青い目の魔除け
吉野屋桜子
青い目の魔除け
大学の友人が夏休みにトルコに行ったお土産を貰った。
青い目のお守りだ。ナザールポンジュウと呼ばれる。
実は、私を産んで直ぐに亡くなった母の形見の中にも一つある。それを今もとても大切にしている。
少し悲しくて懐かしい子供の頃を思い出した。
私がまだ小さい頃に、母は白血病で亡くなった。
白血病の原因というのははっきりとは分かっていない、20代から40代の人が亡くなる死亡原因の一位だと聞いた事がある。
体調不良から、病院に行き、診断結果が出た時は父も母も信じられなかったようだ。けれど現代の医療であれば白血病でも完治した例は多くある。そんな風に思って夫婦で頑張ろうと誓ったそうだが、残念な事に病状の進みが早く、母は儚く逝ってしまったのだ。
白血病に限らず、癌にかかる者は今や二人に一人の割合と言われる。現代人は、どれだけ体に悪い物やストレスに晒されているのだろう。
当時、残された父は、手のかかる私を抱えてかなり困ったようだ。
父は母とは大恋愛で結ばれたので、亡くなった時はその喪失感で生きる気力を失くしそうだったようだ。けれど私が居た事で立ち直れたのだという。詳しい話は知らないが、母は両親を早くに亡くしていた。
そして、父の父母は父が結婚する2年前に車の事故で揃って亡くなり、頼れる身内というのが父には当時大学生だった妹しか居なかったのだ。
その車の事故というのも、若いドライバーの飲酒事故だったそうで、人の生死というものは、いつどういう事が起きるのか予測もつかないという事が身に染みたという。
当時、その父の妹であるわたしの叔母は、まだ大学生だったけれど、私を可愛がり面倒をよく見てくれた。
父が忙しく送り迎えが無理な時は、乳児院の送り迎えや家での私の面倒をよく見てくれた。
生活のお金は、父も働いていたし、祖父母が受取人を子供二人にしてかけてくれてくれていた保険金が出たので、叔母も大学へ行くのには困らなかったのだ。叔母の名は希恵(きえ)と言って、私は彼女の事をずっと、
「きいちゃん」と呼んで大きくなった。
そして、私が四歳になる頃、知り合いの勧めで父がお見合いをして、新しく母親となる人が出来た。
新しいお母さんが家に来る事が決まると、きいちゃんは一緒に住んでいた自分が育った家を出て一人暮らしを始める事になり、私は悲しくてとても泣いた事を覚えている。
「百(もも)ちゃんにはお母さんが出来るの。そうしたら今度は新しい家族が出来るのよ。こんどは新しい家族を大事にして幸せになって貰いたいな」
私の名前は『百花』と書いて、ももかと読んだ。きいちゃんは私の事を「百(もも)ちゃん」と呼んでいた。
子供心にも、どうしても、私はきいちゃんと別れるのは嫌だったけど、残念ながらその別れは直ぐにやって来た。
きいちゃんは、大学で学んだ語学を生かして外資系の会社に入り、仕事の都合で外国に行く事が多くなるという。
お父さんは、今まで私の為に傍にいてくれたきいちゃんに、今度は好きなだけやりたい事をやって貰いたいと望んでいた。
だから、私が新しいお母さんと、お父さんと三人で幸せな家族になればきいちゃんも安心するのだと父と周りの大人達に言われれば、何も言えなくなってしまった。
『新しいお母さん』は優しかった。きいちゃんが家に居なくなって寂しかったけど、代わりにお母さんとして来てくれた人は、優しくて、私の好きなオムライスだとか、クリームシチュー、ハンバーグも作ってくれた。
私を産んでくれたお母さんの写真は、私の子供部屋に飾ってある。
お父さんと、私を抱いたお母さんが三人で写っている写真だ。
「それは大切な写真だから百花がもっていなさい」
と、お父さんに言われた。
もう一つ、お父さんとお母さんが新婚旅行で行った、トルコのお土産で、お母さんがいつも大切にしていたというナザールポンジュウのキーホルダーも貰った。
