深夜のカップラーメン哲学

深見萩緒

深夜のカップラーメン哲学


 カップラーメンを作ろう。僕は深夜に思い立った。確か昨日、スーパーで安売りされていたチーズカレーラーメンを購入したはずだ。

 時刻は深夜二時。ゲームをしていたらついこんな時間になってしまった。だが明日は日曜日だし、特に問題はない。聡明な諸君はご存知かもしれないが、カップラーメンを始めとするジャンクフード類は、深夜に食べることで背徳感という調味料が加わり、日中に食べるより遥かに美味しくなるのだ。


 僕はケトルを水道水で満たし、加熱のスイッチを押した。たった一分そこそこで熱湯が手に入るのだから、文明の利器というものは素晴らしい。ただ消費電力はかなりのものなので、エアコンや電子レンジと併用するとブレーカーが落ちかねないのが玉に瑕だ。


 シュンシュンシュン。ケトルが湯気を吐き出し始める。手元には割り箸。深夜の間食の際は一切の洗い物を出してはいけない、という暗黙のルールについても、もちろん諸君らはご存知だろう。

 さてここで、僕はある問題に気がついた。湯があり、箸がある。ここまでは良い。肝心のカップラーメンがない。いつもならば保存食用の棚の中にあるはずなのに、棚の中にはレトルトカレーやパスタのソースが並ぶばかりだ。

(どこだ……どこに行った?)

 考えを巡らせる。過去の自分の行動をなぞる。どこだ? どこにしまった?

 プラスティックのスイッチがカチッとささやかな音を立て、湯が沸いたことを僕に知らせる。僕は額ににじむ脂汗もそのままに、百均で買った三分砂時計をひっくり返した。


 これは僕の持論だが――カップラーメン最大の価値とは「手軽さ」である。忙しい現代人にとって、時間とは何にも代えがたい財産だ。ゆえに「時短」はそれそのものが価値となり、「手軽さ」は魅力となる。

 カップラーメンは手軽でなければならない。カップラーメンに手間と時間をかけることはカップラーメンへの冒涜、ひいては現代社会の時間至上主義に対する叛逆と言っても過言ではない。

 …………訂正しよう。確かに僕もカップラーメンにやたらと時間をかけ、超豪華チキンラーメンなるものを美味しく食したこともある。しかしそれはそれ、これはこれだ。深夜に食べるカップラーメンに、手間と時間をかけてはいけないのだ。

 話が長くなった。要するに僕が言いたいのはということなのである。

 これから僕は三分以内、この砂時計の砂が落ちきる前に、カップラーメンを探し出す。もし見つからなければ――僕は、深夜の悦楽を諦めなければならない。


 なおこのモノローグは現実の時間にしてわずかコンマ数秒であるため、時間のロスはしていない。安心してほしい。


 さて、まずはどこを探そう。決まっている、バッグの中だ。僕は合理主義者であるため、近所のスーパーがレジ袋一枚三円制度を導入したその日にエコバッグを購入した。もしやとは思うが、買ったままエコバッグの中に入れっぱなしなのではないかと思ったのだ……が。

「ハズレ……か」

 エコバッグは丁寧に正方形に折りたたまれている。ポッケにも入ってどこにでも持っていける優れものだ。しかも可愛らしい柴犬のイラストが描いてある。僕のお気に入りだ。

 ……と、エコバッグの自慢は良い。それよりも、畳まれたバッグの中になにかが入ったままだ。エコバッグを広げてみると、それはスーパーのレシートだった。よく見てみると、そこには確かに「チーズカレーラーメン」の文字がある。ああ、お前を探しているんだよ。


 横目で砂時計を見る。砂はまだ上の方に溜まっている。僕は再びレシートに視線を戻した。ラーメンと共に買ったのは……ペパーミントガム、鶏のムネ肉、ピーマン、牛乳、そして鰹節と青のり。

 そうだ。昨日は確か、金曜の夜だからと友人らを呼んで、たこ焼きパーティをしたのだ。そしてパーティが始まる前、たこ焼きパーティに足りないものを購入したのだった。たこ焼き粉と具材、ソースは友人が持ってくるというから、僕は鰹節と青のりを……。

