が鈍くなってきたのを感じる。

 ――皮膚吸収、か。

 せめて、なんとかしてルークだけでも、逃がしたいところだが、相変わらず視界は白い煙に遮られたままだし、意識のないルークだけを安全なところまで逃がすのは不可能に近い。

 あと少しで路地を抜けるという所で、ぐらりと眩暈を覚えて、ユリウスは思わず壁に手をついた。

 彼だけは守らなければいけない、とそれだけを強く思った。

 力が抜けていく身体では、ルークを支えきれず地面に膝をつく。

 ルークを捕らえることが狙いだとしたら、彼はすぐには殺されないだろう。万が一の保険も持たせてはいる。それに夜になれば、彼の不在に陽炎一族も気が付くはずだ。

 問題があるとしたら、意識を失ったルークがどこに運ばれるかだ。この街から出る可能性もある。

 ならばせめて、とユリウスは、聖水の小瓶を地面に叩きつけ、糸代わりにおのれの髪を一本通した針を地面へと深く突き刺した。

 人間相手に情けないどころか、ツバキに怒られそうだな、とユリウスは思う。


「――おやすみなさい、良い夢を」


 遠ざかる意識の中で、近づいてきた足音とともに、そんな声が聞こえた気がした。



 ***


 時は現在に戻る。

 事後報告のために、BARカゲロウにルークを尋ねてきたウィスティリアの街の警備隊から、オスカーたちは昼間にルークが巻き込まれたらしい出来事を聞かされた。

 なんでも誘拐されかけた所を神父に助けられ、神父が叩きのめした犯人たちは無事に連行したとのことで。犯人たちはただ金で雇われただけの人間で、「金髪の青年を誘拐してこい」と命じられた通りに動いていただけで、雇い主のことも詳しい事情もまったく知らないとのことだった。

 それを聞いたツバキが、近頃南の地で吸血鬼相手に若い女などを誘拐して売り飛ばす商売をする人間がいるらしいとの話をする。

 それを聞いたオスカーは、すぐさま陽炎一族のメンバーたちを情報収集に駆り出させた。

 推測でしかないが、おそらく他にも仲間がいて連れ去られた可能性が濃厚になってきた。

 同時に、ルークと神父が一緒にいたという情報を得たツバキも、神父の行方を捜すべく彼の足取りを推測して街に繰り出した。

 そして、ウィスティリアの街の外れに近い路地裏で、ツバキはユリウスが残したと思われる手がかりを発見する。

「……見つけた」

 地面に突き立てられた針から、ゆらりとなびく一本の細い銀色の糸。

 針に括りつけられた髪を媒体にして、霊力の残滓が一本の糸のように、街の外へと道標のように続いていた。

 祓魔師間で主に、仲間に自分の足跡を残すために使われる術である。

 ツバキはすぐさまオスカーに連絡し、自身は糸を追って街の外へ出た。


 ツバキから連絡を受けたオスカーは、BARカゲロウで待機していたアイザックに指示を仰ぐ。

「街の外に出たようだ。どうする?」

 誘拐犯はおそらく人間で、依頼人の狙いはルーク、とするとその依頼人、つまりは背後に吸血鬼の存在がいる可能性は高い。

 ルークと神父が今も一緒にいるのか、それとも別々にいるのか、そこまではわからないが、あの神父が自分のために誰かに足跡を残す様な人間ではないことだけはわかる。

 ルークに何かがあったから、彼を助けに行くであろう陽炎一族のために残した手がかりだとアイザックは考える。

 ただ一つ腑に落ちないのは、あの神父が傍についていながら、ルークが街の外に連れ出されるような事態に陥ったのは何故か。

 あの神父は、ただの人間に負けるほど弱くはないし、そう簡単に捕まるとも思えなかった。

「……どうするもこうするも、行くしかないだろ」

 ルークに手を出した愚か者に制裁を加えてやらなければと、アイザックは腰を上げる。

 指針が定まった陽炎一族の行動は早かった。

 ユリウスが残した道筋からツバキが特定した場所へ、先に到着したツバキが単身で乗り込み、追随してアイザックがオスカーを伴い向かい、ジョシュアを始めとする他の陽炎一族が周辺の情報収集と見回りに駆り出された。