きいちゃんは、私を産んでくれたお母さんの事を忘れる必要はないよ、と言ってくれた。
そして、新しいお母さんは、私を育ててくれるもう一人の大切なお母さんになるのだから、大切にしなさいねとも言われた。
新しお母さんの事は、一緒に住むようになってからは「お母さん」と呼んだ。
お母さんは抵抗なく「お母さん」として私の中で位置づけられた。
そして、私が小学校に上がる頃に弟が生まれた。
きいちゃんは、一人暮らしをしているけど、たまに私の顔を見に家に来てくれた。
『ナザールポンジュウ』とは、トルコという国の青い目を模した魔除けだった。
青いガラスの色がとても綺麗で、目玉というよりは金太郎飴の丸い模様のような可愛さのあるモチーフが気に入ったのだ。
その青い目はトルコでは邪視から守ってくれるというお守りなのだそうだ。
日本には邪視という考え方はないらしい。でもトルコやエジプトではこの邪視から守るという事で魔除けとしてお土産としても多く扱われているそうなのだ。
エジプトでも青い目のモチーフの魔除があるそうだけど、もっと人の目だと分かるデザインだという話だった。
これは、イスラム圏の民間信仰だという話だったが、当時の私には色々と知らない言葉が多く、聞き流していた。
そして、幼い私には邪視という言葉がよく分からず、邪視って何なのかときいちゃんに聞くと、羨望(せんぼう)の眼差しとも言われていると教えてくれた。
今度は羨望の意味が分からないと言うと、
「人を羨ましいと思う気持ち」だと教えてくれた。
「自分が持っていないものを持って居る人を羨ましいと思う気持ちは、その裏では自分が持たないものを持っている人がそれを失えば良いと思うんだって。人のそういう気持ちはとても怖いものだから、そんな視線から守ってくれるというお守りなんだって」
と、私にも分かり易いように噛み砕いて、きいちゃんなりの言葉で教えてくれた。
私の弟は翔くんという名前で、二歳になると、とてもやんちゃになった。
そのせいかわからないけど、この頃からお母さんがあまり構ってくれなくなったし、話しかけると面倒そうな表情をする事が多くなって来た。
お母さんは私の事が嫌いになったのだろうか?
そんな風に思うような事が時々あったけど、お父さんが家に居る時は、前の様に優しいお母さんだったので、気のせいだと思い込もうとしていたのだと思う。
私の部屋の亡くなったお母さんの写真はその頃からよく家に帰ると倒れているようになった。
それは毎日続く様になり、ついにはガラスにひびが入っていた。嫌な感じがするので鍵の付いた机の引き出しの中に入れ、鍵はランドセルに入れて学校に持って行くようになった。
お父さんには言えなかった。
最近学校から帰ると、机の中や周りが弄られているような気がするのだ。
そして、それまでは家に帰ると、いつも何かしらおやつが用意されていたけど、それが無くなった。
初めの頃は、「お母さんおやつは?」と聞いたけど、
「何を言ってるの、もう食べたでしょ。卑しい子ね。母親がそうだったのかもね」、とその時は言われた。意味が分からなかった。
食べていないのに、もう食べたはずだ、卑しい子だ、変な子だと言う。私には卑しいという意味が良く分からなかった。それに、そんな憶えがないので食べていない、違うというと、頭がおかしいと言われた。おかしいのはお母さんだと思ったが、目付きが怖くて睨まれているのに気付き、怖くて言えなかった。
よく分からないけど、お母さんは私が嫌いなのだと分かった。
それを何度か繰り返し、その度にとても嫌な顔をされるので、おやつが欲しいとは言えなくなってしまった。
たまにきいちゃんが会社の休日に家に来ると、普通に翔くんと同じようにおやつを与えてくれた。