「ん? 待てよ。乾物……そうか!」

 乾物はシンクの上の棚にまとめて置いてある。その棚に、間違えてカップラーメンも一緒に入れてしまったのかもしれない。

 僕は台所へ行き、期待と共にシンク上の棚を開け放った。花鰹の大袋、青のりの小袋、干ししいたけ、白ごま。カップラーメンは……ない。

「そんな……」

 砂時計を見る。青い砂はもう半分落ちきっている。まずい。時間がない。僕に与えられた三分が過ぎていく。同時にせっかく沸かした湯も冷めていく。急がなければ。僕はまた脳をフル回転させる。何か引っかかることがあった。

(鰹節……青のり……たこ焼きパーティ……)


 社会人になってから、大学の時の友人と会う機会はめっきり少なくなってしまった。たこ焼きパーティを企画してくれたのは友人、犬山だ。機会とはその辺に転がっているものではなく、自らの手で作るものなのだ。とは彼の談である。僕はなるほどと納得し、犬山を筆頭に同じゼミで勉学に励んだ友人らをたこ焼きパーティに招待したのだ。

 久しぶりによく笑い、よく食べ、よく飲んだ。そのせいで今日は昼過ぎに起床するはめになったのだが……。

「……犬山……?」

 昨日、酒を飲みたこ焼きをつつきながら、犬山が何か重大なことを話していたような気がする。なんだっけ……?


 ――そろそろ別のもん食いたいな。

 ――なんかない? 味の濃いやつ。

 そこで犬山が勝手に棚をあさり始めたので、僕は「やめろよ」と彼を制止した。しかし酔いの勢いも手伝ってか、犬山は止まらず……。

 ――お、いいの見っけ。これ食べていい?


 ああ、あのとき、僕は気持ちよく酔っていたし……つい言ってしまったんじゃなかったか?

 「別に、いいよ」と……。


「ああ……あああ……」

 僕は絶望に膝を折り、その場に崩れ落ちた。酔っていたので記憶は鮮明でないが、そうだったような気がする。犬山の口に吸い込まれていくチーズカレーラーメンが目に浮かぶようだ。

 食われた。食われていた。僕のチーズカレーラーメン。

 砂時計を見ると、ちょうど最後の一粒が落ちるまさにその瞬間だった。タイムオーバー。僕とチーズカレーラーメンは永遠に隔たれた。

「犬山……犬山ァッ!」

 僕の胸にあるのは憎しみ、ただそれだけだった。深夜二時にも関わらず犬山に電話をかける。なんと深夜だというのに、犬山はわずか数コールで電話口に出る。僕は食欲の代わりに身体に満ちた憎悪全てを、犬山にぶつける。

「お前、ふざけんなよ!」




「え? チーズカレーラーメン?」

 俺が聞き返すと、熊沢は「そうだよ!」と怒鳴った。深夜なのに元気なやつだ。

 どうやら、昨日のたこ焼きパーティのときに食ったチーズカレーラーメンについて、色々と文句があるらしい。

「食っていいって言ったじゃん」

 すると熊沢は「あれは酔ったはずみで」とかなんとか、つまらない政治家のような言い訳を繰り出す。その後も「深夜に食べるカップラーメンの崇高な価値が云々」とかよくわからない話が続く。熊沢は良いやつだけど、こういう所がちょっと面倒臭い。


 で。熊沢の話を聞いていたら、何だか腹が減ってきた。ぎゃあぎゃあとうるさい声の漏れるスマホをテーブルの上に放置して、俺はを取りに行った。

 びりり。薄いビニールを破り、紙の蓋を半分だけ開ける。ケトルに水道水を満たし、スイッチを入れる。シュシュシュ、シュボボボ。俺の使うケトルは型が古いやつで、少しばかりうるさい。

『……何の音だ?』

 湯沸かしの音を電話越しに聞いたらしい熊沢が、「まさか」というニュアンスを含めて俺に尋ねる。まあ、隠す必要はない。俺は正直に答えた。

「カップラーメン食べようと思って」

 通話画面の向こうから、まるで断末魔のような「ああああああ!」という絶叫が聞こえた。近隣住民から苦情が来るんじゃないか?

