第2話 カルガモの時計があるレストラン(後)

 給仕はテーブル席から引き上げたばかりのカフェラテのカップを積み重ねながら、意外そうに青年を見た。


「あれ、大人になって会ったんですか? 初恋の相手を探す余裕がなかったって今仰られたばかりですよ」


「それが偶然なんだ。仕事でしばらくここで過ごした夏、三才の娘を英会話専門保育園に入れようって妻が言って、その説明会プラス申し込みに行ってその時に会ったの。

駐車場でさ、停め方が悪い車があって、なんだこいつって言う位のレベルだったんだけどさ、駐車し辛くって苦労してるうち、運悪くちょっとぶつけてしまったの。しかもポルシェ。ちょうど荷物を取りに戻った車の持ち主に事情を説明して謝ったんだけど、それがまりりんだった」


「そんな偶然があるんですね。でもまりりんってよく分かりましたね。大人になって会う機会なかったんでしょ?」


「もちろん子どもの頃から約二十年ぶり位で会ったから初めはお互い気付かなかったさ。でも車ぶつけちゃったから連絡先を交換してさ。その時に分かった。

彼女は『淡島まりん』のままだったから。ダンナが養子に入ったんじゃないかな。

まりりんのお父さんは、町医者だったしね。付いてきたダンナは割と年上っぽかったけど、ナイスミドルみたいな、いかにも医者っぽい雰囲気だったよ。ダンナの抱えてた女の子は昔のまりりんを小さくしたみたいで可愛いいの」


「向こうも名前を聞いてすぐあなただと気が付きました? それから思い出話に花が咲いたとか?」


「全然。まりりんは最初オレの名前に反応しなかったんだ。まぁ、ありふれた名前だからね。それで自分から幼なじみだって名乗ったよ。そしたら『あ〜』って感じで…。語尾下がってた。冷たい笑い、浮かべて」


「それはさびしいですね。もっと感激しても良さそうなのに」


「ん。でも仕方ないだろうな。向こうは車へこんじゃってキレかかってたし、こっちは車の停め方悪すぎだろってさんざ言った後。

さすがにその後じゃ気まずくて『まぁ久しぶり』なんて会話にならないんじゃない? 警察も来たし」


「昔の面影はあったんでしょうね。美人になっていたんだから。ポニーテールの似合う可愛いコの」


「うん。美人だね、間違いなく。でもどっちかって言うと女の市民権を得た、金をかけた美人だよ。ちょっとセレブ系の女性向け雑誌ってあるじゃない?あーゆーのに載ってるファッションモデルってカンジ」


「分かります。高級ブランドのスカーフとか高そうなハンドバッグとか。デパートの一階の香水の香りがしそうな」


「そうそう。まりりんからしたのもそんな香りだった。あれはブルガリかもな。別れた妻には真似事くらいしか味わわせてやれなかった世界なんだけど。まりりんはたぶん完ぺきだった。とにかく完ぺきな美人ってやつ。でもカンジ悪い女になってた」


「そういう女性はプライドが高いんですよ。こういう客相手の商売だと分かるんです。綺麗だという自覚のある女性のお客さんには、言い方気を付けないとね。それに別なお客さんの話題で微妙に不機嫌になる。自分は特別だと思ってるから」


「じゃオレの車の停め方がどーとかいう言葉がよっぽど気にさわったんだろ。別れた妻からも良く言われた。無神経なとこあるって。それにしてもタイミング悪いし」


「縁がなかったとも言えますよ。タイミング悪いってのはね。いつも思うんですよ。カップルが重要な局面での待ち合わせの時に限って、どうしようもない事情でどちらかが来れなくてダメになってしまうんです。そうしたらああこれは運命なんだなぁって。そういう事あるんですよ」


「ふーん…。でも、カルガモの時計の話をした時のまりりんの反応はそっけないっていうか眼中にないというか。タイミング以前の問題だったね。まりりんにとっても同じように大切な思い出なら、ああって感激の一つもあると思うんだよなぁ。たとえ車の事でヤな言い方されたにしても」


「美人って冷たく見えるものです」


「実のところ、もうまりりんが美人であろうがなかろうが関係ないんだよ。たとえ不細工でもあの頃の事をしっかり覚えてくれていた方がどれだけうれしかったか。だから自分の中で、あれは別の女の子だったって思う事にしたよ。とても純粋な子。時の流れに負けないような。バカだね」


「それは別の女の子…だったんですよ」


「うん、そう。別な女の子。割り切ったから。慰めありがと」


「いや、そうじゃなくて。これは言った方がいいのか、悩みましたがお伝えしておきましょう。本当にまりりんは貴方と一緒にカルガモの時計を見た子ではなかったんです。だから彼女が忘れていたと失望する必要はありません。今度会う事があれば、その時計の事を持ち出さず、一緒に遊んだ海岸の話だけにしてみて下さい」


「は? カルガモの時計を見た子でないってどうゆう意味?おにいさん、実はまりりんの知り合い?ちょっとびっくりなんだけど。占い師か何か?…でなければそれって何かの例え?」


「いえ、お客さんの初恋の相手と知り合いでもなければ占い師でもありません。占いではなく、推理と申しましょうか。いつでもここで誰かの話を聞いてるから、推理力だけは冴えているんです」


「推理力? 今話した中にそんな推理するような内容ってあったっけ? 今話した中に知ってる登場人物がいたんでなければおかしいよ。人の初恋の思い出覆すような事言うなんてさぁ」


