彼女とわたしだけのカメラ・オブスキュラ
高橋末期
彼女とわたしだけのカメラ・オブスキュラ
カメラ・オブスキュラ――――暗い部屋の小さい穴から景色を映し出す光学現象を扱った装置、道具。ラテン語で「暗い小部屋」を意味する。今日のカメラの語源でもある。
一枚の写真がある。
とある心霊スポットで撮ったわたしとクマミを写した銀塩写真。
「うわー、いつ見ても気持ち悪い写真だよねー」
彼女はその写真を見る度に、その無邪気そうな笑みをわたしに浮かべていた。
わたしは彼女にある嘘をついていた。
中央特快の終点駅でよく耳にする人も多いと思われる東京都O市。ここがわたしが生まれ育った場所だ。
一応、東京都と表記されているが、東京とは名ばかりで、目に入るものといえば、特に何の目立った印象のない青々とした山々と、没個性的な多摩川しか取り柄のない、いわゆる辺境の片田舎だった。
そんな田舎に住んでいる高校生というのは、娯楽も限られている……というのは大昔の話で、Wi-Fiとスマホとゲーム機一つあれば、ここが田舎で何であろうと、数え切れない娯楽やショッピングを享受できるそんな中……。
「ねえ、トモ! 昨日の新作動画見た?」
教室でクマミがいつも通りに、スマホを見せつける。画面には、チャンネル登録者が十万人を超えた人気心霊映像系ユーチューバーチャンネルを開いていた。
ヤラセっぽくはあるが、確かに怖いと感じる心霊スポット探索動画や、視聴者からの鳥肌ものの心霊写真を紹介する、本格的なコーナーもあり、心霊ホラー好きのわたしとクマミは、以前からこのチャンネルの大ファンで、新作動画がアップされれば、夜遅くまで感想を言い合うのが日課になっていた。
「うん! 見た見た。今回も凄く怖かったね! 特に山奥から太鼓の音が近付いてくる辺りはかなり、ヤバかったよ!」
「やっぱり、本当のホラーは音にこだわらないとねー」
「ただ安直に人の声入れちゃ駄目だという事がよく分かるよ。このチャンネルには心霊スポットをリスペクトした霊的な現象を描いているから、マジで怖いんだよな」
こういった具合で、わたしとクマミは永遠と心霊動画について語り合うほどの仲だった。
「……でさ、トモ。例の話なんだけど……」
クマミはモジモジしながら、You Tubeの画面から、グーグルマップを開き、とある場所を示す。そこは、国道から少し外れた山道奥にある廃トンネルで、O市に住んでいる者ならば、知る人ぞ知る心霊スポットだった。
「うん、分かってる。土日は他の人がいるかもしれないから、明日の放課後に現地集合でしょ。大丈夫、デジカメじゃなくて、親父のフィルムカメラを借りてくるから」
「ほんとにー! さすがトモー! 愛してるぜー!」
クマミは嬉々としながら、わたしに抱きつく。
クマミとわたしは、このチャンネルに心霊写真を投稿しようと画策していた。心霊写真といっても、本物を必ず撮るという話ではなく、ある程度の心霊写真的なものとして加工やアレンジを加えてだ。
とはいえ、本格的な心霊マニアであるわたしたちが、安易に画像加工アプリとかを使って、顔とか手を増やしたりする訳ではない。大体綺麗に撮れるスマホやデジカメを使わず、昔ながらの粒子の粗いフィルムカメラを使い、ネガスキャナーでそれを取り込んでから、クマミとわたしで、シュミラクラ現象を意識した「わたしたちが考えた最恐の心霊写真」を加工し投稿しようと、わたしとクマミは画策していたのだ。
チャンネル内でも、どう見ても加工したと思しき写真も、かなりの数が紹介されていたので、それが本物かどうかより、「本当に怖そうな心霊写真を作る」というのが重要なのである。
せっかく、心霊写真を撮りに行くのなら、説得力を持たせるという意味で、少女の死体遺棄事件があったといういわくつきの廃トンネルで、撮ろうという話になった。
「ひーっ! やっぱり恐いなー!」
その心霊スポットは、意外にも駅の近くにあって、わたしたちは駅から歩いて山道に入り、そのいわくつきの廃トンネルにやってきた。
「そうかな……やっぱり知名度が高いせいか、荒らされ放題だし、こうも落書きが多いと、心霊スポットとしての魅力が薄いというか」
「なに冷静に分析してるの!」
「死ぬほど二人で心霊動画見てきたのに、どうしてそんなにビビってんの」
映像で見たのと、実際来た怖さが違うという話はよく聞くが、ここの場合は、肩透かしという意味かもしれない。その遺棄された少女の幽霊が出るいわくつきの廃トンネルは、他の野次馬たちによって、ゴミが散乱し、一昔前の大型家電が打ち捨てられ、トンネルの外壁にはビッシリと、下品な言葉の羅列と、ヘタウマなグラフィティらしき落書きがビッシリと埋め尽くすように書かれていた。