『お前……お前、お前!』

「いやあ、昨日食ったチーズカレーラーメンが美味しくてさ。帰りにコンビニで、同じもの買ったんだわ」

 カチッ。軽い音がする。湯が沸いた。俺はケトルを取り、既にスパイスの匂いをプンプンさせている魅惑の円筒へと傾けた。コポポ。規定の線まで熱湯を入れたら、そっと紙蓋を閉めて重し代わりに割り箸を置く。熊沢はまだ喚いている。通話画面に通話時間の表示がされているので、三分を計るのに丁度いい。

『覚えてろ、この外道……覚えてろよ! この恨みは必ず晴らす!』

「ごめんごめん、今度カップラーメンたくさん持ってってやるから」

『今! 食べたいの! 僕は! チーズカレーラーメンを! 今! 食べたーい!』

 面倒臭い。


 さあ、三分経つ。俺は少し固めが好みなので、ぴったり三分を待たずに蓋を開けた。ふわり。カレーの香りを内包した湯気が、俺の鼻をくすぐる。口の中に溢れ出した唾液を飲み込む。

 カレー味のスープに溶けたチーズが彩りを与え、見た目も「ザ・ジャンク」という感じ。深夜のご馳走としては完璧だ。パキッ。割り箸も綺麗に割れた。熊沢が喚いている。そうだ、もうタイマーは必要ないのだし。俺は通話を切る赤いボタンをタッチした。熊沢のうるさい声が切断される。


「いただきます」


 平穏な深夜の静寂の中、一口目。まずはスープをいただく。ズズッ。ピリ辛カレーの濃い味。辛さの中に甘みと旨みが絶妙な配分で混ざり合い、見事なハーモニーを奏でている。メーカーの人間は、相当苦心してこれを開発しただろう。

 次に麺。溶けたチーズを逃さないように、スープと一緒にズゾゾッといただく。縮れ麺にチーズとスープが絡みつき、口の中に一気に押し寄せる。美味い。美味すぎる。カレーの味にチーズのコクが加わり、より贅沢で高級な味を演出している。

 それに最近のカップラーメンは、も進歩している。一昔前はしなびたキャベツとぐにぐにの肉しかなかったが、昨今のかやくはかやくと侮れない。

 カレーラーメンだからか、かやくもカレーの具材に準じているようだ。角切りのじゃがいもはホクホク。人参特有の野菜の甘みもきっちり再現してある。極めつけは、シャキシャキと小気味いい食感を与える赤い切れ端――福神漬けだ。こんなものまで入れてしまう、としての妥協のなさには、最大限の敬意を表するしかない。


 美味い。美味い。スープを飲み麺をすすり、またスープを飲む。ラーメンの熱さとスパイスの効果によってか、鼻の下に汗が玉を作る。それに、鼻水も出てくる。ラーメンを食べると鼻水が出てくるのは、どういう原理なんだろうか。まあ、どうでもいいや。ラーメン美味いし。

 ズルズル、ズズズ。ふうっ。ズズッ、ごくん。はあっ。


「ごちそうさまでした」


 すっかりカラになったカップラーメンの容器は、水滴のついた紙蓋と汚れた割り箸と、口元を拭いたあとの丸めたティッシュまでも受け入れてくれる。まとめてゴミ袋に詰め込んで、俺は至福の溜め息をついた。

 深夜のカップラーメン。一般庶民に許された――いや、あるいは一般庶民にしか許されない、最高の幸福。俺はなんて幸せ者なんだ。カップラーメンを開発した人と、チーズカレーラーメンの開発に携わった人と、あとチーズカレーラーメンの存在を教えてくれた熊沢に、感謝。



 後日、熊沢の家にチーズカレーラーメンを半ダースと新作のトムヤムクンラーメンを持っていったら、熊沢はカップラーメンの哲学とやらを実に三十分以上もかけて演説した。そして一息つくと、俺が持ってきたトムヤムクンラーメンのカップに、さっき沸かしたばかりの熱湯を注いだ。

「いいか、犬山。カップラーメンは手軽、安価。されど悪品にあらず。カップラーメンとは人類の絶え間ない努力の結実であり、より良い未来を求め邁進する向上心の具現であり、文明そのものと言っていい。それを奪うということはだな……」

「分かった分かった。ったく、面倒臭いな」

 ピピピピ。三分経過を知らせるアラームが鳴った。ほぼ同時に、熊沢の三分砂時計も全ての砂を落とし尽くす。

「ほら、いいから食おうぜ」

 熊沢をなだめて、俺はカップラーメンの紙蓋を開けた。トムヤムクンのエキゾチックな香りが食欲をそそる。

 ああ、カップラーメンばんざい!

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深夜のカップラーメン哲学 深見萩緒 @miscanthus_nogi

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