でも、きいちゃんの居ない時に、「希恵さんに私の悪口を言ったりしたら、家から追い出すからね。お父さんに言っても、お父さんは私の味方だし、跡取りの翔の方が大事だから、あんたの事なんて追い出してしまうんだから」
と鬼の様な顔で言われた。それが恐ろしくて、哀しくて、たまらなかった。どうしたらいいのかわからない。
「お母さん」は、もうお母さんではないのだと思った。
お父さんに言いたくても、いつも「お母さんが」近くにいて言い出せなかった。
まるで、私を見張っているようだった。
私は、どうしてお母さんがこんな風になったのか、私が悪い事をしたのか考えこむ様になっていった。
そんな時は、あのお守りを取り出して握った。青いガラスは心を落ち着かせてくれた。
「お願いです、お母さんがこわい人になりました、たすけてください」
ある日、居間の棚の上に忘れて置いていたその青い目玉のキーホルダーを、翔君が背伸びして取り上げ、口に入れようとしたのを見て、喉に詰まらせたら危ないと思い、思わず大きな声を出して取り上げた。
「翔くんダメ!」
それを見ていた「お母さん」は、突然向こうから走って来たかと思うと、大きい音がする程、私の頭を思い切り叩いたのだ。
「何でそんな乱暴な事するの!翔が怪我をするでしょっ!」
その時小学校2年生だった私は、叩かれた勢いでそのまま居間のテーブルの方に転げ、そのテーブルの角で酷く頭を打ったのだった。運の悪い事にその角は面取りをしていないデザインで角が出ていた為、打った所が熱いと思い額に手を当てるとパタパタと赤い雫が手に零れて来たのだった。
「あ・・・」
私はそんな怪我をした事が無かったので、落ちて来る血をどうしたら良いのか分からず、絨毯に落ちて行く赤い雫を呆然と見ていた。
すると、お母さんの剣幕に驚いた翔くんは火が付いたように泣き始めた。
絨毯の上に落ちたナザールポンジュウが、不思議な事に青い色から赤い色に変わっている。それを拾い上げ、じっと見る。赤くなったのは私の頭から落ちてくる赤い雫が付いたせいでは無い様だった。その間も絨毯の上にポタポタと血は落ちていったけど、おかしな話、赤い目が笑う様にふにゃりと歪んだ様な気がした。
まるで、私を落ち着かせようと、笑った様に思えた。
その時、急にきいちゃんの声がした。
「こんにちはー、ベルを鳴らしても誰も出て来ないから・・・」
と、きいちゃんが、急に居間のドアを開けて入って来たのだった。
「百ちゃんっ!どうしたの?頭から血がっ・・・」
「かっ、勝手に転んだのよ。テーブルで打ったのよっ」
お母さんがあわてて嘘を言ったので、私は思わずはっとして見上げた。その間、私の傍に走ってきたきいちゃんは、自分のハンカチで私の傷を強く抑えてお母さんに向けて怒った。
「正美さん、怪我をしている子供を見ても、何もせずにそんな事を言うなんて・・・貴女、もしかして、百(もも)ちゃんを虐待しているの!?母親ならまず助けようとする筈でしょ!」
今まできいちゃんが怒った姿を見た事が無かった私は、きいちゃんが怒って怒鳴った事にびっくりした。
「なっ、そんな、事、するわけないじゃない!」
お母さんは付けていたエプロンを握り締めて目を反らした。
「私、兄さんから、最近百(もも)ちゃんの様子がおかしいから見て来てくれと言われたのよ」
「えっ・・・」
「貴女の様子もおかしいって言っていたわ。時々、百ちゃんをきつい目で見ている気がするって言ってたわ」
「そんな・・・」
「どちらにしても、はっきりした事が分かるまで、百ちゃんは私が預かります。病院に連れて行くから保険証を出して下さい」
きいちゃんは私の怪我を確認すると、しっかりハンカチで傷を抑えておくように私に言った。
「顔とか頭は少しの傷でもたくさん血が出るからね、大丈夫ちゃんと病院で治してもらおうね」
「うん」
それから直ぐに、きいちゃんの剣幕に青い顔をした「お母さん」は私の保険証をきいちゃんに渡した。