 また、オリビアとソフィアを含む何人かのメンバーは、ウィスティリアの街に残り、中継役としてBARカゲロウで待機となった。


 ***


『――屋敷の外観、送ります』


 夜闇を駆け抜けるアイザックとオスカーの端末へ、ツバキから目的地の外観写真が送られてくる。

「おい、先行しすぎだ。俺たちが着くまで待ってろ」

『――神父はともかく、のんびりしてたらルークさんが危ないと思いますよ』

 オスカーの言葉に、ツバキは言外に待つつもりはないと返してくる。

 事件が起こったのは昼間で、今はもう日没して夜だ。

 ただでさえ出遅れているのだから、時間を無駄にはできないのは確かだが。

「……カストル=ヴェルデッキオ子爵の屋敷だな」

 写真を見ていたアイザックがふと呟く。

 知り合いか、とオスカーが問えば、アイザックは首を横に振る。

「……扉にある紋章。昔、見たことがある。直接の関りはない」

 アイザックが昔という時は、オリビアの両親、王族付きの騎士をしていた頃の話だ。

「子爵が出てくるか……【野薔薇】は、動いてくれそうか?」

 オスカーが端末の向こうへ尋ねると、ツバキから、いらだちを隠そうともしない舌打ちと不機嫌そうな声が返ってくる。

「……難しいですね。証拠もなく、誘拐されたかもしれないという憶測だけでは、組織を動かすことはできません。それに……神父は、もう正式な野薔薇の一員じゃないですし」

 協力してもらっているくせに組織の一員じゃなければ助けないってか、これだから人間は、と傍でアイザックが鼻で笑う。

 野薔薇の協力が得られないのは残念だが、想定内ではあるので特に支障はない。

『――オスカーさん、目的地までのルート上に、おそらく野良のものと思われる残骸を発見』

「……野良? 子爵の関係者か?」

「……ルークを連れてった人間の中に、野良を祓える奴がいるってことじゃねぇの」

 屋敷に行くまでの道中、野良を恐れて護衛をつけたとか、と呟くアイザックの言葉に、オスカーはありえなくはないと考える。

「元祓魔師、……いや、可能性としては狩人ハンターか」

 祓魔師とは、主に【野薔薇】に所属している人間に害をなす吸血鬼を祓う者たちの総称である。

 対して、狩人ハンターとは、どこの組織にも属さず、単独で吸血鬼を狩る賞金稼ぎのことを指す。

「ジョシュア、あと数人連れて屋敷近くで待機。残りは周辺の観察と情報収集を継続。俺らもあと少しで着く」

『――あの、アイツ、……一人で、乗り込んでいっちまいましたが』

 アイツというのは、おそらくツバキのことだろう。

 大人しく待っているとは思わなかったが、それでもジョシュアからの報告に、オスカーは思わず苦々し気な表情になった。

「待てと言ったのに……」

「放っておけ。アイツは、陽炎一族じゃない」

 アイザックたちに、ツバキを止める権利はない。

 一応、現役祓魔師なのだから、おのれの力量や引き際ぐらいわきまえているだろう。

 ただ、今回の件で気がかりがあると言えば、相手に人間がいる可能性があるということだ。

 敵が吸血鬼だけなら、問答無用で排除するだけなのだが、人間がいるとなるとそう簡単にはいかない。アイザックたち陽炎一族は、人間を殺すことはできない。

「……とりあえず、ルークを見つけ次第、撤退しろ」

 目的は、ルークを連れ戻すこと。

 人間の相手はしなくていい、とアイザックが告げる。


「ただし、同胞だったら排除しろ」


 ルークが、レアブラッドだと知って今回の誘拐を企てたのだとしたら、生かしておいたところでメリットはない。

 アイザックの低い声音に、これは内心ご立腹だなと察したオスカーは短く答える。

「了解」

 今までにも似たようなことはあったが、無事でいてくれよとオスカーは心の内で呟いた。

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災厄の神父と陽炎の吸血鬼 宮下ユウヤ @santa-yuya

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