夜明け前の蒼い薄闇に立つように

 現代はスピードの時代です。よって、人はそれに追い付かなければならない。
 情報が溢れ、時間に追われる生活のなかで、形を成す前の未分化な思考や感情が目まぐるしく渦を巻こうとも、そんなものにいちいち構っていたら、社会のスピードに追い付けなくなってしまう。
 なので、些細な心の躓きなど、素知らぬ顔で流してしまう人がほとんどでしょう。
 
 詩を書く人、というのは、そうやって躓いた心を無視する事の出来ない、不器用な人なのだと思います。
 言葉になる前の未分化な思いや感情を拾い上げ、仔細に見つめ、色彩を施し、名を与える。
 それは少し魔術に似ています。故に詩人とは異端の別名です。

 しかしそうやって紡がれた言葉に、私たちはどこかで見覚えがある。それはいつか自分が日常の中で振り捨てて来た、様々な想いの欠片によく似ている。

 この『蒼の時間』を読んだ人は、ここに紡がれた言葉の中に、きっと自分の似姿を見るはずです。
 ほとんどが作者の個人的な独白に過ぎなかったとしても、それは鏡のように読む人の心を映す。

 夜明け前の蒼い薄闇の中で鏡の前に立つように、私はここに書かれた詩の中に、幾つもの自分を発見しました。

 詩というものが現代でもなぜ滅びずにいるか。詩を読むという行為は久し振りですが、その普遍性の魔術の一片に触れたような気がします。