雪を溶く熱

肥前ロンズ

秋人がやったことを、私は一生忘れないだろう。

 あの時君に言い放った言葉。

 感情的なまま、君を傷つけようとした言葉。

 その後、ずっと離れ離れになっちゃって、謝る機会もなくて。

 言ってしまったことを、ずっと後悔している。





 ご飯を食べたあと、突然プリンが食べたくなって、私はコンビニに買いに行った。

 八時はどこもかしこも真っ暗で、街灯や自転車の灯りに照らされた周りだけ、雪が降っているのがわかる。まるでそこだけ、突然降り出したように見えてしまう。

 足元を見ると、薄く積もっていた。夜を越したら、こんなあたたかい場所でも積もるだろうか?


「美冬、美冬!」


 後ろから声を掛けられる。

 ーーこの声は。

 慌ててブレーキをかける。

 辺りを見渡すと、やはり見知った顔があった。

 ……ううん、正直に言うと、一瞬誰かわからないぐらい、そいつは大人になっていた。


「秋人……」

「久しぶり。なあ、お前ん家行ってもいい?」

「……もうあんたん家みたいなもんなんだから、私に言わなくてもいいのに」


 そう言って、私はサドルから降りて、自転車を押す。

 秋人はその隣を歩く。



 秋人は、私の幼なじみだ。隣の家に住んでいて、私たちはどちらの家も自分の家のようにして過ごしていた。

 けれど高校卒業後、秋人は都会の航空大学に入学して、それきり疎遠になった。


 彼に悲劇が起きたのは、互いに大学二年生だった時。

 彼のご両親が、亡くなった。

 バスの交通事故だった。


 恐らく、彼は喪主として帰っていただろうけど。

 私はそのお通夜と葬式には行けなかった。入院していたからだ。アニサキスに当たって。

 ようやく退院できたのは、何もかも済んで、彼の家が貸家になった頃。

 彼は既にここを離れていた。







「おばさんのご飯美味かったなー!」

 ごろん、と私の部屋で、秋人は寝転がった。

 ……いやまあ、ベッドじゃなくてカーペットなだけ、まだ良識持っているけど。

 昔は外の服のまま私のベッドで寝てたからなあマジで殺意が沸いた。

「おまえ……他所んちの遠慮はどこ行った??」

「美冬だって自分家だと思っていいっていったじゃん」

「言ったけど……」


 連絡もなしに家に来て、もう夕食を済ました我が家で、たらふく飯食うとか。

 母さんもこいつに甘すぎるんだよ。ったく。


「で、互いに就職する年になったわけだけど、秋人はどうなったの?」

「うん。パイロットになる」


 秋人は笑って言った。

 そうして言ったのは、有名な航空会社だ。

 ……随分遠くに、行ってしまうものだ。


「もう、ここの家の人しか報告する相手、いないからさ」


 ……両親を突然亡くして、経済的にも生活的にも心情的にも辛かったはずなのに、夢を諦めずに秋人は夢を掴み取った。

 すごいよ、秋人は。

 受験で落ちて。そこそこの会社に就職することになって。地元を離れることさえなくなった私に比べると、こいつは本当にまぶしい。


 ……だから、羨ましかったんだよな。


「秋人、ごめんね」

「ん?」

「秋人がここを離れる前夜に、私、本当に酷いこと言った」


『あんたみたいなマヌケなやつ、大学に入ってもパイロットになれるもんか!!』


 ……なんで、あんなこと言っちゃったんだろう。

 本当にくだらないことで怒った。そんなことを言ってしまった。

 多分、「くだらないこと」で心底怒ったんじゃない。


 自分は大学に落ちたのに、どうしてこいつは? だってずっと、成績じゃ私より劣っていたのに!

 そんな気持ちが、表面化してしまったんだと思う。

 それで、相手にちょっとの非があったから、それにつけ込むように罵ったのだ。

 本当に、自分が恥ずかしい。


「ごめん」

「……美冬はさあ、すぐ怒るの良くないよ」


 う。

 秋人の言葉に、短気な私はカチン。

 しかし正論だったため、私はプライドで耐えて続きを聞く。


「だからさ、俺、美冬にどれだけ怒られてもすぐ忘れちゃうようになったんだよねー」


 気にしてないよー、と秋人は笑う。

 ……ようやく私は、安心した。


「すぐ怒るけど、すぐ泣くのも変わらないよね、美冬ちゃん」

「ちゃん付けすんな気持ち悪い」


 きっと、君は広い空に出て、私はちっぽけな地面の上にしかいられないけど。もう、一生会わなくなるかもしれないけど。

 酷い幼なじみは、それぐらいしか祈れないけど。

 どうか君の行き先に、幸多からんことを。




      ■


 朝。

 リビングに降りると、母さんが「秋人くんさっき行ったわよ」と言った。

「お見送りぐらいしてあげたら良かったのに。今からだったら間に合うわよ」

「いいよ、別に……」


 また泣いてしまいそうだし。

 そう思いながら、私はふと、昨日買ったプリンを思い出した。

 結局秋人の相手をしているうちに、プリン食べ損なったんだよな。

 そう思いながら、私は冷蔵庫を開ける。



 …………。


「ねえ母さん、ここにあったプリン知らない?」

「え?  ……あ」


 まずい、という感じで、母さんは目を逸らした。 


「何、そのやばい『あ』は」

 ーーまさか。


 怒らないでね、と母さんは言った。


「秋人くんが、起きてすぐ、食べちゃった……」



 私の脳裏に、過去の出来事がフラッシュバックする。

 あいつが大学進学のために地元を離れる前夜のこと、あいつはあろうことか、


 あ た し の プ リ ン を 食 べ や が っ た。


 ……頭から熱が去ったとき、あたしはなんて「くだらないこと」で怒ったんだろう、と後悔した。

 しかし、今再び、その怒りが蘇ると、ーーあたしは自分の心の内を知る。


 あたしにとって、あれは、何時いかなる時も「くだらなくない」ことだったのだと。

 あいつの、「忘れた」発言は、心の広さとかじゃなくて、ガチめに忘れたということ。

 そして、どちらも変わる気がない限り、歴史は繰り返されるということ。


「……母さん、あたし、今から行ってくるね」


 サドルに積もった雪を振り落として、あたしは自転車をまたぐ。

 草の上に積もった雪は、あたしの乗る自転車のタイヤの摩擦の熱により、溶けている。


 駅まで車で10分、普通なら自転車じゃ20分。

 しかし今日のあたしはひと足ちがう。絶対に追いつき、追い越し、ぶん殴ってみせる。

 怒りに身を任せ、あたしは雪の道を爆走し、あいつの後を追うのだった。



 完!

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