トンネルの長さも五十メートルぐらいしかなく、ここへやってきたのも、まだ日が高い夕暮れの時期(クマミは夜は絶対にイヤ!らしい)だったせいか、トンネル内はまだまだ明るい。
「風情がないよなー」と、わたしはぶつくさと文句を言いながら、父親から借りた古いフィルムカメラで、それっぽい場所をバシャバシャとストロボを焚きながら、ひたすら撮り続けた。
「ギャア」と、トンネルの奥のほうから、悲鳴のような叫び声がした。
「今、なんか悲鳴が聞こえなかった!」
クマミは、わたしにしがみ付く。
「情けないな……どう聞いてもサギでしょ」
わたしは、オドオドしているクマミを適当にあしらい撮影を続ける。
そのトンネルで小一時間ぐらい撮影を続けていたら、トンネルの外の景色が段々とオレンジからブルーへと変化しはじめる。夜になるまでに、そろそろ撤収しようとクマミに言おうとしたら、クマミがトンネルの中央辺りにある側溝をジーっと眺めていた。
「殺された女の子って、ここの溝で捨てられたらしいね」
「そもそも、その話が本当かどうか分からないけどね」
「ねえ、トモ……今更というか、変な事聞くけどさ……本当に霊というものが……仮にでも存在するならさ、どうしてヨソで殺された女の子の霊がこのトンネルに現れるんだろう」
その時のクマミの瞳は、さっきまでオドオドしていた人物とは対照的に、どこか虚ろだった。
「……言ってる意味が分からないけど」
「だってそうでしょ、他所で殺されたなら……その霊は本来、殺された場所に現れるべきでしょ。ここで死体を捨てただけで、その霊が現れるのは変じゃない」
「つまり、死体を遺棄しただけで、幽霊が出るのはおかしいって言いたいわけ? 魂の抜け殻、ここに捨てられたゴミたちと一緒で、空っぽなのにも関わらず、霊が現れるのはどうしてなんだろうって意味?」
「……もしかしたら、別の何かがかもしれない」
「何かって何よ」と、クマミに聞こうとしたら、トンネルの向こうから「ギャアアアア」と、サギの絶叫が木霊した。
「帰ろうか」と、わたしたちはそのまま、トンネルを後にした。
「やっぱり、人間の思わぬ部位が現れるのが一番、不気味だよね。目とか耳とか、肘とかの部位が……明確にじゃなくて、ボーっと浮き出てくる感じが」
「そういえば、心霊写真を見ながらよく思うんだけど、どうして、眼鏡をかけた幽霊や、裸の……アソコを露出させた霊が出てこないのかな」
トンネルからの帰り道、ヒビだらけのコンクリート道路を歩きながら、わたしたちは、これから作る心霊写真について思いを馳せていた。
「それは、タブーでしょー!」
「心霊写真にタブーもなにもないでしょうが……なに、アレ?」
クマミが山道の脇にうっすらと、西日に照らされた白い何か……建物のようなものを指さす。
「来るときにあったけ? アレ」
「ちょっと、見に行ってみない?」
さっきまで、廃トンネルでビクビクしていた癖に、クマミは意気揚々とガードレールを乗り越えて、草木をかき分けていった。
「作りかけだったのかな?」
その建物は、白いコンクリートのようなものに覆われた四角い箱のような形をしていて、横、奥行き、高さが均等に十メートルぐらい、数学の教科書に出てきそうな正六面体の立方体のような建造物だった。入口らしきものは無く、くるぶし大ぐらいの小さな穴があるだけの、よく分からない何かが、人里離れた山奥にポツンと存在していた。
「大方、こんな山奥にあるのは宗教団体の施設か、建設予定だった道路の橋げたか、基礎工事の土台跡でしょ……」
フィルムがまだ余っていたので、わたしはその白い立方体をバシャバシャ撮り続ける。
「えー、つまんないなー。こういう山奥にあって、妙に状態が良いのが、逆に怖いって怪談ジジイが言っていたのに」
「それは時と場合の話でしょ。こんなどう見ても新しい人工物なんて――」
振り返ると、クマミの姿がいなくいなっていた。
「クマミ? えっ……」
はじめは、クマミの悪戯だと思っていた。さっきの廃トンネルで、ビクビクしていたのを小馬鹿にしていたわたしに対して、つまらない悪戯だと。
「クマミ! おい! 笑えないよ!」
建物の周りをわたしは必死にグルグル回りながら、クマミの姿を探してみるが、彼女の姿はどこにもなく。神隠しにあったように、忽然と彼女の姿が消えていなくなっていた。
「笑えないよ……クマミ!」
「暗いよー! トモー!」
建物の反対側の方で、クマミの叫び声がした。わたしがそこに駆け付けるが、そこにもやはり、クマミの姿はいない。建物の方に目をやると、目線の高さギリギリにある小さな穴がそこにはあって、もしかしたらクマミがこの建物の中にいるかもしれないと思い込み、その穴の中を覗き込んだ。