「いた…ってなりますかね。もし金魚のフンを登場人物に含めるならですが。それにヒントはホラ、そのストローのカモメと星になりますかね」


「は? やっぱ訳わかんないんだけど」


「そうですか。実は…あのガラスのケースの中のカルガモの時計は十年前、このレストランの新規オープンの時にいたバイトのコが残していった物なんです。そう、私はこのレストランにはオープンの時からいるんです。他の店にいたのを引き抜かれて。で、カルガモの時計を置いていったコは、専門学校生だったけど、オープン前後の繁茂期に期間限定で働いていたんです。それでバイトの終了時にみんなの癒やしのためにこの時計を置いて行くと。(笑)でも私にだけはあの時計にまつわる話をしてくれたんですよ」


「あの時計にまつわる話? それどんなコ?」


「ショートヘアのボーイッシュな、でも大人しくて可愛いコでしたね。私とはよく同じルーティンだったので年の離れた妹みたいに思えていたんです」


「知ってるコっていう事? まさかまりりんじゃないよね?」


「違いますよ、もちろん。あのコはファッション誌に出て来るカンジではないですからね。地味でマイナーなアスリート専門ファッション誌ならアリかもしれませんが」


「そのコの時計にまつわる話って…」


「お客さんが話していたのとビックリする位似ていますよ。子どもの頃、夏休みに近所の人の親戚の男の子がやって来て仲良くなってとびきり楽しい夏を過ごした話。水族館、高原の遊園地に夏祭り。とても楽しく来年も会う約束をして、それは楽しみに次の夏休みを待っていたらしいんです。そのコはね」


「ふーん。似ているね。それってやっぱりまりりんの事じゃないかって思えてしまう。それでカルガモの時計の話は?」


「それはこれからです。そのコの待っていた翌年の夏休みが始まり、また男の子はこの町へやって来た。最初の2日間半は期待通りに去年のような楽しい夏だった。でもそれからある女の子が越して来た」


「ある女の子?」


「はい。父親が駅の近くに医院を開業したばかりの女の子。ニックネームはまりりん」


「…じゃその男の子って」


「もうお分かりでしょう。まりりんが越してきた日、両親に連れられ、『友達になってね』なんて定番の挨拶を済ますと、次の日から男の子の隣にはいつもまりりんがいた。水族館でも遊園地でも夏祭りでも、そのコは後ろをくっついて歩くだけ。それどころか巻かれてふたりだけで何処かへ遊びに行ってしまう事もあったそうです。でもそんなある日変化が訪れたんです。男の子がインフルエンザにかかり、体の弱いまりりんを心配した両親は、男の子の病気が完全に良くなるまで、会いに行く事を禁じたそうなんです」


「会いに行く事を禁じた? それでもまりりんは来たんだよ」


「いや、それでまりりんは結局その夏は男の子に会う事はなかったはずです。来たのは、金魚のフンと思ってた女の子の方ですから」


「えっ! それじゃインフルの治りかけの時に一緒にカルガモの時計を見たのは…」


「ここでバイトていたあの女の子ですよ。彼女もストローの袋で星やイルカを作る事ができました。子どもの頃、その男の子から習ったって」


「ちょっと待って。それじゃ騙されてたって事? ずいぶん長い間、本当に長い間あれはまりりんだったって信じてた。かけがえのない思い出だったから」


「騙してたわけじゃないですよ。彼女も忘れられない思い出として話してたんです。きっと自分の事をインフルエンザの後遺症で、まりりんだと見間違えている事は知らなかったんじゃないかな」


「それか、間違えられたからまりりんのフリしてた?」


「それはもう確認のしようがないし、たとえ仮に会う事があっても本人にも聞けない。もしそうなら、痛すぎる思い出ですから」


「一体…そのコっておにいさんの何なの?十年前のバイトのコの話をそんなに鮮明に憶えてるかな、普通。カノジョだったとか?」


「いいえ。若いコはオジサンなんて恋愛の対象じゃないですよ。そして正直、十年前の話を私はそんなに鮮明に覚えてたわけではありませんね。印象的な話ではあったけど、つい昨日までは正直忘れていた話です」


「昨日まで??」


「昨日、突然そのコがこの店にやって来たんです。近隣の街で働いていたけど、一ヶ月前から遠方で働く事になって、昨日は残してきた荷物を取りに戻ったって。最後に懐かしいこの店に寄ってみたと話してました」


「別れの挨拶に来たってわけか…」


「まぁそんなところですかね。水族館でイルカだかアシカだかの調教師の職を得たらしいんです。動物かわいい、言う事あまりきいてくれないけどって。(笑)いつかアニキに見てもらうから、なんて言ってたけど。それが何処か聞く前に私は外回りに出て…帰ってきたらもう居なかったんです。携帯も買い替えの時に番号変えたから、連絡の取りようもなくて」

 

青年は無言だった。給仕は話し続けた。


「久しぶりに彼女がカルガモの時計を見ている姿を眼にしてその子ども時代の話を思い出したばかりなんですよ。彼女もね、誰かこのカルガモの時計を見て懐かしいなんて言ってくるお客さんいた?って聞いてましたからね」


「また来るんでしょ? その人。僕が会いたいと言ってた事伝えてくれなきゃ」


「もう来ないですよ、彼女。この店、一ヶ月後に閉店なんです。

彼女がストローの袋で作った星やイルカがまだあの棚の隅にありますよ。折った時にきちんと指の端でなぞったあとが見えるはず」


「たった今折ったみたいに? タイミング悪いよな、ホント…」


「そう、タイミングってあるんです。あ、窓の外が薄いピンクに染まってきていますね。今日は晴天だったからすぐにそのアセロラジュースみたいに染まった空を見る事ができますよ。

どうしたんですか? お客さん。涙浮かべたりして。ついさっきまでは忘れていた女の子の事で泣くなんておかしいですよ」


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間違いなく君だったよ/カルガモの時計があるレストラン 秋色 @autumn-hue

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