間違いなく君だったよ/カルガモの時計があるレストラン
秋色
第1話 カルガモの時計があるレストラン(前)
「それで…お客さん、ここへは初めてですか? 海がきれいでしょ? こんな真っ青できれいな海って他にはないですよ。ここのメニューにあるカクテルのブルーハワイみたいだって。さっきのお客さんが。でもハワイより絶対きれいに決まってる。夕陽が見える時間だとまた格別なんですよ。辺りがピンクやオレンジ色に染まって」
その日昼下がりの海辺のレストランは客が
「知ってるよ。実は仕事でここへ時々来てるんだ。それに子どもの頃にもね。小学生の頃夏休みによく来てた。当時、親戚が住んでたからさ。あの頃はこんな、おしゃれなお店なんてなかったな」
「すみません。この町に馴染みのお客さんだと思わずに。オシャレで都会的に見えるので、てっきりここは初めてだと」
「初めてみたいなもんでいいけどね。知ってた昔のイメージとはかなり違うからさ」
オシャレって言われても、今着ているジャケットだってこのブランドの新作でもないんだけどな、と青年は心の中で
「そう、昔を知ってるお客さんはね、みんな言うんですよ、変わったってね。今みたいに観光客が押し寄せてなくて、情緒があったらしいですね、昔は。今のこの感じしか知らない人間にはピンと来ないですけどね」
「知ってるって程じゃないんだ。僕も
青年は思い出すように笑った。
「それでも子ども時代に夏を過ごした町が懐かしくなったんですね。そんな感じに海見てましたから」
「そう…かな。まぁ仕事で来てる自体、選んでる所あるからね。自営業をやってて、仕事を広げているうちここでも出店しようかっつー事になって。懐かしさもあったよ。でもさ、子どもの頃の思い出はそのままにしといた方がいいって実感したね。海もさ、昔みたいに綺麗とは思えないんだよね」
「へえ、そんなもんですかね。それにしても自営ってすごいですね。若く見えるのに」
もうとっくに若さのリミットは過ぎてしまっている紳士の給仕は無口そうでカウンター越しに客と話を始めるタイプではなかった。テーブル席からは、客の少ないこの時間に給仕が暇を持て余している印象しかなかった。
「若さって関係あるのかな。それに若作りなだけだし。お兄サン、実は僕とあまり変わらないんじゃない? 別にすごかないよ。好きなコがいてさ、喜ばそうと頑張ったんだ。だけど別居期間も含めて七年で離婚したから、何だったんだって話。仕事頑張り過ぎたのがいけなかったのかな」
「仕事頑張り過ぎると構ってくれないなんて言われるし、かと言って仕事を犠牲にするとかいしょなしって言われる。難しいものですよ。その辺りでしょう?」
「僕の相手はね、初恋の相手に似たコで、それが
あ、この海鮮グラタン、隠し味に牡蠣の調味料使ってる? 美味いな…。久しぶりだよ。こんな美味いの」
「そうですか? 気に入って頂けて光栄です。材料は全て近海で採れたものですから鮮度が違うんですよ。あ、それ邪魔でしょう? こちらにいただきますよ」
給仕は手を差し出した。
「は? あ、ああこのストローの袋? いや邪魔だから持て余してるわけじゃなくてさ、癖なんだ。ストローの袋で折り紙みたく、星やイルカを作るの。よく子どもみたいだって笑われる。別れた妻からもからかわれてた。(笑)」
「あ、本当に星にイルカ…。もしかして…。あ、いえ手先が器用なうえ、ロマンチストなんですね」
「いや元々、従兄弟の兄ちゃんの創作なんだ。その兄ちゃんはこういうの得意で、自分でいろいろ折り方を考えては僕に教えてくれたんだ」
「従兄弟さんとこちらで夏休みを過ごされていたんですか?」
「いや。子どもの頃ここへはいつもぼっちで来てたから」
「そうなんですね。お客さん、飲み物の追加はされますか? グラスがもう空ですが」
「あ、じゃ、このメニューにあるアセロラジュース。これって体にいいのかな」
「健康に気を使われているんですね。先程はオレンジジュースで、今度はアセロラジュースですか。アセロラはビタミンCが多いんですよ。酒浸な連中も多いのに、いい心がけですね」
「いや、一時深酒してた事あって、今じゃ体に気を使ってる。他に誰も気を使ってくれないからね。
ところで店の入口のケースに飾ってある丸い硝子玉、あれ懐かしいと思って見てたんだ。置き時計だよ、カルガモの泳いでる…」
「ああ、あれね、一分間にカルガモの模型が一周するってやつですよね。小さいお子さんが気が付いて面白がってよく見ていくんですよ。大人もね、たまに懐かしいって言って足を止めて下さいます」
「その、妻に似た初恋の相手とカルガモの時計をずっと見つめてた想い出があってさ、懐かしいんだよ」
「え…初恋って一体何才の時の事なんですか? 好きな人との時間なのに、置き時計を見て過ごしてたんですか?」
「十一才の夏休みだったな。まさにこの町で」
「おそらくカルガモ時計がブームの頃でしょう。初恋の舞台がこの町だったんですね」
「うん、そうなんだ。まりりんって呼んでたんだよ、そのコの事。ホントの名前はまりんなんだけど」
「昔の映画女優の名前ですね」
「本当に女優になったらいいくらい。アイドルみたいに可愛かった。細くて足が長くて、歩くたびポニーテールがユラユラ揺れて。夏休みの前半、まりりんと思い切り楽しい毎日を過ごしたんだ。近所の子ども達が金魚のフンみたいにくっついてくるのを必死で巻いてさ。(笑)まりりんと一緒の水族館、高原の遊園地に夏祭り。楽しかったな」
「そうでしょうね…」
「でもそのあと風邪こじらせてしまってさ。季節外れのインフル。寝込んでる間まりりんがずっと側にいてくれたんだ」
「え、そうなんですか?…それはまた献身的な女の子ですね」
「ようやくインフルが良くなってきた夏の終わりに、ふたりして窓際でカルガモの時計を見つめて過ごしたんだ。まだ外で遊んだりできないからね。頭がぼんやりしてて霧の中にいるみたいだったけど、まりりんの笑顔だけは見えてた、不思議にね」
「心の眼で…初恋のコを見てたって所ですか?」
「ん。カルガモが一分かけてガラス玉を一周するんだけど、あんなに一分が長く感じられた事なくってさ。すごく幸せをかみしめてた。カルガモがコクンと動くのが一秒。それもすごくゆっくりに感じられてさ。心臓の鼓動よりずっと遅かったよ。
もしかして何か変な事言うヤツだって思ってない?」
「いいえ、色んなお客さん来ますしね。色んな恋愛話を聞きますよ。結局のところ初恋っていうのはどれも似たようなものです」
「そうなの? カルガモを見てた夏の事、自分だけの魔法みたいな夏だって思ってたのにな」
「フフ、気を悪くしましたか? すみません。その初恋のコの事その後、探したんですか? ここで仕事を始めたって事ですし」
「仕事が順調過ぎて初恋の相手を探す暇なんてなかったんだ」
「子どもの時綺麗だった女の子って反動でボーイッシュになってたりしますからね。会っても分からなかったかもしれませんよ。可愛かったコが必ずしも美人になるとは限らないし。いや、むしろその反対の事の方が多い」
「いや、美人にはなってたよ」
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