「……えっ」と、わたしは穴を覗いてみて、言葉を失った。
穴の向こう……建物の中は意外と明るかった。外壁同様、コンクリート打ちっぱなしの何もない部屋になっているが、白いコンクリートの壁に奇妙なシミがあったのだ。
少しポッチャリしていて、ショートボブの髪型が印象的なそのシミは、まるで……まるで、クマミの輪郭そのものだったのだ。
「あ—―」
「トモ!」
クマミが大声で叫びながら、わたしの背中に抱き着く。心臓が張り裂けそうになったわたしは、これまでの短い人生で最も巨大な悲鳴をあげた。
「トモ! どうしてこんな酷い事するの!」
「酷いのはそっちでしょ! 一体何処に行ってたんだよ!」
「何処って……クマミがいきなりいなくなったから、わたしは必死に探していたんだよ」
「そんな……だって、今まで……それに、その建物の中……」
「中って……」と、クマミが中を覗く。しまったと思った。だって中には、クマミの……。
「真っ暗で何も見えないじゃん……からかっているの?」
「はあっ? そんな訳……」
わたしも穴を再度覗くが、穴の先はさっきまでの白い部屋ではなく、真っ暗な闇がどこまでも広がっているだけだった。じゃあ……さっきの、黒いシミがあった白い部屋は……。
全身から鳥肌が立つのを感じた。わたしはクマミには何も言わず、彼女の手を強く引っ張りながら、この得体の知れない建物から一目散に逃げだした。
それから半年後、あの白い建物の話は、わたしとクマミだけの秘密になっていた。後日、もう一度確かめにいこうと、クマミと一緒にあの廃トンネル近くの山道を訪れるが、狐か狸に騙されたかのように、あの白い立方体の姿は何処にもなく。たまたま、道に迷って、解体ギリギリの工事現場にでも迷い込んだのだろう……という話に、一応落ち着いた。……あくまでクマミの中だけでは。
一枚の写真がある。
とある心霊スポットで撮ったわたしとクマミを写した銀塩写真。
「うわー、いつ見ても気持ち悪い写真だよねー」
クマミはその写真を見る度に、その無邪気そうな笑みをわたしに浮かべていた。
わたしは彼女にある嘘をついていた。
それは、クマミが見ている、ユーチューバーに送った自家製の心霊写真の事ではない。
あの白い建物を撮ったフィルムはどいう訳か、そこの部分だけが、真っ黒に感光していて何も写っていなかったという嘘の事。
実はあの建物を撮ったもので、唯一写っている一枚の写真があったのだ。
それは、あのクマミらしきシミが浮き出たあの白い部屋の写真だ。あのシミを発見したとき、わたしはとっさにレンズを突っ込み、シャッターを切ったのだ。
クマミらしきシミはどう見ても、手と足と思しき部位が、あらぬ方向に曲がっていて、腰の辺りが針時計の四時のように折れていた。とてもじゃないが、これをクマミに見せる事なんて出来ない、だってこれじゃ、まるでクマミが……。
「投身自殺のダム湖! 今度はここに行ってみようよ! 怖い写真が撮れるかもよ!」
クマミはそれから霊障で、病気を発症したり、原因不明の事故などが起こる事もなく、相変わらずわたしにスマホの画面を見せつけてくる。
以前、廃トンネルで撮ったお手製の心霊写真は、You Tubeの番組内で取り上げれ、それに気分を良くしたクマミが、これからは様々な心霊スポットに行こうと、わたしに企画を持ち込んでくるようになった。
白い部屋の写真は、記憶も手元にも、ハッキリと残っている。あれは霊的な現象なのだろうか、それともクマミの言っていた……。
「……もしかしたら、別の何かがかもしれない」
「トモ、何か言った?」
もしかしたら、遠い未来か、近い将来、クマミやわたし自身にも何か良からぬ事がこれから起きるかもしれない。
もしかしたら、クマミもわたしに嘘を言っていて、実はあの穴を覗いていて、わたしのシミを……最後の姿のわたしを見てしまったのかもしれない。
「ううん、何でもない」
だからといって、わたしやクマミがどうこうできるという訳でもなく。わたしはクマミが、この写真のシミのような亡くなり方をしようとも、わたしはクマミにこの秘密を、嘘をつき続けようと思っていた。
「暗いよー! トモー!」
クマミはその言葉を言った覚えはないという。だとすると、あの得体の知れないクマミの叫びは、一体何だろうか。わたしは、それを無性に知りたかった。
だから、クマミの最後ぐらいだけはわたしにだけ見届けさせて欲しいのよ。だから……だから、お願い、別の何かさん。どうかそれまでは……わたしを幽霊なんかにしないでね。
彼女とわたしだけのカメラ・オブスキュラ 高橋末期 @takamaki-f4
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