きいちゃんは、よく知っている近所の外科に電話をしている。
私はきいちゃんにだけ聞こえるように言った。
「わたし、ずっと、きいちゃんといっしょがいい・・・」
ぽそりと言ったら、きいちゃんが悲しそうな顔をして背中を撫でてくれた。
ハンカチの上から傷をタオルで縛ってくれたきいちゃんは、それから私をそっと抱き上げてくれた。
そう言えば、きいちゃんは良く抱っこしてくれたけど、お母さんは抱っこしてくれなかったなと思う。
私は、きいちゃんが私を預かると言ってくれた事にほっとした。
そして、「お母さん」とは視線を合わせなかった。
「うん、一緒にいるから大丈夫だよ、百ちゃん」
「・・・お母さんは、お母さんじゃないから、怖い。もう、きいちゃんと一緒にいたい」
安心した私は、今度はお母さんに聞こえてもいいからはっきりそう言った。
「百っ!」
お母さんが大きな声を出したので、私はビクリと震えた。それを見てきいちゃんは、お母さんを静かに見つめてから、優しく私に言った。
「この人はもうお母さんじゃなくなっていたんだね、ごめんね百ちゃん、気付いてあげられなくて」
きいちゃんはきゅうっと私を抱きしめてくれた。
私は涙が止まらなかった。
「違う!違うのよっ、ワザとじゃないの!」
お母さんだった人の声が響いた。
その日の夜、お父さんはきいちゃんのマンションに来てくれて、色々話をした。
私はつっかえつっかえしながら、今までお母さんからされていた事を話したのだった。
お父さんは辛抱強く私の話を聞いてくれた。そして気付くのが遅くなって悪かったと言いながら、涙を流して「ごめんな、ごめんな」と言って私を抱き締めてくれた。
私は『お母さんだった人』が居るあの家には帰りたくないとハッキリお父さんに言えた。ポケットの中の赤い目のお守りが私を励ましてくれているようだった。何だか温かくて懐かしい感じがした。
その後、お父さんとお母さんがどんな話をしたのかはよく知らない。
きいちゃんと一緒に暮らす事になった後、二度と『お母さんだった人』に会う事はなかった。
お父さんはそれから一年経たない間に離婚したのだ。翔くんは『お母さん』が引き取り、養育費をお父さんが払う事で話は纏まったらしい。
私は知らなかったけど、結婚する時に、『娘を大切にしてくれる人』という条件で探した相手だったそうだ。
お母さんは、亡くなる時に、お父さんに言ったそうだ。
『これだけはお願いね。貴方が再婚する事があっても、絶対、百花を不幸にはしないで欲しい』
そう、遺言を残したそうだ。残念な話だけど、連れ子を虐待する話はとても多いからだろうと、きいちゃんが言っていた。
世の中にはそうでない人もいるけれど、離婚が多い今の時代、事件も多い。子供の様な精神力しか持たない者同士が、別れたり再婚した場合、しわ寄せが小さい子供にかかるのだ。
私の場合、翔君が生まれて、気持ちが良く無い方に大きくなっていったあの人は、私がお母さんによく似ている事と、写真立ての三人で写っている写真がいつまでも置いてある事に、不安を感じたのかもしれない。
だけど、他にやりようは幾つもあったはずだ。ただ、お父さんがお母さんとの約束を守ってくれた事には感謝している。人は自分の楽な方に流されてしまいがちだ。
それから、またお父さんと、きいちゃんと三人で暮らすようになった。
翔くんは、時々お父さんと会っている。最近になって、私が怪我をした時の事をハッキリと覚えているとお父さんに言ったそうだ。不思議だなと思った。そして、いつか、私に会いたいそうだ。
落ち着いた日々を取り戻し、時は流れる。
今でも私は、ナザールポンジュウを身に着けているけど、その後、二度と赤い色に染まる事は無かった。
青い目の魔除け 吉野屋桜子 @yoshinoya2019
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