美冬が小学校に上がる少し前に秋人はあらわれた。遠縁の子を使用人として迎える旨を聞いた美冬は遊び相手ができたと喜んだ。逆らえない秋人は美冬の後を影のようについてまわる。風呂と寝室以外は飽きることなく時間を共にし、屋敷を抜け出す時も一緒だった。母を亡くした美冬が白い花を睨み付ける時も秋人はかたわらにいた。

 美冬はいつまでも秋人が後ろについてくると思い込んでいた。

 美冬は何もわかっていなかった。同じ学校に通っていた秋人が全寮制の軍幼年学校に入学することも、自分は女学校に通い別々の道をあゆむことも。秋人がいつも美冬のそばにいる理由も。

 秋人が寮に入る時、癇癪持ちの美冬は屋敷を飛び出した。空風が落ち葉をけちらす中、地蔵の横に座り込む。

 追いかけてきた秋人に名を呼ばれた。顔を上げる美冬が見たのは刀を振り上げる知らない男。

 息を飲む間もなく振り下ろされた刃は美冬の額を切りつけた。体が引っ張られたと感じたのは、額から熱が吹き出すのと同時だ。

 男の悲鳴が遠くで聞こえる。美冬は自由のきく片目を開き、音の方を見た。白い何かが男をおおっている。鼻に届いた臭いで、それが炎だと気づいた。肉を焼く臭いは自身の血の臭いでかき消される。声が聞こえたが、返事をする前に意識を手放していた。

 次に美冬が目を開けた時、布団から見上げた秋人の髪は白くなっていた。燃える白炭が脳裏をこがすようだ。記憶の中にはない秋人の額の包帯に眉根を寄せる。美冬は痛む傷を思いだし、彼が禁忌を犯したのだと悟った。

 座学でさわりしか習わなかった人の傷を人に移す異能。秋人は不完全とはいえ、それをやってのけた。

 美冬は気にくわなかった。自分にあらわれない異能を秋人が持つことも、自分の傷を勝手にとったことも。白い髪の奥で不安にゆれる暗雲の瞳もわずらわしくて仕方ない。


「私はお前がねたましい」


 隠すことなくぶつける。

 友を送り出す言葉ではなかった。



 美冬は薄暗い中で瞼を開けた。白い記憶のせいで、寝た気がしなかった。

 美冬は体を起こし、耳をすませる。遠くで昨日の晩も聞いた音がした。寝間着のまま、襖と木戸を次々と開けていく。

 薄暗い世界にまんべんなく降りつもった雪。美冬の屋敷からは朝日に照らされいく街が一望できた。

 白く染まった都を縫うように線路がのびている。汽車が白煙を吹き出しながら、力強くかけていた。美冬が願ったように汽車が止まることはない。


「良いわね。男で、力のある人は」


 美冬がねたんでも雪が吸うだけだ。白い息が消えるとは逆に虚しさが胸をみたす。

 美冬は自身を抱きしめるように腕を回し、どんどん小さくなる車両をにらんだ。鼻の奥がツンとして、あたたかいものが冷たい頬を滑り落ちていく。

 いつも秋人の方が先にいく。美冬は悔しくて、うらやましくて、情けない。

 昨夜の白い熱は夜にも寒さにも揺るがなかった。

 自分がひどい仕打ちをしても、彼は梅の花を忘れないでいてくれた。

 はじめて、美冬は秋人に許してほしいと思った。白い花が背中を押してくれる。

 美冬は人差し指を汽車にむけた。秋人をまねて、指先に氷の花を作る。ひとつだけなのに小さな花は思うようにできない。

 朝日をあびるいびつな花がきらりと光る。

 美冬は流れる涙を乱暴にぬぐった。



   。。。



 秋人はテントの端に白い梅を見つけた。誰かが見舞いに置いていったのだろう。殺伐とした中でも臆することはない。

 ふくつの花ね、と冬を越した梅をあおぐ幼い横顔を思い出す。すこやかに過ごしていればいい。かの人を想って秋人は目を細めた。


「あら、死神でも怪我をするのね」


 テントの外から聞こえた声に秋人は言葉を失った。他の者は寝入っているので、若い女性の声が響くのは可笑しい。まして、聞き覚えがあるのは気のせいだろうか。

 秋人が顔を向ければ、白い服を着た美冬がすました顔で入口に立っていた。カルテをめくりながら、簡易ベッドの横にたつ。


「死神さん、具合はいかがですか」


 美冬の問いに秋人はなかなか答えられなかった。

 『白炎の死神』とは敵がつけた秋人の呼び名だ。


「……その呼び方は居心地が悪いです」


 秋人は目を伏せる。疑問をいだいても、口下手な秋人にはきく術がなかった。

 美冬はカルテから秋人に顔を向けて、嫌みったらしく眉を上げる。


「じゃあ、葛西大尉?」


 秋人の無言の返答に美冬はため息まじりに言ってやる。


「秋人、と呼ぶには大人になってしまったわ」


 希少な異能は銃という文明の波には逆らえず、多くのものが倒れた。

 長くつづく戦争に先は見えない。敵も味方も関係なく、暗雲がたちこめる。

 美冬は片方の口端を少しあげた。下から見上げる秋人にはよく見える。


「お前も諦めていないのでしょう?」


 美冬のためすような台詞に秋人は小さく頷いた。秋人を奮いたたせるのはいつだって彼女だ。

 守るべき存在だった彼女が秋人の隣に立つまでになった。戦場に花は必要ない。しかし、それさえも美冬はくつがえしていく。

 秋人は顔をあげた。

 そこには不屈の花が咲いていた。

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雪を溶く熱 かこ @kac0

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